水木しげるさん安らかに③
世界妖怪会議で恐山に家族も一緒に参加させていただいて、もひゃもひゃとトウモロコシを食べる食欲にビックリしたり…^ ^
京極夏彦さん原作「巷説百物語」のドラマ「怪」では絵師役の水木しサンと共演も??
水木しげる先生がいなかったら今現代みたいにポピュラーなほどに若者が妖怪を知ることはなかったと思うし妖怪が忘れられることなく語り継がれた一因では絶対にあるから今頃先生あっちで妖怪たちに大歓迎されてパーティかな…
【水木氏 ねずみ男に込めた思い】死去した水木しげるさんは「日本人は、ねずみ男だ」と生前に言い切っていた。過去の取材に語ったキャラクターへの思いは。 yahoo.jp/70T679
【追悼】鬼太郎演じたウエンツ瑛士、水木しげる先生にメッセージ
news.livedoor.com/article/detail…
「あの世で妖怪とたわむれているんじゃないでしょうか」「残された僕たちは悲しいですが、先生は楽しんでいらっしゃるはず」 pic.twitter.com/6VVsNAxDgg
水木御大がお亡くなりに。120歳くらいまで余裕で生きておられると思っていたのに。
妖怪の復権を果たした一連の作品もそうですが、個人的には『総員玉砕せよ』の衝撃は忘れられません。合掌。
自席に置いてある『戦争と読書』(角川新書)。帯「二十歳の水木しげるが出征直前まで考え続けた死ぬ意味、戦争の無意味」。若き水木さんが岩波文庫によって思想を鍛えたことがよくわかる本。本の歴史の一端にいることの責任を思い出させてくれる本。 pic.twitter.com/mEYuTIfZdE
もし水木しげるという漫画家がいなければ、日本のポップカルチャーにおいて妖怪という存在がこれだけポピュラーなものになっていただろうか…と、ふと思いました。合掌。
(。-`ω´-) 水木しげる先生の場合は妖怪に代表される暖かい話もあるが…
赤紙一枚で招集され、実際に激戦地から生還された上に、その陰惨で稀少な経験を、希有の表現力で後生に遺す事ができる、数少ない“リアル出征経験作家”のおひとりがまた日本から失われたという事が何よりも大きいで…。
漫画家の水木しげるさんが亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。画像は、鳥取県境港市「水木しげるロード」のブロンズ像にもなっている妖怪「異獣」です。 pic.twitter.com/OELYeHbPf3
さよなら、水木しげる先生
わくわく妖怪ランドにて
ふたたびお目にかかる日まで pic.twitter.com/xJ0AmKJS2k
水木しげるさん逝去のニュースにふれ、心から哀悼の意を捧げます。→今朝死去した水木しげるさん。戦争で片腕を失い、戦後は職を転々として貧困に苦しみながらも、少年時代の夢を失わず、最後まで妖怪と遊び続けました。 t.asahi.com/ir1i
【水木さん 描き続けた妖怪のルーツは幼少期に】30日に亡くなった漫画家、水木しげるさんがライフワークとして描き続けた数々の妖怪。その創作のルーツは幼少期を過ごした鳥取県にありました。www3.nhk.or.jp/news/html/2015…
水木先生はすでに自らデザインされたお墓をたてており、ここに眠られることになります pic.twitter.com/Cczyv9700K
90年代中頃に、水木しげるさんの妖怪カレンダーのデザインをした時に、小さい妖怪がいろんなところにいるデザインだったのですが、その頃はまだ版下時代で、色校正が出たら、誰もデザインしていないところに座敷童子が刷られていて、印刷の製版の人もなぜかわからないと言っていて、(つづく)
(つづき)担当が水木しげる先生に聞いたら、「そういうことは、妖怪の仕事してるとよくあるよ」とサラッと言っていたそうで、スタッフみんなでお祓いに行った思い出があります。
水木しげる先生、ご冥福をお祈りします。
素晴らしい作品をたくさんありがとうございました。