【ネットタウン誌】
僕たちの故郷 春夏秋冬 ...きてきて久慈市事務局...
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お天気 晴れ 気温 8℃
予報ではあまりいい天気ではないはずなのですが、寒くはない青空の見える天気になりました
お天気さえ良ければ被災者の方々もいくらかは暖かい気持ちにはなれるでしょう
国道沿いのガレキ置き場も日増しに山積みが広がって見えています。これまでは個人宅から出されたタタミとか電化製品などは北区の駐在所脇の広場に置かれていたのですが、事務局もボランティアで
今日も役場前には県内外からのボランティアの皆さんの大型バスが続々と駐車場に入ってきます
物資を積んだトラックも役場保管場所に横付けされています、やっと救援、人も物も動きが出てきているようです
事務局では、ほとんど毎日破壊された街並みを取材していますが、なんとか通り面は車などがスムーズに通れるようになりましたが、一歩奥側を見てみれば破壊された個々の宅のガレキが山積みになっています。これからもボランティアの力が必要とされています。もっともっと皆さんの力を野田村にお貸しください。
事務局では最初のころ取材でガレキ内を歩くと、写真やらフイルムネガなどが散乱している、家族集合で写っている画を見て心が痛みました。ガレキの撤去も大事だがこの様な家族単位の持ち物を当人に届けてあげるのも大事だな思っていました。今日は役場前で流失された住宅街から集めた、被災者にとって命から二番目に大切であったろう写真等の数々をなんとか本人に返してあげたいとの思いのボランティアの若者が作業していました。女性スタッフは泥で汚れた写真を一枚一枚汚れを落として乾かしています。男性スタッフの彼の自宅も銀行近くだそうですが、自宅も破壊されたそうです。自分らはこの様な形で応援したいとの思いからの行動なんでしょう、頭が下がりますね。役場前にテーブル備えアルバムなど表していますからどうぞ心当たりの方は出かけてみてください。あきらめていたでしょう想い出の写真らがもし見つかったら嬉しさが目に浮かぶようです。
村のメインストリートもだいぶ片付けが進んでいます。あらためて目を覆いたくなるような悲惨な光景が目に入ります。まがと橋前で男性の方がガレキの中から使える物をより分ける姿がありました。この付近が事務局の子供のころ遊んだ場所で、男性に声掛けたら、事務局の若い頃出稼ぎ時飯場で一緒に寝起きした彼ではないですか。もちろんこの自宅も知っていましたが、その後彼とは数十年会った事はありませんでした。気の毒で慰めの言葉もありません。津波の話を教えてくれましたが、地震のときは家にいたそうです。あまりの揺れの大きさで一時表に出たそうです。TVでは高い津波の注意を呼びかけていたので、これはマズイと思い、家族皆に避難を呼びかけ車二台で工業高校へ避難したそうです。避難場所に家族を置き、自分は家が心配で、もう一度車でこの場所自宅へ一人で帰ってきたそうです。自宅へ着いて車を降りようとしたら、目の前の川で国道水門方向から川の水が溢れながら近寄ってきたそうです。これはマズイと思い急いで車に乗り山門方向へ走ったそうです。途中元銭湯前付近にはまだ人が避難のために歩いていたそうです。車はスムーズに走れたそうですが、門前小路の方では少し車の渋滞があったそうですが何とか無事走れたそうです。「カネヨの辺りでは、まーだ歩いている人がいたんだよ~、あの人達は無事逃げたんだか・・」と、案じていました。もし戻ったとき家の中にいて、水が溢れて来るのに気づかなかったら命が無かったろうと話していました。彼が二回目の避難したその時点ではまだ国道越える津波は見えていなかったそうですが川水が溢れ上がって押し寄せて来るが見えたそうです。自分と家族車は無事だったそうです。ものすごい体験談でしょう。「住むとこは無くなったがなんとかなんべ~」話しています。「自分はまたこの場所に住む!」話していました。そうです、あなたはまがと橋前に住む事務局の知り合いなのです。最後の画像はお休み処(元銭湯)の場所で、野田祭りの桃燈が寂しそうに残っていました。
久慈からのボランティアの皆さん見えていました。ガレキなどの片付けです。拾っても拾ってもガレキが中から中から出てき終わりのない作業です。感謝します。
米軍三沢基地から救援活動のための80人の隊員が作業していました。三沢市周辺でも今回の大津波で被害受けた地域があり、これまでは基地近場の救援活動してきたそうですが今日、初めて遠い地区の野田村救援活動に入ったそうです。彼女は通訳の女性で、左彼は今回の活動の隊長だそうです。最初、彼女を見て、一生懸命にガレキをかき分けて見えたので、この旭町の方かと思い「あなたの自宅ですか?」尋ねたら通訳の女性でした。嬉しいですね、国籍を問わず私たちの野田村で救援活動してくれることは感謝でいっぱいです。
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お天気 晴れ 気温 9℃
震災の影響のスーパー品揃えでは、飲料水のポカリ、納豆、ヨーグルトの入荷の様子が悪いようです
事務局ではあちこち廻り買ってきていますが・・
ガソリンは落ち着いて来たようです
巽公園では春休みの子供達が新しくできた遊具で遊んで見えました。
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お天気 晴れ 気温 8度
今日はあまり寒くはなかったでしょう
普代方面取材したいと以前から思っていたので今日出かけました。普代の太田名部地区は堤防があったので、住宅街には波が入らなかったそうです。堤防の力が発揮された場所でしょう。でも、津波の方向角度的なこともあるかもしれません、余所の地区ではこの程度の防波堤はあっさり越えた所もあるようですから。ついでに羅賀地区まで行って見ようと思い足を伸ばしました。くろさき荘のスタッフの話では途中通行出来ないヶ所も在るらしいと聞いたのですが、行けるところまで行って見ようと向かいました。事務局は最近数年北山崎から先に来ていません。明戸などは場所を忘れていました、近くで作業していた若い彼から此処は何処だろうと思い「明戸地区」と聞いて被災状況ビックリです。昔はパークゴルフとかの施設があり良いところでしたが悲惨な状態です。彼は小本の自宅だそうですが、小本地区も国道から浜側が被害を受け、彼の自宅も一階が破壊されたそうです。小本温泉も建物自体が残っているそうですが、やはり一階は被害を受けたようです。
帰りは燃料半分以下になったので、久慈もスタンドが開いているのであまり心配してなかったのですが一応野田漁協GSで満タンにしてきました。
野田村旭町
まついそ・堀内漁港
白井駅・白井漁港
普代キャンプ場
太田名部漁港
田野畑村明戸
田野畑村羅賀荘
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お天気 晴れ 気温 7度
雪も音をたてて融け始めていますが、風が冷たく寒いです
久慈川河川敷では久慈中学校運動部員で、今回の大津波で押し寄せられたガレキなどを片づける姿がありました。すぐ目の前が中学校なので河川敷で陸上、ソフトボール部などが練習する姿を見ることがあります。そのお礼の為に片付けをボランティアで作業しているんでしょう。
八日町市日です。大災害がなければいつもののどかな市日なのですが、知り合いの野田のおばあちゃんが見えません、おばあちゃんの宅は大丈夫なのですが今はそれ何処じゃないんでしょう。大尻のおばちゃんも見えていましたが家は大丈夫だったそうですが、浜小屋は流されたそうです。
長内川、事務局が毎日利用する新開橋ですが大津波の影響で通行止めになりました。これを利用出来なくなれば困ります。この長内川にも津波で最後の画像にドラム缶が見えるでしょう、ここまで津波が押し寄せたようです。
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お天気 曇り 気温 1℃
あまり寒いとは感じません
午前中は晴れていたが、今、午後1時20分ごろの10分間ぐらい激しい雪が降り出してきました
ところが、撮り終えて画像編集している間に青空が見え始め晴れてきています
ユニバース川崎町店では久慈高校生達の被災者救済募金活動が行われていました。表は寒いです。
土風館では大川目中学校の生徒たちが募金活動しています。募金に協力してくれた方には、折り紙にメッセージを付けてお礼をしているそうです。心和む企画ですね。土風館では小雪が舞ってきてとても寒いです。
久慈市体育館前の久慈川河川敷テニスコートも今回の大津波で破壊されました。久慈管内にも全国から災害復旧への自衛隊隊員が活動してくれています。活動の拠点は体育館を使用しています。体育館2Fには隊員らの洗濯物が窓越しに見えています、だいぶ滞在期間が長くなっているので生活周辺も大変でしょう。テニスコートの瓦礫片付けする自衛隊隊員の姿がありましたが「ここも?」複雑な心境です・・
久慈川河口方面、田屋の沼に白鳥二羽見えました。車を止めたら餌を求めて陸に上がってきます。寄って来てくれるのですが上げる物がありません。タマゴ茶碗蒸しがあったので上げても見向きもしません。ちょっと「ムカッ」しています。河川敷畑には顔見知りおばちゃんの茅作り三角屋根二つあったのですが津波で流されたようです。春の花咲くころに出会いを約束していたのに残念です。最後の画像は河口方面見ていますが、この河川敷にはビッシリと木立藪が続いていて野鳥の楽園になっていたのですが津波で根こそぎ流されたようです。また木立が造られるのはいつになるのでしょうか。
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お天気 曇り 気温 0℃
夕べは雪は降ってはいなかったのですが、今朝は事務局のお山では約10㎝は積もっていました。あまり寒いとは感じません
野田村の大津波被災地も真っ白に雪で覆われています。その雪の中でも復旧作業は続けられています。
村内中央にある大鳥居奥の愛宕神社へ登りました。境内から見る街並みも雪の光景です。でも春雪なのでベットリした重さで融けるのも早いでしょう。この愛宕神社石段下の住宅も床上浸水になり室内から泥で汚れた生活用品などが表に出されています。津波の押し寄せた高さは鳥居の位置で事務局の乳首の高さを記録しています。
門前小路商店街では、久慈市内からのボランティアの皆さんが作業しています。今日の久慈市役所ボランティア募集は雪積の為中止されています。今日の彼らは、会社、個人団体で自主的ボランティアだそうです。そこへ岩手大学の職員ボランティア皆さんが到着しました。これから作業入ります。遠い中をまた、平庭などの雪の中をご苦労さまです。
役場には救援物資などが届けられています。次々に顔見知りおばちゃんらが袋片手に見えています。パン、リンゴなどあります。玄関入り口では三沢商店街?でインドカレー専門店経営?の皆さんが、本場のインドカレー被災者炊き出しが始まる所でした。大きな釜にカレーの具が香ばしい臭いをしながら煮えたぎっています。事務局でも食べたかったですが・・。久慈市内ジョイス店には食料品も在る物はある、無い物はないですね、見てくれていますか?(^-^)。野田でも市内でもガソリンスタンドは営業している店が見えました。そろそろガソリンは困ることはないでしょう。えっ?私?、僕は満タンです。
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お天気 晴れ 気温 4℃
暖かいはずなのですが風が吹き付ければ寒いです
夕べは辺り真っ白になるぐらい雪で覆われていたのですが、午前中早い時間に音を発てて融けています
野田村の災害義援金受付を役場内出納室で受け付けています
時間は午前8時30分から午後5時30分までの時間です
*振り込みでの募金の方は
*岩手銀行野田支店
*普通預金 2018951
*口座名義は 野田村災害義援金
です。皆様の暖かい気持ちを宜しくお願いいたします
市内十八日町振興局向かいにミニ公園があります。その公園内に手こぎ井戸があります。この様な公園と井戸は、本町の佐々木刃物屋さん前にもありますが、飲料水としては許可されていません。ひがね?が混ざっているようです。ここ十八日町の吾妻屋に「水あります」と、張り紙あります。今回の地震では市内も断水で困ったでしょう。そのための張り紙でしょう、たとえ飲めない水でも家庭内で使用するには助かったことでしょう。近くの住民から「いや~、あの井戸があって助かったよ~」の声を聞きたくて取材したのですが「別にあまり気にしなかったな~」でした。井戸をこいで見れば沢山の水が出ます、きっとトイレなどの水に役にたったはずです。
冷たい風が当たらなければ、穏やかな気温の街並みです。
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お天気 晴れ曇り 気温 4℃
午前中は日が差すお天気よかったのですが午後になり太陽が見えなくなりました
風が冷たいです
午前中市内スーパーで、野田村で自宅会社とも大津波で流された奥さんと出会いました。「もう、何と慰めの言葉を掛けたやらいいか言葉がありません。ごめんなさい・・」奥さんは「大丈夫ですよ、私たちだけでないんだから・・」笑顔で言ってくれました。もう言葉もありません。
午後3時過ぎ、冷たい雪が降り始めました
川崎町ユニバース店には大津波で被災した人を救おうと、市内高校生グループの募金活動が見えていました。
小袖海岸へ取材に向かおうと、舟渡まで行ったのですが復旧工事などで一般車両立ち入り禁止です。三崎回りで行けることは知っていますが、今回は途中の五丈の滝を取材と考えていたのですが禁止なのではしょうがありません。舟渡漁港でも津波の被害で漁船、船小屋などが流されました。おとうさんがメチャメチャなった漁網から小さい重しの鉛を切り取っています。おとうさんも地震の際、この場所にいたそうですが上の方に避難し、海水浴場湾の海水が引いていくのを見ていたそうです。 玉の脇漁港でも復旧作業していますが、まだまだ時間がかかりそうです
久慈市漁業市場も被害を受けています。漁港を囲み防波堤がめぐされていたのですが、市場外側にも建物などに被害が見えています。
久慈港湾から、みなと中央公園まで湾内の漁船、施設なども被害をうけています。漁船は引きちがれています、津波の破壊力がわかります。
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お天気 晴れ 気温 2℃
夕べは雪が降り辺り白くなったので今日の天気心配していましたが、朝からお天気が良く雪も融け始めました。でも、風がとても冷たいです
今日の取材は、野田前浜破壊された防波堤浜辺を歩いてみます。そのためには片方に帰りの自転車用意して置かなければいけません。十府ヶ浦から野田築港へ向かい歩くので築港側に自転車を置かなければいけません。最後の画像事務局知り合いのお宅で、やはり津波で自宅一階、物置、ビニールハウス、車、などが壊されました。おばあちゃんとは「この歳になってな~こんなごとが起きるんだから・・」二人で嘆いています。
十府ヶ浦に車を置き新山まで歩きです。途中画像の通り、防波堤見る影もありません。マレットゴルフ場も何処が何処かわかりません。事務局は子供のころこの前浜でサッパ船で漁する舟に乗せてもらい遊んでいました。その想い出も無くなってしまいました。途中宇部川を渡らなければいけません、流れの浅いとこがありようやく渡りました。マレットゴルフ場の管理人だったと言う男性一緒になりました。「カップがまだ残っているんだ」と砂を掘って見せてくれました。役場前付近の彼の自宅も破壊されたそうです。みんな被災者ですね・・。
野田村の22日現在
死者は32人、行方不明者は5人
避難箇所11ヶ所、約400人となっている
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お天気 晴れ曇り 気温 7℃
今日は暖かいでしょう。でも風は冷たいです
今日ごろはガソリンも安定販売なるのかと思っていたら、今日も閉じているスタンドが多いようです。事務局では宮城セルフスタンドで整理券で20㍑限定で満タンにしていただきました。今日はあきらめていたのですが、良かったです。駅前の細谷地スタンドでは新町から銀座交差点まで燃料待ちの車両が列をつくっています。
久慈市内のアンバーホール駐車場には災害地救援活動続ける自衛隊車両が見えています。ここを拠点に野田村などへの被災地に出動しているのでしょう。久慈市役所では山内市長が懇談後の自衛隊幹部を見送る姿がありました。市役所ホールには今日も職員手作りのミソ汁やおにぎりなどが市役所を訪れる被災者市民のために振る舞われていました。
20日に開通したJR八戸線に架かる田屋跨線橋です。20日には完成セレモニーが予定されていたが、この様な大災害のためセレモニー中止されました。事務局20日取材の日は車で渡ることが出来なかったので今日初めて通ります。けっこう病院からの徒歩で渡る方が見えています。夏井の方というおばちゃん二人も「便利になったね~」とこちら側に歩いてきました。列車が3両止まったのが見えるでしょう、大地震の日から立ち往生しているそうです。乗客もここで降りました。県立病院の外側路面が今回の大地震で壊れて段差とかできています。この場所は田んぼだった場所なので地面が安定していないのでしょう。
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お天気 曇り 気温 4度
今朝、野田村へ行く途中は小雨が降っていていました。あまり寒くはありません。
今日はボランティアの予定です。途中の国道沿いの瓦礫置き場には商店街から出された瓦礫が日増しに高くなってみえます。商店街の通りも徐々には広くなってきているようです。個人宅はだいたい室内の水に揺れたタタミとか壊れた家具類などが片づけられてみえます。あとは水で洗い流しの仕事が残っています。久慈市からのボランティアの方々も室内の泥出しなどに勢出しています。知り合いの宅では「最近地テジとブルーレイを年金で買ったばっかしだったのに全部ダメにした」話しています。事務局では、徳屋さんと中伊さん店舗内の泥だしを手伝ってきましたが、店舗が大きいのでまだまだかかりそうです。今日も全国からの支援消防署員、警察官らの一生懸命仕事してくれる姿を見ながら「しかし、ありがたいね~」と、商店街の方々と話しています。まだまだ道路沿い店舗から奥まった住宅の破壊した片付けが残っています。被害者の皆さん、身体に無理せず焦らずがんばってください。今日は野田小学校?中学校の卒業式だそうで「なんか人出が足りないね」聞いたら子供の卒業式に出かけたらしいです。高い場所に掛かっている学生服が静かに作業を見つめていました。何を想っているんだろう・・
あ~、腰が痛い。
野田村、二つのスタンドは閉まっていました。
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お天気 晴れ 気温 10度
だいぶ暖かいでしょう、でも風はまだまだ冷たいです
久慈市では昨日から災害ボランティア募集が始まりました。希望者は市役所3階で身分証明書確認のあと名前登録します。毎日募集していますから、時間は朝9時までに氏名登録してください。登録後9時過ぎに市バスなどで現地に向かいます。午後3時過ぎまでの作業になります。用意する物は、昼弁当・長靴・マスク・軍手(ゴム手袋がいいでしょう。事務局では毎日軍手だったので泥水で濡れ手が冷たくて大変でした)・男性は角スコップなど在ったほうが良いような気がしますが、今日は誰も持って見えませんでした。大人男性は道具が無くて何を手伝うんだろう?・このぐらいで良いでしょう。頑張ってください。
事務局では明日、ボランティアのため野田へ向う予定です。
JR八戸線を田屋側から県立病院側へ越える「田屋跨線橋」が、今日20日開通式展が行われる・・・はずでしたが、大地震のため今日の式典は中止になりました。一般者通行は午後3時から通ることができます・・・が、あなたの前に事務局で自転車ですが民間人2番目(近くのお父さんが歩いて来ていました)で通行してきました。ん?。駅側線路上に列車が見えます、止まっているのか動いているのか分かりません。作業員の彼が話していましたが、11日の大地震の日、あそこで列車が急停車して、その場所で乗客が降りたそうです。それからそのまま止めてあるそうです。久慈駅への鉄橋でも壊れ久慈駅に入れなくなったんでしょう。通行は2番目の事務局より作業員の彼が早いな、きてきて久慈市見てくれていますか?、今後とも宜しくお願いします。
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お天気 晴れ 気温 11℃
夕べは氷点下5度まで気温が下がり、今朝も寒いです
日中になり気温も高くなりました
朝8時前ごろ野田駅前通りを市内のボランティアへ向く方々でしょうか、リックを背にした人たちがすれ違ってゆきました。また、久慈振興局の職員の方々もボランティアのために駅から徒歩で街へ向かってゆきました。事務局でも北区の親戚へ手伝いに行ったのですが、留守で室内を覗いたらだいぶ片づけて見えたので今日は止めました。
野田駅ホームには三鉄列車が見えていました。現在三鉄は久慈駅から野田までの折り返し運行行っています。スピードもかなり控えて走っているそうです。復興支援列車として現在乗車運賃無料です。
国道45号、野田下安家大橋です。上流側の旧国道橋が破壊されています。その袂の商店も一階部分が壊れて見えていました。
玉川漁港です。最初の画像は、玉川野営場からの田野畑方面です。お天気がよく美しい光景ですが・・・。漁港近くには民家は一軒しか見えません。そのお宅はある程度高い場所にありますが一階部分が壊されています。柱なども斜めになっているのでもう住めないだろうと手伝いに来ていた男性が話しておられました。おばあちゃんが地震当日を話してくれましたが、野田旭町の病院に行っていたそうです。病院に着いて、ちょうどスリッパを履いた同時に地震が来たそうです。それで津波が来るのが予想されたので、回りの人たちに「逃げなきゃダメだよ~」声掛けたそうです。そしたら病院の先生が患者さんらを避難させるために自分の車を出してくれたそうです。先生に玉川漁港前の自宅まで送られ、家に着いたら直ぐ目の前で津波が来るのが見えたので急いで裏山に逃げたそうです。病院から玉川までは、国道か泉沢かどこを通ったのか聞きますれました。危機一髪でしたね。
このおばあちゃん宅の、ちょっと小高い位置に玉川神社があります。その神社前には「西行屋敷(さいぎょうやしき)」史跡があります。この場所は歴史のある場所で、西行法師が庵を結んだとされる「屋敷跡」です。そのため石塔が数個ありましたが今回の津波の影響で倒されています。車がある画像の真ん中、小高い上が史跡です。ご覧のように結構高い位置ですが津波の被害を受けました。市内からの見舞い客が訪れてきています。
玉川駅まで津波が押し寄せたと聞いたので取材に行きました。事務局ではこれまで玉川駅に入ったことはありません。もちろん近くまでは何回か来ていますが。この玉川駅の場所は、当時野田玉川鉱山社会人野球部の球場があった場所で、私たちの子供のころ自転車で試合?練習?見に来たことを覚えています。野球場のベンチはコンクリートで造られていてグランドより一段低くなっていました。現在は、駅舎と玉川集会所が建っています。今回野田医院が流され、病院に通えない地区患者のために久慈県立病院から先生が往診にきているそうです。三鉄駅の線路にも少し波が入った模様で、流ゴミが見えています。駅の裏側にある別荘が津波のため壁などが壊されています。この位置は結構海から崖上にあるのですがここまで波が上がって来ています。この三鉄玉川駅は毎年初日の出参拝列車が久慈駅から企画されホームで水平線から昇る太陽を参拝することが出来ます。
玉川駅より久慈寄りに別荘があります。この別荘は以前大川目の洋画家大森画伯先生がアトリエとして住んでおられました。事務局も先生ご夫婦に招かれ雄大な海を眺めならお茶を一緒しました。画像にある丸テーブルですが残念ながら破壊されています。別荘の入り口両脇には頑丈なコンクリート門がありますが、これも津波のため片方が倒されています。別荘はかなり高い崖上にあるのですが津波の大きさが想像できますね。この下の砂浜は、漂着琥珀海岸として知られています。
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お天気 晴れ 気温 4℃
東北地方太平洋沖地震発生も今日で一週間たち、地震と大津波でお亡くなりなられた方々へ久慈市では一分間の黙祷をささげました。
事務局では今朝も7時から野田村へボランティア行ってきました。朝は寒かったです。大鳥居前にはもう、他県からの救助消防隊の皆さんが打ち合わせをしていました。事務局では徳屋さんを手伝っているうちに、消防隊はサカヤさんの庭の瓦礫の山を集中的に捜索していました。もし遺体があればの捜索でしょう。次に中伊さん、野田戸さん、栄光堂さん、と。どこの宅でも人出不足です。事務局は1時間2時間での短い時間ですが主に宅での一人では動かせない物を運んであげます。マットレス、タンスなどです。どこの店舗も店内に泥が入り込み掻き出すに大変でした。また、どの一般宅でも手伝ってくれる人出が足りないと困っていました。もっと一般ボランティアの方々がきてくれればいいんでしょうが。
あ~、腰が痛い・・
役場の中には30センチぐらいの海水が入ったそうで、シカも泥だらけになっていました。役場のオーストラリアからの女性英語の先生も役場前でスコップ片手に同僚と作業していました。彼女は役場横の教育館で仕事していたそうですが、地震の瞬間は、体育館2階?3階に避難して津波が役場前に押し寄せるのを見ていたそうです。野田村でもかなりの数の犠牲者がおられますが、近藤倫店さんのおかあさんが亡くなり、また、旭町の自動車板金工20代従業員も亡くなったそうです。彼は米田?の男性で津波が来るというので急いで国道を自宅へ向かう途中津波に流された模様です。顔見知りの方の死亡はショックです。役場前もだいぶ瓦礫が片づけられています。旭町から流された建物はこの役場みぶつかり止められました。旭町のお休み処(元銭湯)の二階部分が商工会前建物付近に見えています。事務局では津波の数日前南浜取材で野田に来たとき休み処に寄り、お茶を飲みながらおばちゃんらと歓談していました。また旭町村営住宅前の建設会社の自宅も全壊して、その焼瓦屋根が役場車庫の所に見えています。画像の鬼瓦の屋根がそうです。いかに今回の津波の勢いが強かったということでしょう。役場付近には電気、水道が回復しているようです。北区の野田戸さんへのボランティア作業中、知り合い電気工事屋さんが来て、電気を流したいがブレーカーが水に漬かってませんか?と奥さんに尋ねていました。丸山さん前橋下の瓦礫取り除き本格的に始まっています。旭町の倒壊流失された建物がこの橋の欄干にぶつかり何軒の住宅が積み重っているか分からない状態です。遺体があるかもしれないと話していました。
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お天気 晴れ 気温 -2℃
お天気が良いですが風が冷たいです
今日は野田村の大沢石油さんでガソリン・灯油、販売されました
事務局でも、昨日入れたんですが今日満タンにしました。灯油一缶
燃料も満タンになったので、今日は海岸方面取材しました。どこの漁港も悲惨な廃墟となっていました
野田村大鳥居前の津波高を取材しました。鳥居奥の石碑で1820㎝高です
この高さが野田村大津波永久保存高でしょう。
今日の取材は、野田鳥居から野田漁港、久喜浜に向かうに広内橋が破壊され通れません。そこで広内地区を通り、新山お墓の所に出て、川原屋敷を通り、平沢館石に抜けて三崎から小袖に入りました。その後再度戻り大尻にから舟渡に出ます。舟渡取材あと市内に出るに再度山越えかと思っていたら、海水浴駐車場の車の中に男性がいたので、ルートを尋ねたら玉の脇が復旧されて通れるそうでした、彼は「きてきて久慈市」ご覧なって居てくれるそうでありがとうがざいます。あとで追加画像アップしますから見て下さい。そのまま赤浜展望台前を通り、玉の脇に出ました。市内に入るにホーマック前で営業しているか道路で尋ねたら、店内に水が入ったためしばらく休業するそうです。そんな感じで取材してきました。どこも悲惨な状態です。今日の取材画像300枚あります、徐々にアップします。お待ち下さい。
野田村大鳥居
野田漁港
野田村から久喜浜へ向かいましたが、広内橋が破壊されて通れませんでした。そのため広内地区を通り三崎へ出て久喜浜へ迂回しました。久喜も海岸端の住宅が多大な被害を受けていました。事務局の知り合いの大道商店まで津波が押し寄せ店舗内が全て流されています。津波高は大道商店までの高さでした。
昨年新築された小袖漁港にある北限の海女センターです。残念ながら今回の大津波で流されてしまいました。でも建物が無くなっても北限の海女は私たちの街の観光資源なのです。
舟渡海水浴場
玉の脇を襲った大津波発生時11日、事務局では玉の脇漁港の高台、元水産高校裏で取材していました。私たちは建物が破壊される、また漁湾が引き潮で岩盤が現れたまるで地獄絵図の光景を目にしていました。今日はこの道路が早くも通れるとは思ってもみてませんでした。
今回の大津波では、このホーマック店前まで海水が押し寄せました。国道は越えることはなかったのですが、ホーマックでは店内に水が入ったためしばらくの間、閉店するそうです。
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