みなさん、こんばんは😃✨
突然ですが、"丸の内"と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか??🌞
先日、フラッと丸の内に行ってみたのですが
まるで異世界に迷い込んだかと思うくらい、素敵な街の景観に感銘を受けました😳✨
本当にここは同じ日本?!
と、心の中でつっこんでしまいました😂
街全体の景観がまるで1つの国のように統一されており
どこかおしゃれで洗練された雰囲気のビジネスマンたちが行き交い、
もはや"丸の内"という存在そのものにブランドを感じます😃✨
「丸の内=おしゃれ、キラキラ」というブランディングがここまで完遂されているのも凄いことですよね😂✨
なんてったって、世の中には「丸の内OL」という言葉すらあるくらいですから!😳
調べてみると、この丸の内という地は
かの有名な三菱グループによって創られたそうです😃
三菱創業者・岩崎弥太郎に始まる岩崎家の人達が代々、
「この地を世界一のビジネス街にする」
とコミットし、長年かけて育てて来たんだとか✨
当時の丸の内は、ただのだだっ広い荒野だったこともあり
世間の人達は"岩崎ヶ原"とあだ名をつけて嘲笑したそうです😂
すごいコミットですよね🔥
誰に何と言われようと信念を貫くこの姿勢、生涯において何か大きなことを達成するに当たり、物凄い意味を持つのだろうなと感じます✨
また、私が日頃仲良くさせていただいている経営者さん・宮崎秀朗さんも、
岩崎弥太郎さんのような信念の強さ、粘り強さを誰よりも持たれている方だなと感じました✨
簡単にご紹介すると、
宮崎秀朗さんは20代ながら人材や不動産、セレクトショップ、イベント事業など多事業経営をされていらっしゃる方です✨
お会いさせていただく度に刺激あるお話を沢山伺い、日々未来を見て仕事されている姿が本当に大尊敬で
三菱の歴史について調べていたら、まさに宮崎さんの姿が頭に浮かびました😂✨
まだ見ぬ可能性を本気で信じ、
誰に何と言われようとビジョンを諦めない宮崎秀朗さんや、岩崎一族の方々から学ぶことは非常に多いです😌
それにしても、今や誰もが知る三菱グループですが、
先に名前を出した岩崎弥太郎さんが、なんとたったの一代で財閥としての礎を築いたそうです😳
すごすぎっっっ!
三井や住友が江戸時代から続く代々の商人を源に繁栄してきたのに対し(なんとその歴史300年!)、
三菱は弥太郎さん一世代でほぼ財閥としての地位を確立し、三井に次ぐ2番目の規模を誇ったと言います💡😇
たったの一代で、令和の今にまで続く大組織を創り上げた弥太郎さん。。
ただものではないですよね😳
↑弥太郎さん
また、三菱グループはしばしば
"最後の財閥" "最後の企業集団"と呼ばれることがあるそうです😳
なんかかっこいい!🔥
財閥と言えば!三井、住友、そして三菱!
これらを総称して「三代財閥」とも呼ばれたそうです🤲
そして今や"三菱"と名につくグループ企業は数知れず。。。
企業集団と呼ばれるのも頷けますね😃
こんな巨大組織・三菱を創設した
岩崎弥太郎さんですが
生まれた時から家柄もよく裕福で、学問に優れた天才肌だった。。。
と言うことは決して無く、何なら真逆の過去を持つ人物のようです⚡️
と言うのも、生まれは土佐藩(現在の高知県、かの有名な坂本龍馬と同郷)で
地下浪人の子供として誕生します🐣
ちなみに地下浪人、って聞いたことありますでしょうか??
土佐藩特有の身分のことを表します。
なんと!武士としてはまさかの最低ランク。笑😂
とにかく貧しく、惨めな思いをすることも多かったと言いますが、
そんな当時からハングリー精神は人一倍で
「自分は絶対に将来、何者かになる。」
と、宣言し続けていたそうです🔥
当然ながら、当時弥太郎さんの周りにいた人達は「こいつは大馬鹿者だ。大ぼら吹きだ。」と笑ったと言いますが、
令和の今となっては
"三菱"という名を知らない人はこの日本に居ないのではないでしょうか🤔
その意味で、宣言通り「何者かになる」ということを成し遂げておられますね✨
☟三菱商事現オフィス
まだ日本が明治時代になったばかりのころ、
つまりは長い鎖国体制がようやく終わりを迎えたころに
「これからの時代は、異国との事業・商売にかかっている」と断言し、
私的な商社を立ち上げようと決め、
海運と商事をメインに事業を行う『三菱商会』を設立したそうです🔥(これが今の三菱商事!)
☟当時の三菱商会の幹部
ちなみに面白いのが、
当時の三菱商会には今で言う東大卒の超絶優秀人材を多く入れていたと言いますが
"お客様ファースト"の追求という弥太郎さんの強い考えから、
全員に前掛けの着用を義務付けたそうです🤔
当時の日本で東京大学を卒業するような人、と言うと
いわゆるスーパーエリートの代表格のような存在です。
それに対し、前掛けというのは従来「商人」に分類される人が着用するもので、
東大卒の若者たちが身につけるものとしては本来あり得ないことに近いのです😇
と言うのも、江戸時代から「士農工商」という身分の分類がありましたが
権力を握ってきたのは長きにわたり「武士」に当たる存在で、決して「商人」が前に出ることはありませんでした⚡️
明治時代に入り、ようやく商人たちの存在が開花し始めるのですが
まだ三菱商会が出来た当時は、そこまで商人という身分のイメージは上がっていません😳
(いまや、「商社マン」というキラキラワードがあるほどなのに、不思議ですね〜😌)
だがしかーし!
弥太郎さんは言いました🔥
「商人たるものは常にお客様ファーストでなければならない。
余計なプライドを持って、上から目線などになってはならない。」
どこまでいっても驕り高ぶってはならない
という謙虚な姿勢がさすがですよね👍
また、ボーナスを日本で初めて出した人物も岩崎弥太郎さんなのだそうです🤣
ありがてぇぇえ
と思う人は多いはず。笑🤣
ボーナス支給に至るまでの背景は、何とも壮絶!🔥
三菱がここまで大きな組織になるにあたり、当然ながらずっと順風満帆に来たわけではありません。
異国との激しいビジネス競争に揉まれた時期も長くあったと言いますが、
何とその時には社員全員で給与1/3を返上、
経費削減に一丸となって努めたこともあるそうです🔥すごい団結力!
結果、激しい競争に晴れて打ち勝った暁に
その年の暮れ、社員全員に対して賞与を支給したそうです✨
まさに波瀾万丈の人生を歩まれた方なんだなと思うと同時に、
状況環境がどうであれ、まだ何も見せられる実績のない時から
自分は将来絶対に大物になるのだ!と、
自分自身の可能性を信じ、本気で夢の実現を望むこと、
それこそが本当に大切なことなのだなと学びました✨
冒頭でお名前を出した宮崎秀朗さんも、
本当に情熱あふれる素晴らしい方で
改めて岩崎弥太郎さんと似ているところがすごく多いなと感じました😂✨
京都大学の法学部をご卒業後
かの有名な野村證券に入社され、まさにスーパーエリート街道✨を辿って来られた方ですが、
もっと大きく成長し続ける人生にしたい
勇敢に挑戦し続ける生き方を持って、人に貢献したい
青天井でどこまでも望み続けたい
そんな思いのもと、もともと起業の"き"の字も興味がなかったところから、
努力の仕方をガラッと変え今に至ると以前伺いました🫧
岩崎弥太郎さんが、「商売人たるものは常に謙虚でなければならない」という考えを持っておられましたが
宮崎秀朗さんも、本当に謙虚で決して驕らない、まさに人望溢れる方だなと常に感じます✨
どんな経歴や実績を持とうが、
常に謙虚に学び、努力し続ける姿勢こそが
更なる人望に繋がり、好循環を生んでいくのだろうなと宮崎秀朗さんを見ていて学びました☘️
私自身も、常に謙虚に何事も学び続け、
夢を叶える人生にしてゆきます♪
そんな宮崎秀朗さんのNOTEはこちら💁♀️
では、また〜〜😄🎵