早坂暁さん、「夢千代日記」「花へんろ」が記憶に残っています。
その早坂さんの党名に関する言葉が紹介されていました、
今日付の「しんぶん赤旗 日曜版」です。
終わりの部分です、
「共産党は名前を変えるべきだってずーと君にも言ってきたけど、今は変えなくてよかったと思っている。名前大切にしてよ」。
早坂暁さん、「夢千代日記」「花へんろ」が記憶に残っています。
その早坂さんの党名に関する言葉が紹介されていました、
今日付の「しんぶん赤旗 日曜版」です。
終わりの部分です、
「共産党は名前を変えるべきだってずーと君にも言ってきたけど、今は変えなくてよかったと思っている。名前大切にしてよ」。
「日本共産党の党名の話ー1ー」が11月27日だったのですから、こういうコメントをいただくのも当然でした。
【 続けたい (fool1934725 管理人)2017-12-03 09:07:47
「党名問題を続けてみたい」とのことでしたが。続きませんね。民主主義的中央集権による言論統制でなければよいのですが。】
コメントを頂いていて20日も経っていました、誠に失礼していました。体調を崩していたのが主な原因でしたが、合わせて党名問題では二つのことを確認してから話をすすめたいと思っていたのです。
一つは党名で投票をするようになった、ということについて確認しておきたいこと、もう一つは自分の投票体験から共産党という党名を考えてみたいということです。まず、自分のことを話すことからはじめます。
はじめて選挙権を得て投票した時にも共産党の候補者を書いたことは確かなのですが、それが誰だったか? という疑問が離れないでいました。同時に迷いながら投票したこと、その後も共産党に投票してよかったのか、という疑問も当座は強く残っていました。
初めての選挙は長野県上田の高校卒後、東京神田の書籍問屋に住み込みで働いていたので、当時の東京1区でした。何年だったか今日調べましたら1958年5月22日の第28回総選挙でした。
浅沼稲次郎、鳩山一郎などと同じ選挙区でしたが、当時の私の記憶にはまったく残っていません。ですから当時を考えれば、きくなみかつみ(聴濤克巳)だから入れた、のではなく共産党だから入れた、のです。それだから投票を迷ったこと後にも不安が残ったことを鮮明に記憶しているのです。
その翌年には職場を辞め、もう一度勉強をしたいという気持を抱きながら新聞販売店、ヤクルト配達などをやっているなかで、地域の青年サークルに顔を出すようになり、60年安保という場に参加しはじめたのです。そうなると共産党という名前には不安ではなく信頼を感じるようになっていました。
以上はささやかな個人的な話ですが、共産党という名前を国民的規模で「書く」という状況が生まれたのは1983年6月の参議院選挙からです。この選挙にあたっての日本共産党の「訴え」にこうあります。
「日本の政治に選挙制度がとりいれられてから九十年余、国政選挙でも地方選挙でも、候補者個人に投票する方法が採用されてきました。今回、選挙史上初めての政党名投票と比例代表制の導入は、〜日本の選挙全体に根本的な変化をつくりだし、選挙戦はいま、政党と政党が直接的に有権者の支持を競いあう本格的な争いとなっています。」
このはじめての党名選挙では、大方の予想に反して日本共産党は比例代表選挙で前回を上回る得票を得て、得票率を7%台から9%台にふやし当選者も3名から5名へと前進させることが出来ました。
この選挙で日本共産党が重視したことは、日本の歴史のなかで日本共産党がどういう役割をしてきたか、各党の歴史に照らして理解してもらうことだったと思います。
さてこれからの日本を思う時、その党の歴史とともにどういう日本社会を展望しているのか、が問われるでしょう。明治維新150年は日本社会の節目でありますが、あわせて世界的に指摘される資本主義経済の行き詰まりに対して、その先にどういう展望を持っているかが関心の的になっていくでしょう。
また、我が身のことに戻りますが、齢80歳を過ぎてから治りの遅い風邪に悩まされつつ、振り返りつつ先を見る、先を見つつ振り返る、そんな複眼(頭の後ろにも)が必要だと思っています。