元ブラジル代表MFレオナルドの鹿島アントラーズ在籍時のフリューゲルス戦のゴールはJリーグの枠に捕らわれない美しいゴールだと思います。
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また、レオナルドは鹿島アントラーズでプレーしていなければ、少なくとも日本では1994年W杯のアメリカ代表戦での接触がエルボーと判定されて退場及び出場停止となった左サイドバックのままだったかもしれません。
一方、セレソンやバルセロナの右サイドバックだった元ブラジル代表DFダニエウ・アウベスがサンパウロで10番のトップ下でプレーして話題になりましたが、サンパウロ及び鹿島アントラーズ並びに1998年W杯プレ大会のセレソンで10番のが1994年W杯のセレソンでは6番の左サイドバックだったり、同じく1994年W杯のセレソンやバイエルン・ミュンヘンで右サイドバックだった元ブラジル代表DFジョルジーニョが鹿島アントラーズではボランチでプレーしたりしていて。
1994年W杯決勝でジョルジーニョに代わって右サイドバックに入り、2002年W杯でも不動の右サイドバックで大会を制した元ブラジル代表DFカフーも1993年のバルセロナとのトヨタカップでは11番のFWで、ラテラルとも言われるブラジルのサイドバックは他国のサイドバックのイメージとは異なるのかもしれません。
かつて右サイドバックといてローマ入りした元ブラジル代表DFマンシーニもローマを退団してインテル入りする時には左サイドハーフでしたし。
2002年W杯ではカフーと両翼を形成した左サイドバックの元ブラジル代表DFロベルト・カルロスのバックアッパーとしてレアル・マドリーでもプレーした元ブラジル代表MFゼ・ロベルトもバイエルンでは左サイドバックではなく、ボランチでしたし。