Laos

Laos の ビジネス

ラオスのビジネス

2013年05月21日 18時37分54秒 | ラオス
今日はラオスについてこんな記事を見つけました。


厳しい国民生活状態
 
国連開発計画(UNDP)が毎年発表する「人間開発指数」(HDI;Human Development Indicator)3) では、対象国177か国の中で、ラオスは135位、東アジアでは最下位にランクされている。
ベトナムは77位、カンボジアは130位、ミャンマーは132位である。
ちなみに、1位はノルウエーで、日本は9位、タイは76位である(UNDP「人間開発報告書2004」)。
 
さらに、UNDPは、水や安全、保健医療面などの指標を基にして「人間貧困指数」(HPI;Human Poverty Index)を示しているが。
これによると、開発途上国95か国中、ラオスは66位であり、ベトナム41位、ミャンマー45位、カンボジア74位となっている。
 
ラオスでは、合計特殊出生率は4.8と極めて高い水準であるが、不十分な保健医療状態や衛生状態等から乳児死亡率が高く(出生千対82と、日本の20倍以上の高さ)、
平均寿命は54.3歳と、日本の第2次世界大戦後の数値に近い。
生活上のインフラの整備も遅れている。
水道水・井戸水などの清潔な水にアクセスできる人々は全世帯の58%、電気を利用できる世帯の割合は45%であり、国民の半数は、電気も水道もない状態で日常生活を送っている。
そのうえ、水道利用可能地域でも、水道管が古くなっている等の問題から直接の飲用には適していない。
首都ビエンチャンでも、人々は一度沸騰させた水道水を飲用に使っている。
 
筆者は、ラオス滞在中、ラオス北部や南部の山岳地帯の村を視察した。数百人程度の人口で、竹でつくった高床式の家で生活をしていた。
村の中では、牛や豚、にわとりといった家畜との共同生活である。電気、水道がないことはもちろん、トイレもないところもある。水は、川にくみ上げにいくという状態で、日常生活の困難さがうかがえる。
こうした状態では、マラリア、デング熱、日本脳炎等の蚊を媒介とした感染症、あるいは大腸菌等による食中毒等のおそれが、常に身近に潜んでいる。
 
医師数、医療機関の数とも不十分である。
ラオス政府では、薬の常備や医療職を配置したヘルスセンターの整備を進めているが、山村では、ヘルスセンターや医療機関に通うにも歩いて1日や2日がかりということがしばしばである。
こうした村では、自動車はなく、徒歩が主たる交通手段である。オートバイがあれば、最高の交通機関である。
時には、農業用のトラクターにこぼれんばかりの大勢の人々が乗って、「バス」代わりに使用している。
ほのぼのとした光景に見えるが、大変な生活である。
 
栄養不良者の割合は全人口の22%。飢餓という事態はないけれども、農業生産性が低い山岳部の生活では、自活するのがやっとという食糧生産の状態である。
米といっても、もち米が一般的である。たんぱく源としては、村で飼育している鶏や豚、牛あるいは川魚を利用している。
山の中の野生動物も食用に供されている。
 
ラオスの学校制度は、小学校5年、中学校3年、高校3年となっている。国立大学はラオス国立大学1校のみ。ラオス政府は、初等教育である小学校就学を促進していて、80%台の就学率となっているが、山岳部では、小学校の5年間を修了できず中退してしまう子どもも多いという。
学校といっても、建物と黒板、机と椅子があるだけ。筆者が訪問した北部の村では、正規の小学校が徒歩で1時間半もかかるので、臨時学校を開設していたが、竹のよしずで周囲を囲って、大変古びた机で勉強をしていた。
就学前の小さな幼児を子守り代わりに連れてきている子どももいた。



こんな状態のところで、どうやって教育を受けることかできるようにすればいいでしょうか。

ラオスのビジネス

2013年05月20日 07時30分32秒 | ラオス
ラオスの観光についての上方がネットに出ていたのでお知らせします。

観光・不動産(1)

ラオスは観光を国家の経済成長・貧困削減の重要な手段として位置づけており、海外からラオスへの観光客は年々拡大しています。
2007年には日本人の観光目的での入国においてビザが免除になり、日本からの観光客も今後増加が見込まれます。
一方で急速な拡大に対して一部ではホテル等の開発が追いついていない状況があり、不動産関連投資の面で大きな機会が存在していると言えます。
ラオスの観光の動向を概観した上で、具体的にどのような地域でどのような投資機会が存在しているのかを探っていきます。

■ ラオスにおける観光の動向
内陸国で人口が少ないため国内市場が小さく工業が未発達なラオスにおいて、メコン川や豊かな森林が作り出す美しい自然や、遺跡や少数民族の村などにおける文化的資産を活かした観光、
特にエコツーリズムの推進は重要な国家戦略
と位置づけられています。
実際過去数年間での観光業の躍進はめざましく、2004・2005年においては最大の、2006年においては急拡大した鉱業に次いで2番目に大きな外貨獲得源となっています。


(出所)2006 Statistical Report on Tourism in Laos

年間観光客数の変化について見てみると、1990年(1.4万人)から2000年(74万人)までは毎年順調に増加を続けていたのですが、その後2001年に減少(67万人)、翌年には回復(74万人)したものの2003年に再度減少(64万人)と伸び悩んでいます。これらは、2001年の米同時多発テロ及び2003年のSARS流行という外部要因によるところが大きいと見られています。それらの不安要因が落ち着きを見せた後は、2004年89万人、2005年110万人、2006年122万人と急激な増加を達成しています。それに伴い観光による収入に関しても、2004年1億1900万ドル、2005年1億4500万ドル、2006年1億7300万ドルと順調に拡大しています。


(出所)2006 Statistical Report on Tourism in Laos

観光客の出身国・地域について見てみると、隣国で文化的・言語的に近く陸路で容易に移動できるタイからが圧倒的に多くなっており、観光客全体の55%を占めています。
タイを含めASEAN諸国からの観光客が全体の73%、アジア全体で83%となっています。
タイに続く観光客の送り出し国は、ベトナム(15.7%)、中国(4.1%)、アメリカ(3.9%)、フランス(2.7%)、イギリス(2.6%)、そして日本(1.9%)という順になっています。
特にベトナムと中国の急増が顕著ですが、ラオスの観光省としてはこれらの国々よりも、観光客一人当たりから得られる収益が大きいタイや日本、オーストラリアが優先ターゲットとなっているようです。
実際、観光客数では2位のベトナムが観光客全体の年間消費総額では6位、3位の中国は10位になっており、逆に日本は観光客数が7位でも消費総額では5位に位置しています。


(出所)2006 Statistical Report on Tourism in Laos

観光客全体の傾向としては、バックパッカーに代表されるように一人旅または男女2人組みといった少人数での訪問が多くなっており、自然、文化、寺院や遺跡といった分野への関心が高くなっています。
また、訪問先は首都のビエンチャンが97%、世界遺産にも登録されている観光名所ルアンパバーンが64%と圧倒的に多く、その他の地域は多いところでも10%程度に留まっています。
平均滞在日数は7日間、1日当たりの平均消費額はひとり52ドルです。

ラオスの教育について

2013年05月07日 18時47分32秒 | ラオス
このブログをはじめた時は、ラオスで小さな商売をしようと思っていろいろと調べ始めました。
少しずつラオスの様子がわかってきたら子供の教育が心配になってきました。

私は父親の仕事の都合で、小学校を六回転校しています。
短いところでは、一年生に入学して一ヶ月で転校しました。
長いところでも二年間くらいです。
今はどうなっているのかわかりませんが、小学校の授業の進め方は、
各地方でまちまちでした。
転校すると、当然学習していない部分があるのです。
重複して同じことを習うこともあります。

学校は嫌いになりました。
今で言う不登校の子供ではありませんが、気が向かないと行きませんでした。
小学校では実質半分くらいしか学習していません。

中学校は転校はなくて同じ学校で過ごしましたが、学校が嫌いだったので成績は最下位でした。
そんな私でも何とか日常の生活に支障がなくすごせるのは学校教育の環境だけではなく、
社会環境が整っていたので成長できたのだと思います。

ラオスの教育事情について考えてみたときに、学校に行きたくても行けない事情がある子供がいることについて考えてしまいました。

そこで、ラオスではじめる商売の目的を変えることにしました。
利益をラオスに還元して教育事情の改善に協力することにしました。

具体的な方法はまだわかりません。
これから考えたいと思います。

アドバイス、協力いただける方はコメントください。

ラオスの教育事情

2013年05月01日 15時19分43秒 | ラオス
前回から、ラオスの教育について興味を持ち調べていました。
こんな記事を見つけました。

2004/05/05

ラオスの村の教育史

 空港への道を脇に入ってとたんに山道、10kmでルー族360人の村、内戦を避けて30年前に帰ってきた、焼畑と水田1-2ヘクタールを耕作、一戸当たり子ども4-5人。
小学校は竹壁のあばら家、生徒102、ぼろぼろの教科書とうすペラノートだけだけど目キラキラの生徒たち、先生6、校長は34年の教師歴、トイレ・水道は数年前にユニセフ支援ででき今もきれいに使われている。
中学校は12km、1学年5-6人が、高校へは10km、数人が自転車で通っている。


 30年前には寺で読み書きを習った。当時使われた100年前の教科書、きれいな墨書の仏教経典、しっかりと読める人がいる。
86歳という村一番の長老の話し「50年前フランス植民地からの開放のとき、有志が自分たちの手で学校を作った、子どもたちに学問をさせ国の役に立たせたいとの願いがあった」、
「先生を町へ探しに行き、来て貰い生活費を米などで提供した。こういう村はあちこちにあった。」

 「今の学校は30年前に自前で建てた、古くなったので立て替えようと申請しているが先立つものがない」と村人たち。
この国の村、特に遠隔僻地の場合、30人入学したとして卒業する生徒は15人以下。多くの児童が家庭の事情や労働、空腹や栄養不足、病気や怪我で休み勝ちになり止めていく。
一方、受け皿の教育体制と内容は全く不十分でもある。通う学校がない、あっても遠い、教科書がない、先生がいない、加えて教育内容と方法の乏しさがある。

でも、ひげジイは少し安心。教育課題は山積みだが、上記遭遇で“自前の教育の歴史”をここの人たちも持っていることを知ったからです。
この国にも“植民地時代の愚民教育”の一言で片付けられていない、いわば底辺からの教育への努力を持っていることが分かったからです。

生徒はノート一冊は持っていますが教科書がないのは普通です。一般の学校の教育環境が良くないからでしょうか、私立学校への子供たちを転校させる親が増えているようです。
貧富の差、特権階級が生まれているのです。ひげジイの感覚では、急激に生まれています。

こちらの新聞に出た教育関係の記事をご紹介します。
基礎データは大切ですが説明が大変な割には、内容が退屈になります。最新記事のほうが多分面白いと思えます。
なお、記事出典はここの英文紙(ヴィエンチャン・タイムズ、週2回発行)。

「新年度も教員不足と、教育大臣」8月29日発行、2ページ記載
9月から新学期であるが、全国で数千人不足している教員の補充は今年もできない。
現職教員の退職・転職、教員にならない養成学校卒業者の増加、生徒数の増加が主な理由である。
教員給与や待遇のひどさが原因であるので、改善策としてたくさん授業を受け持っている教員の給与を25-50%上げようとしたが予算化できなかった。
現状は遠隔地の場合、給与支給が2-3ヶ月遅れている。全国に8つある教員養成学校では、他に行けるところが無いから来たという学生が増え、卒業しても教員にならず他の給与が高い仕事を選ぶ傾向になっている。
学費は無料で奨学金まで出しているのだから、そういう学生から奨学金を取り立てる方法も検討したが、現状では卒業する学生に支払う余裕がないので実施するに無理がある。

ここラオスでは小学校5年間が義務教育、6-8歳くらいで入学します。落第やいろんな理由で学校をやめてしまい、卒業する(できる)生徒数は半分です。教科書はほとんどありません(このあたりのこといずれ詳しく書きます)。中学校と高等学校がそれぞれ3年間、現在この国に一つだけあるラオス国立大学はできて5年目、学士4年間ですが、短期の課程がいくつかあります。

 学校制度が今のものになったのが10数年前です。この国が今の体制(憲法ができた)になってからまだ15年しか経っていません。
教育基本法に相当する「全国民のための教育」(Basic Education for All)が決められたのが6年前です。歴史的には14世紀に王朝が出来て一時栄えました。
17-18世紀以降フランスの植民地時代には学校教育はなかった。
独立は約50年前、40年前のヴェトナム戦争でラオスは関与していなかったけど、いわゆるホーチミンルートへのアメリカの爆撃で大変な被害を受けました。
そこには、第二次世界大戦中ヨーロッパ全土に使われた量より多い爆弾が落とされました。世界でもっとも爆撃密度か濃いところといわれています。
今でも、その地域は不発弾がいっぱいといわれ、一月に何人かの被害が出ていると新聞にあります(新聞など情報・通信についてはいずれ書きます)。
ヴェトナム戦争が終った後も、内戦が続きました。ラオス共産党が政権をとってやっと収まりました。最近10年は経済化政策によってとても発展していると思えます。
この国の人たちは日本では想像できないほどのいろんな苦難の歴史を持っています。

 このいわばやっと近代化を始めた国は、教育にとても力を入れています。
公教育として、学校教育、職能教育、住民教育、高等教育全般にわたって学校建設から、教育内容の充実、それとよい先生をつくる努力をしています。
学校の先生は教員養成学校が作っています。幼稚園や小学校の先生になるには高校を卒業してから養成学校へ入り1年間の勉強でなれます。
中学校教員は高校を出て3年間の勉強です。高校教員は養成学校でなしにラオス大学教育学部(4年間)へ行かなければなりません。今の状況は、先生不足です。
遠隔地やラオス語を日常語としない山岳民族(この用語の適正性は今後検討します)の多い地域では小学校を出ただけで小学校の先生をする(やらざるを得ない)状態です。
また、今の教員資格制度ができる以前の先生(無資格教員)のための再教育も大きな問題です。研修制度をつくってやっています。


以上のような報告が出ていました。
私たちも何か考えたら?と思いませんか。