ウォーキングときどきへんろ

へんろ日記と日々のもろもろ

今回遍路のまとめ(その1)

2015-06-05 13:46:34 | 遍路

4巡目結願の37日間の遍路から帰宅して一週間過ぎた。

四国では、夜は9時頃には寝て、朝4時過ぎに目が覚めていた。
それも、ようやく10時台に寝て5時台に目が覚めるようになった^^




今治を4月21日にスタートし、5月27日に帰宅。
延べ37日間だが、遍路道とは関係ない寄り道やボランティア活動(?)した日を除くと実質34日間位だ。

その間、

歩数は約150万歩、

距離は万歩計では約1100kmだが、山の上り下りなどを考えるとその9割、1000km位だろう。
昨年の秋までに今治まで歩いており、それを加えると48日間、1390kmとなる。

2巡目も今回と同じ「逆打ち・別格20か寺」で歩き、その時が45日間、約1400kmだったのでそんなものだろう。

特筆すべきは<天候>

37日間のうち台風も含めて本格的雨は3日間のみ
小雨も含めてポンチョを着た日が2日間、計5日間しか雨に会いませんでした

<西日本最強の雨男>と言われ続けて何年

これからは<サンシャイン ボーイ>と呼んでください



明日はオフ会、楽しみだ



まとめ(その2)は無いかも^^

食と遍路を考える会 イン とっとり 終了^^

2015-02-01 17:57:43 | 遍路

参加されただぼさん、Papaさん、モモの親方さん、ちょい悪オヤジさん、T&Tさん、そして、おせつ事務局長さん、大変お疲れ様でした。

いかがでしたか?
十分楽しんでいただけたでしょうか?

おせつさんのブログの写真の通り、トラック一杯のカニの身はあの小皿にしかなりませんでした(ウソ)><

昨日、今日、私はお接待に努めていましたので写真を一枚も撮っていません。

詳しくはおせつさんのブログをご覧ください^^

次は、夏に日本海の白イカを食する会を企画するそうです(え~っ!)


NHK Eテレ

2014-08-13 09:00:49 | 遍路
おかしいなぁ?

夕べの第2回の放送。

重箱の隅を楊枝でほじくるつもりは無いんだけど…

その1・・・オープニング直後の信田美穂さんの菅笠。

      前後が逆だった。
      遍路ころがしに入ったときは直っていた^^

      天下のNHKさんが時と金をかけて作った番組で、有名先達さんも係わっているのに変だなぁ。

その2・・・遍路ころがしに入って、山ガールスタイルに変身したが、これも変だった!

      「マムシに注意」の看板を見せたり、虫にも注意とアナウンスしながら、二人ともシューズのす      ぐ上、スパッツとの間に4~5㎝素肌が出ていた。
      山中を歩くのにこれは無いんでは^^
  

そうだへんろに行こう  ひょいと四国へ

2014-04-26 17:34:19 | 遍路




2~3月前からあれこれルートを考え、今月に入り宿を押さえました。


10年連続のGWへんろ。

今年は11日間、約300km。

今回は箸蔵寺への初めての道と、高縄寺参拝がメインメニュー。


今朝6時過ぎに自宅を出発、JR観音寺駅を11時にスタート。

大興寺、萩原寺を打って夕方5時過ぎに青空屋さんに到着。

風呂に入り夕食の声がかかるのを待ってます^^










のはずでした(;一_一)




ところが、最終的にはお大師さんに呼んでいただけませんでした






昨日、準備していたものをすべてかたずけました






やっと気持ちの整理がつきました。

呼ばれなかったのに無理して行けば、私の身に何か問題が起きたのではないかと考え付きました





ということで、10年ぶりに自宅でGWを過ごしてます ^^) _旦~~



なぜか落ち着きません








多くのヘンロ仲間が歩き始めているんだろうな( *´艸`)

皆さん、道中ご安全に


一個人

2014-02-16 09:42:56 | 遍路


以前間違いがあると書き込みしました。

完全なチョンボは一か所と思いますが、ほかにも疑問がいっぱいありました。

間違いは

  P17 「高知の山中、久万町畑野川の・・・」

これは、蘭丸さんも指摘してます。


疑問点は以下のとおりです。

  ・P17 岩本寺から金剛福寺までは、94kmもの距離がある。
  ・P59 第37番岩本寺から90余km、徒歩3泊4日はかかる、

  ・P17 全長1400km
  ・P95 その全長は1400キロメートルを超え、

  ・P56 「独鈷山」の読み方
        本誌ーとっこうざん
        霊場会HP-どっこざん
        協力会解説編ーどっこざん
        五来 重ーとっこさん
        真魚の里ーとっこうざん

  ・P56 「陸路でも、湾の北側を通る道と、南側の横浪半島を越える道があるが、いずれも難路であるとして、近世から「船おゆるしのよし申伝ふ」『道指南』とされてきた。」
とあるが、『道指南』の頃に横浪半島を横断する道があったのか?浦ノ内湾はもちろん南側の太平洋側も集落を結んでいたのは「船」ではなかったのか!

  ・P58 「百々山」の読み方
        本誌ーどどざん(霊場会、善楽寺HP、五来、真魚の里も同じ)
        どとおさんー解説編

  ・P74 三角寺の標高
        本誌ー430m
        協力会地図ー500m(or480m?)
        国土地理院地図ー385m(推定)
        マピオン地図ー354m(推定)

  ・P82 「・・・そこから巡拝をはじめ、1番へ帰るのである。そうすることで、自分の足跡がつながり、閉じる。これを『お遍路曼荼羅』といったりする。」
1番に帰ることを「お遍路曼荼羅」って初めて聞いた気がするのは私だけかな?





長々書き込みましたがまだ他にもあるかもわかりませんし、私の勘違いもあるかもしれません^^


賢明なる諸兄のご指摘、ご教授いただけましたら幸いです。