スピリチュアリティの探求 ~心と意識の向かうところ~聖霊の導きで真実の気づきを

現代のスピリチャルブームについての真実と危険性・霊的な影響の解放をクリスチャンの視点から伝えます、神の祝福がありますよう

理想の相手を求めるエゴ・恋愛依存社会/奇跡のコースより

2017-02-23 | Marianne Williamson・奇跡のコース
前回に引き続きマリアン・ウィリアムソン(画像人物・現64歳、wow)の『愛への帰還』から奇跡のコースの内容を取り上げて行きます。しばらくMariannneシリーズでUPしていきます。
奇跡のコース A course in miracle はキリストの教えを基に心理学者が自己学習形式で作ったプログラムで、キリスト教の知識なしでは理解するのは難しいかと思われます。奇跡のコースwiki

特別な関係・・・本文より抜粋 
自分にとって理想の男性(女性)を見つけたいという願望は誰でも理解できるものです。それはほとんどアメリカの文化的な強迫観念とさえいえるかもしれません。
しかし奇跡のコースによれば、私たちの問題を全て解決してくれる完璧な人を見つけようとすることは私たちの最大の心の傷をつくるものでありエゴが利用する最大の妄想の一つです。それはコースにて特別な関係と呼ばれている概念であり、「特別」とは何か素晴らしいものという意味を暗示しますが、奇跡コースの観点からすると特別であるということは異なること意味し、そして分離を意味しそれは霊(スピリチャル)な特徴ではなくエゴ(自我)の特徴であるとされてる。
特別な関係は恐れに基づいた関係です。

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↑↑この現象はアメリカ社会だけでなく日本にもかなり浸透している恋愛神話・恋愛病の原因の一つなのではないでしょうか?私はこれを『恋愛依存症』(自分の寂しさ虚無感を埋めるor痛みを回避する為にする穴埋め恋愛→一人でいらない症候群/because・・自分を見つめたくないから( -_-))にカテゴライズします。
私たちは理想の相手を求める時、彼に(彼女)何を期待するのでしょうか?上記の通り「私たちの問題を全て解決してくれる完璧な人(白馬の王子様or お姫様-> 美女と野獣の様な醜い俺を王子にしてくれる姫)」ではないかと思います。
奇跡のコースで最も言ってる点は自分の中にあるエゴ=利己的な自我と、霊的=愛・スピリチャルな面を認識&自覚してその思考・感情はエゴなのか愛なのか?を識別して行くことを学んでいく目的です。

■神はただ一人の子を創造した。
(旧約聖書の言葉、聖書の概念を受け入れてないと理解しにくいかと思います)
神様にとっては誰も異なっておらず特別でもありません。(神社に行き神に救いを求める時、神は参拝者を社会的階級で差をつけるでしょうか?悪事をしてしまった人がお参りに来ても神は入場禁止にしないですよね?)

私たちの心の平和は神のように隣人を愛する事にあり、実際には誰もバラバラではないのです。従って、「一人の特別な人、自分を完成させてくれる1人を神の子全体の中から見つけたい、というのは妄想であり、私たちを傷つける危険な希望です。」(本文より抜粋/ +Jane修正)

エゴにとっての良い関係は相手が自分の思うように行動し、決してこちらの痛い所をついて怒らせたり・不快に感じさせたりしない関係です。(本書p.133より)
→私達が求める「理想の恋人・結婚相手」は大体がこの上記の条件に合う人なのではないでしょうか? 確かに、一緒にいて不快を感じる人には好意さえ初めから持てませんよね。しかし、「自分の思うように行動する相手」はどうなのでしょうか?完璧にしもべ(僕)でしょうか?(笑) 完全なドS、なのかMなのかわかりませんが。恐らく殆どの人はその関係が親密になってくると相手はこの↑自分の思うように行動する、を自分に実行してくれる期待orそれが当たり前の事だと相手に求めるのではないでしょうか?
しかしこの↑相手への期待・感情こそが「エゴ」であり、本来の私達の純粋な精神性とは別物でそのエゴの感情を識別することが本来の自分を取り戻す、真実に目覚めるためには必要なのです。

それらの「親密な関係」にて起こる相手への期待は、自分の中に無いものでその親密な相手にあるモノ(心・感情・魅力・能力・名誉・財産)を自分へ供給してくれることが当たり前だと求めることにあります。

その自分の相手へ求める心は「エゴ」の働きであり、本来の自分の純粋性=霊性な部分・ピュアな自分が求めている、願望していることではない事に気づき、『エゴ』と、『自分の人間として本来持っている純粋性・霊性』を識別していきましょう。

識別の祈り:神様、私に変えられるものがあれば、それを変える勇気を与えてください
変えられないものがあればそれを受け入れる心を与えてください。そして変えられるものと、変えられないものを見分ける知恵を与えてください
 また、私が正しいと思うことを貫く勇気を与えてください。たとえそれが、私にとって望みの無いものであっても。。 あなたに静穏をアーメン
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愛の反対は恐れ/あなた内なる時間軸の新年を

2016-12-31 | Marianne Williamson・奇跡のコース
最近ミサや教会行事で忙しかった為、更新出来ずにすいません。あっという間に世間的暦では今日が1年の最後の日になってしまいました。
しかし外側の世間体での時間というトラップに惑わされずに、内なる自分の時の流れを感じながら生きて行けたらよいと思います。なので今日・明日に限らずいつでもあなたの中で何かの踏ん切りがついた、決心をした日が今までの自分史の中での大晦日であり新年です。今まで世間の行事に惑わされていた人は明日からは、自分の時間軸で生きて行きましょう。(クリスマスに無理に恋人を作る必要はありません、そもそもキリスト教宗教行事です)

検索ワードで『愛の反対は』とのワードがありましたのでそのことについて話したいと思います。以前記事よりマザーテレサの言葉より愛の反対は『無関心』と言葉を残しました。確かにマザーのように奉仕活動を実行し孤独から苦しむ人々に愛を与えていた方は、苦しむ人々に目も向けない、救う行動をしない『無関心』な人達がマザーの視点には反対の感情になるか思います。

しかし改めて学び思うのは『愛の反対は恐れ』ではないかと、私は思います。これは、『軌跡のコース』というcourse in miracleアメリカ人作家のマリアン・ウィリアムソンの本『愛への帰還』より得た学びでマリアンは軌跡のコースの教えを基に愛について語る全米ベストセラー本です。

愛だけが実在します、愛以外には何も存在しません。誰かが愛情のない行動を取ったとしてもまたその行動がいかにマイナスなものであっても、その行動は恐怖心から生まれたものでありしたがって実際には存在しないという意味です。それは幻覚にすぎません。従ってあなたはそれを許すしかありません。許しとは、実在するものと実在しないものを識別することです。
愛情のない行動をとる時、人は自分が本来何であるかを忘れています。眠りに落ちて自分の中にいるキリストを(神を)忘れてしまったのです。

奇跡のコース・・・イエスキリストからから来たとされるインスピレーションを3人の心理学者が文章化した自己学習プログラム。以下内容抜粋
 奇跡のコース  

過去や未来(#時間)は、エゴが意識に投影した幻影に過ぎず、自分の外にあるはずの#世界も実際は心理的投影であり、この幻に操られて自他を裁く感情を正当化している限り、"現実"は決して認識されないとする、挑戦的な世界観(不二一元論)を669ページのテキストで詳説。いかなる例外も設けない、#赦しの実践がもたらす内なる平安のみが、意識に投影された世界の悪夢を治癒し、万人共通の#心をリアルな世界(無条件の#愛)へ回復させることができる(#奇跡)として、これを1年かけて独習する488ページのワークブックにまとめている。

マリアンの言葉より・・私たちは自分が持っていないものを人にあげることはできません。エゴは愛する誰かを探そうとはしてません。エゴは攻撃すべき誰かを探しています。エゴの愛情についての指示は「探しなさい、でも見つけてはいけません」です。
過去の傷を究極に癒すただ一つの方法は、それを許し、それを手放すことです。
 

 愛への帰還/マリアン・ウィリアムソン   

祈りの言葉~ 主よ憐れみたまえ、私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください。私達が人を自分を許すことをお赦しください。あなたが真実に気づき平穏が訪れますように。 アーメン