![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c2/9b4baeb6d9b5449eff17b1258c6db618.jpg)
※右から二人目が近松秋江。明治四十年頃。
本日は『八月の末』を読んだ。これはとんでもないカス人間な話であった。
いや、言い方が悪かった。真っ当な社会生活が営めぬ人種の話である。この様な人間は物書きくらいしか出来ぬであろうが、その書き物さえも全く捗らない。
物語は八月の末、暑さの厳しい食卓から始まる。
妻が「いい加減にどうにかして下さい」と主人公である作家に懇願する。生活費がないのだ。
それでも夫は妻ほど深刻さはなく、なんとかなるだろう、と構えて日々暮らしている。
翻訳の仕事や新作の執筆など、真剣に取り組めば、お金を作る手段は出版社と繋がりがあるので、なんとかなるのだろうが、暑いから、とか、色々理由をつけて、執筆部屋で寝転んで何もしない。
まるでギリギリまで何もしない、夏休みの宿題を貯めに貯めた小学生の如き、である。
そりゃ奥さんも怒るだろう。当然の事だ。こんな状況でも、まだ無言で朝ご飯を作ったりしてもらってるので、充分優しい部類の妻である。
そうして、書く予定のある原稿を口実に、実際は一枚も書けていないのに、出版社に行って前借りを頼むのである。
向こうは露骨に嫌な顔をする。当然だ。やっている事はヤクザ者と同じである。
時間はいくらでもあるのに、気分が乗らないから何も書かない、書けない、生活費は無い、妻は怒る、出版社に前借りを帳消しにしてもらって再スタートを切っているのに、どの口が言うのか、新たな借金を頼む。
生活無能力者という人種はいるのだな、と。
こりゃ妻が出て行って当然である。その出て行った妻を恨みがましく、執念で追い回す私小説の傑作が、後年完成するのだから、この作家から目が離せないのだ。
読みながら、宿題をしない、ヒマでゴロゴロしていて、就職活動をしない事を親に怒られる様な、そんな心持ちにさせる短編である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます