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お天気 小雪 気温 氷点下2℃

B001_2 夜10時50分国道45号線、大震災から1年の今日各地で慰霊祭が行われましたが、空も白い涙を流し震災で亡くなられた方を偲び泣いているのでしょうか、深々と雪が降り続いています。

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あの日から一年が過ぎました
あの日の昼まではコタツに入りTVを見ながら笑顔が部屋中に響いて居たことでしょう
その笑顔を一瞬にして破壊された、2011-3-11大震災大津波
あれから一年経ち復旧復興も形ある物はだいぶ進んできたでしょうが、親を亡くし、子どもを亡くし、友を亡くした、心の復興は永久に消えることはないでしょうが、負けないで少しでも笑顔で過ごせるように私たちは応援もしますし希望します

久慈市では久慈新港魚市場前で「久慈市東日本大震災復興祈念式」の式典が行われます。大震災発生時刻にサイレント共に震災でお亡くなりなられた方々に黙祷します。
夕方5時30分から3.800個のキャンドルを灯し霊を偲びます。そのキャンドル作りに昼前スタッフの方々が寒い中で勢出しておられました。
画像の中の5人組女性は今日の為に東京から観光と合わせて訪れた女性達です。事務局と写った女性に、市長との画像見せたら「あ~、いいな、いいな」と、友達をうらやましがっていました。そりゃそうですよね、オイらより市長との写真は嬉しいでしょうから(笑)。
あいにく今日はお天気が悪く残念ですが、夕方のキャンドル灯火、また海の街、久慈市を満喫され、お気をつけてみちのくの旅お続けください。
式典会場には328インチの大TV画面が設置してありました。

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土風館では震災復興祈念イベントで夕方灯す、キャンドル、折り鶴作り教室が開催されています。折り鶴は震災の発生した時刻、折り鶴を掲げ参加者全員で黙祷捧げます。B019 B020 B021 B022 B023

久慈駅前通りにある「もぐらんぴあ」で、さかなクンのまちなかトークショーが行われました。トークショーの後、震災時間に合わせ子供たち皆んなと一緒に黙祷も捧げられました。                                                          B024 B025 B026 B027 B028

玉の脇漁港取材中、山手側にある祠(鳥居)に雪降る中で手を合わせる一人の女性が見えました。彼女は鳥居を潜り去るときも祠に頭を垂れていました。若いおかあさんなのに感心します。いつも此処を通るときには参拝するのですかと尋ねたら、今日は大震災から一年の特別な日なので参拝に立ち寄ったそうです。

B003_2 B004_2 B005_2 一年前の大震災のとき、私たちは押し寄せる津波をこの境内から取材しました。今日は諏訪神社へ参拝してゆきましょう。
諏訪神社本殿には久慈市指定文化財になっている「志度の海女竜宮図」「浦島竜宮図」二枚の絵馬は奉納されております。この諏訪神社は源義経が北へ逃れる途中に旅の無事を祈ったと言われている神社です。久慈市みなと祭りはこの神社を主として開催されております。

昨年の3月11日の大地震のときの事務局の話しにちょっとおつき合いください
事務局では、3月11日の地震の際は自宅におりました。大きく揺れがあり数年前の大地震の再来で、室内の物が崩れ壊れるのかと心配したがほとんど100%グラスなど落ちませんでした。地震が収まったあと、表の建物が無事か確認したがどこも大丈夫のようです。
その後、絶対に津波が起きると確信して急いで、いつも地震のあと取材に出かける場所、今回も諏訪神社境内に向かいました。長内パイパスから運動公園通りを久慈漁港側へ下りてゆきます。向こう側へ下りる坂の途中では、ハチ缶会社の女性従業員が白衣の白い長靴のままゾロゾロと列を組んで徒歩避難してきます。運動公園が避難場所です。この姿を見て「ちょっと大げさかな?」その時は感じていました。
諏訪神社階段下の広場には、沢山の消防車、パトカー、一般車などが止まっていました。
事務局もそこに車を止め、急いで階段を上り神社の境内に向かいました。この階段は急で普段はなんとも思わないのですが、今日の急いでの上りは息が切れてゼイゼイ言いながらの上りです。
境内に着いたら、もう沢山の報道陣カメラ、一般の方々がおりました。
そこに駅前のNHK久慈報道員をしている三河さんもおりました。事務局を見て「車をどこに置いてきたの?」と、聞かれました。下に置いてきたと話したら「津波大丈夫だとは思うけど、万が一退かしたほうがいいじゃない」と言われました。あなたは?聞いたら此処の境内に持ってきているそうです。わたしは階段を上って来るにもう疲れ切っていました・・が、「じゃおれも此処へ持ってこようか」「そうしたほうがいいじゃない」。一応もう一度下りていって車を此処に上げてくるか。階段下りたら沢山の車がまだ止まっていました。車に乗り境内の坂を上って境内の広場に着いたら「お~、来たぞ~」と声が上がりました。第一波の映像撮ったあと、階段の下の方も取材したいと思い階段を下りて行ってみました。階段の下はもう津波の第一波が押し寄せた後で道路標識とかあらゆる物が壊れていました。で、此処に止めていた車は???街側を見たら5、6台の車がプカプカ浮いているじゃありませんか。ほとんどの消防車とかの車は津波と同時に避難したでしょう。
え~、もし、自分が先ほど車を退かせなかったら自分の例えポンコツ車でも流されていたんじゃないですか

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事務局は何を言いたいかと言えば
もし、境内で三河さんに言われなかったら・・・
もし、言われても疲れていたので「大丈夫だ~」と車を退かさなかったら・・
全ては、人生は運で生かされていることです
それと、自分の行動が人生を左右すると言うことです
この東日本大震災で被災された方々、また不幸にも命を落とされた方々は、運で済まされることでしょうか?
全ては誰にもわかりません
全ては運を、動かす為には、自分の行動が、運の前に大事だと言うことは間違いないことです。運を生かすも殺すも自分自信の「考え・行動」が運を左右させることです
その結果が、事務局のポンコツ車流失を防いだことに繋がることになったでしょう

東日本大震災野田村大津波で亡くなられた事務局友人二人、一人の彼は、彼が小学生のころは事務局のことを親しんでくれた子どもでした、もう一人の彼は、事務局はほんとにお世話になった彼でした
とても悲しい事ですが、彼らのご冥福を祈り、向こうの世界でも笑顔を絶やさず、だれにも好かれるあの世の人生をお過ごしください。

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