前回の子供とのかかわり方には沢山の方がご覧頂きありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)。♪:*°
長男を筆頭に思春期目前の次男に三男第2反抗期の峠を超えた四男。
引っ切り無しに小さな問題、大きな問題で頭を抱えることもしばしば・・・。
問題を抱える度に思うことは、試練ではなく、[チャンス]やと思うことです。
~ピンチをチャンスに変える~
私の座右の銘です(o´艸`)
ネガティブに考えるのではなく、ポジティブに考えるように私は努めます!!
なかなかポジティブに考えることって難しいですよね?でも、視野を少しずつ広げる事によってだんだん考え方が柔軟になります。
これも凄く難しい事です。
でもね、ネガティブな考えって前には進めません。
打開策と思って視野を少しずつ広げるとちょっとずつ前にすすめるようになるんです。
前回、地獄の6年間と言った長男の6年間のお話しをしたいとおもいます。
小学校3年生から不登校になった長男。
不登校になった理由は幾つかあります。
まず、一つ目は、勉強です。
発達障害の診断が出たのが小2の時。
ADHD(注意欠陥多動性障害の略)とLD(学習障害の略)とアスペルガー症候群の併発により、勉強が出来ない・理解出来ない事でした。
二つ目は、友達とのトラブルで、周りから責められる。
三つ目は、上記の問題で、担任からの理解、信頼を得られなかった事。
この三つが大きな原因要素でした。
毎朝毎朝、長男と私の戦いでした。
「学校行きなさい」と何度言っても「イヤ!!」の一点張り。
どうして?の問には一切答えずただただ「行きたくない!!」と癇癪を起こします。
この毎日毎朝の押し問答を繰り返しました(╥ω╥`)
私もこの時、「なんでなん?」の連続でした。
学校からは毎日毎日「今日は来れますか?迎えに行きましょうか?」と。
学校からのプレッシャーが私には相当きつかったです。
それと同じように長男にもプレッシャーがかかります。
もう悪循環すぎます(╥ω╥`)
やがて、長男は夜が寝れなくなって安定剤を服用する様に。
それでも、不安は消えることの毎日が続き、日中逆転の生活に突入しました(╥ω╥`)
二次障害です。
そんな中でも学校には月に3回位行けるときや、続けて行けるとき続けて行けたら行けない日が倍ある・・・そんな生活でした。
丁度その時期に四男が産まれ、次男の療育等で私が留守にする事が多かった時期でした。
四男は療育には連れて行けずで一時的に託児所に預けていました。
そんな時、長男が「ちゃあちゃんおらん時、オレ何したら良いの?」と質問を投げかけてきた事がありました。
きっとこの時、長男ながらに何か役に立つ事がしたかったのだとおもいます。
普通に考えたら「学校行くこと」ですよね?
でも、私は四男を長男に託す事を提案したんです。
なぜかと言うと、日中逆転の生活より普通に生活するのがまず長男に必要な事だったからです。
日中逆転の生活の長男には朝から学校に行くことはハードルが高すぎるんです。(朝、起きれないのが学校に行けない理由ではないから。)
私が留守にする時は四男は長男に任せる事で、「誰かの役に立つ自分を認めて貰える」と自信をつけてあげたかったんです。
学校では出来ない事だらけの自分。
認めてくれてない自分。
劣等感ばかりでした。
自分に自信が全くなかった長男。
この事がきっかけで徐々に自信をつけていけました!!
毎月通っていたカウンセリングの先生にも、「学校に行きたくない子供に行けと言うのは無理があります。学校側から来いって言うのも義務やから言うだけでやから気にしない。」
この言葉を聞いて私の中にあったわだかまりがスーッと抜けました!!
確かに・・・私が必要以上に気にしていたのかもしれません。
長男を認めてくれる場所は、学校ではなく家庭だったんだなとその時感じました。
それからは、学校側から何を言われようが気にしないように。
家では自分の居場所を作ってあげる事に専念しました!!
中学校に上がって環境も変わり、不登校も解消されつつあった中1の夏にまた長男を悩ませる問題が。
友達関係です。
金銭問題を伴う友達関係。
長男は被害者側の立場。でも、ずっと仲良くしていた友達が加害者なのが辛い。
そんな複雑な思いを当時長男は抱えていました。
そこからまた本格的な不登校です。
思春期もあって本当に扱いに困った時期でした。
学校側からの必要な連絡以外は私も気にすることを辞めました!!
そうすると私もとっても楽になりました(o´艸`)
プレッシャーがストレスになりそれが長男に伝わっていたんですね!!
本当にここまで来るのにすごい時間がかかりました(›´ω`‹ )
それから、3年に上がった二学期に転機がやってきたんです!!
同じく不登校の同じ学校の友達と繋がった事により、同じ気持ち環境を一緒に乗り越えようと連れそって学校に行くようになり、私が何も言わなくても朝起きて学校に行くようになりましたヽ(*´∀`)ノ
今までなんやったんや?って思ったこともありましたが、結果オーライです(o´艸`)
今となっては長男曰く、ちゃんと学校行っとけば良かったわ(笑)っていってますが、過去より今をしっかり見て前に進んで欲しいなっておもいます。
これもまた全てはやはりタイミングなんだなって本当に思えるんです(o´艸`)
学校に行かないといけないって固定概念を柔軟な考えを持つことによって見事に地獄から抜け出せた。
これには第一に長男自身の心の成長が大きな進歩になりました。
その部分で凄く救われたのもあって私もある意味、大きな重責から逃れられたとも思います。
その中には心理の先生から頂いた心のサプリメントは欠かせないものなのです。
私一人では決して乗り越えれなかった事だと本当におもいます。
そして!!固執した脳みそと心をゆる~く出来たことも(o´艸`)
子育てしている中で[人には言えない悩み]ってきっとあると思います。
もちろん♪*゜自分で解決出来ればいい事です。
けど、なかなか自分で解決出来ない事って[人には言えない悩み]ではないでしょうか?
私の場合は、長男の不登校が[人には言えない悩み]でした。
けど、子供のことや自分の事をよく知ってくれる人には話せたんです。
良いところを知っているからこそわかってくれたり、アドバイスをくれたり気持ちを楽にしてくれたりする。
問題解決はできなくても、気持ちは楽になります(o´艸`)
そんな人が自分の周りに居てくれたからこそ、地獄の6年間を乗り越えれたと私は信じています*˙︶˙*)ノ"
最後までご覧頂き本当にありがとうございました(*ˊ˘ˋ*)。♪:*°
文章力がなく、支離滅裂な文章だったりするかもしれません(╥ω╥`)
どうか・・・お許しください(*´ω`*)
長男を筆頭に思春期目前の次男に三男第2反抗期の峠を超えた四男。
引っ切り無しに小さな問題、大きな問題で頭を抱えることもしばしば・・・。
問題を抱える度に思うことは、試練ではなく、[チャンス]やと思うことです。
~ピンチをチャンスに変える~
私の座右の銘です(o´艸`)
ネガティブに考えるのではなく、ポジティブに考えるように私は努めます!!
なかなかポジティブに考えることって難しいですよね?でも、視野を少しずつ広げる事によってだんだん考え方が柔軟になります。
これも凄く難しい事です。
でもね、ネガティブな考えって前には進めません。
打開策と思って視野を少しずつ広げるとちょっとずつ前にすすめるようになるんです。
前回、地獄の6年間と言った長男の6年間のお話しをしたいとおもいます。
小学校3年生から不登校になった長男。
不登校になった理由は幾つかあります。
まず、一つ目は、勉強です。
発達障害の診断が出たのが小2の時。
ADHD(注意欠陥多動性障害の略)とLD(学習障害の略)とアスペルガー症候群の併発により、勉強が出来ない・理解出来ない事でした。
二つ目は、友達とのトラブルで、周りから責められる。
三つ目は、上記の問題で、担任からの理解、信頼を得られなかった事。
この三つが大きな原因要素でした。
毎朝毎朝、長男と私の戦いでした。
「学校行きなさい」と何度言っても「イヤ!!」の一点張り。
どうして?の問には一切答えずただただ「行きたくない!!」と癇癪を起こします。
この毎日毎朝の押し問答を繰り返しました(╥ω╥`)
私もこの時、「なんでなん?」の連続でした。
学校からは毎日毎日「今日は来れますか?迎えに行きましょうか?」と。
学校からのプレッシャーが私には相当きつかったです。
それと同じように長男にもプレッシャーがかかります。
もう悪循環すぎます(╥ω╥`)
やがて、長男は夜が寝れなくなって安定剤を服用する様に。
それでも、不安は消えることの毎日が続き、日中逆転の生活に突入しました(╥ω╥`)
二次障害です。
そんな中でも学校には月に3回位行けるときや、続けて行けるとき続けて行けたら行けない日が倍ある・・・そんな生活でした。
丁度その時期に四男が産まれ、次男の療育等で私が留守にする事が多かった時期でした。
四男は療育には連れて行けずで一時的に託児所に預けていました。
そんな時、長男が「ちゃあちゃんおらん時、オレ何したら良いの?」と質問を投げかけてきた事がありました。
きっとこの時、長男ながらに何か役に立つ事がしたかったのだとおもいます。
普通に考えたら「学校行くこと」ですよね?
でも、私は四男を長男に託す事を提案したんです。
なぜかと言うと、日中逆転の生活より普通に生活するのがまず長男に必要な事だったからです。
日中逆転の生活の長男には朝から学校に行くことはハードルが高すぎるんです。(朝、起きれないのが学校に行けない理由ではないから。)
私が留守にする時は四男は長男に任せる事で、「誰かの役に立つ自分を認めて貰える」と自信をつけてあげたかったんです。
学校では出来ない事だらけの自分。
認めてくれてない自分。
劣等感ばかりでした。
自分に自信が全くなかった長男。
この事がきっかけで徐々に自信をつけていけました!!
毎月通っていたカウンセリングの先生にも、「学校に行きたくない子供に行けと言うのは無理があります。学校側から来いって言うのも義務やから言うだけでやから気にしない。」
この言葉を聞いて私の中にあったわだかまりがスーッと抜けました!!
確かに・・・私が必要以上に気にしていたのかもしれません。
長男を認めてくれる場所は、学校ではなく家庭だったんだなとその時感じました。
それからは、学校側から何を言われようが気にしないように。
家では自分の居場所を作ってあげる事に専念しました!!
中学校に上がって環境も変わり、不登校も解消されつつあった中1の夏にまた長男を悩ませる問題が。
友達関係です。
金銭問題を伴う友達関係。
長男は被害者側の立場。でも、ずっと仲良くしていた友達が加害者なのが辛い。
そんな複雑な思いを当時長男は抱えていました。
そこからまた本格的な不登校です。
思春期もあって本当に扱いに困った時期でした。
学校側からの必要な連絡以外は私も気にすることを辞めました!!
そうすると私もとっても楽になりました(o´艸`)
プレッシャーがストレスになりそれが長男に伝わっていたんですね!!
本当にここまで来るのにすごい時間がかかりました(›´ω`‹ )
それから、3年に上がった二学期に転機がやってきたんです!!
同じく不登校の同じ学校の友達と繋がった事により、同じ気持ち環境を一緒に乗り越えようと連れそって学校に行くようになり、私が何も言わなくても朝起きて学校に行くようになりましたヽ(*´∀`)ノ
今までなんやったんや?って思ったこともありましたが、結果オーライです(o´艸`)
今となっては長男曰く、ちゃんと学校行っとけば良かったわ(笑)っていってますが、過去より今をしっかり見て前に進んで欲しいなっておもいます。
これもまた全てはやはりタイミングなんだなって本当に思えるんです(o´艸`)
学校に行かないといけないって固定概念を柔軟な考えを持つことによって見事に地獄から抜け出せた。
これには第一に長男自身の心の成長が大きな進歩になりました。
その部分で凄く救われたのもあって私もある意味、大きな重責から逃れられたとも思います。
その中には心理の先生から頂いた心のサプリメントは欠かせないものなのです。
私一人では決して乗り越えれなかった事だと本当におもいます。
そして!!固執した脳みそと心をゆる~く出来たことも(o´艸`)
子育てしている中で[人には言えない悩み]ってきっとあると思います。
もちろん♪*゜自分で解決出来ればいい事です。
けど、なかなか自分で解決出来ない事って[人には言えない悩み]ではないでしょうか?
私の場合は、長男の不登校が[人には言えない悩み]でした。
けど、子供のことや自分の事をよく知ってくれる人には話せたんです。
良いところを知っているからこそわかってくれたり、アドバイスをくれたり気持ちを楽にしてくれたりする。
問題解決はできなくても、気持ちは楽になります(o´艸`)
そんな人が自分の周りに居てくれたからこそ、地獄の6年間を乗り越えれたと私は信じています*˙︶˙*)ノ"
最後までご覧頂き本当にありがとうございました(*ˊ˘ˋ*)。♪:*°
文章力がなく、支離滅裂な文章だったりするかもしれません(╥ω╥`)
どうか・・・お許しください(*´ω`*)