復活祭も終わり主イエスも十字架の苦難から永遠の命へと復活を通して成し遂げられました。(キリスト教でないかたは意味がわからなくすいません
)
まず本題に入る前にアッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」を一緒に唱えましょう。
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することをわたしが求めますように
わたしたちは与えるから受け
許すから赦され
自分を捨てて死に
永遠のいのちをいただくのですから (親愛している神父様がメインとしている祈りです)
アッシジの聖フランチェスコ
最近以前にもまして男女間のトラブルによる事件や悩み等が増えている世の中ではないかと思います
。なぜでしょうか?皆、自分の満たされない心を他の誰かに満たしてもらおうとしているからではないでしょうか?人は皆「愛されたい」生き物です、いや動物でも植物でもこの世に存在する生あるものは皆愛されたい気持ちがあるのではないでしょうか?(逆に自ら傷つけられ滅びたい事を望む人がいますか?マゾで傷つけられたいはあっても滅びたいとは思わないはず→人間の生存本能)
人を好きになる
、憧れる、惹かれること自体は何の問題でもなく逆にその心を持てることが人間としての喜びです。そんなトキメキの気持ちを誰かを通して感じられる事とはなんと素晴らしい出来事ではないかと思います。そのキラキラした「感覚」とはいつも誰にでも感じられる感情・感覚ではないですね
とても「神聖」な貴重な人間の感覚
です。
何がトラブルになるのかは↑下線を引いた「してもらおう」という欲望を相手に求めぶつけることだと思います。
そんな満たされない欲しいx2星人・かまってちゃん(うざいのに自覚ない痛い人達
)には上記の「愛されるよりは愛することを、私が求めますように」の一節を唱えるようお勧めします。
もしくは「認められたい」とも言うかもしれません。心理学用語で言うと「承認欲求」、それを満たす為にする行為は様々ですが、その中には間違った表現で相手に危害を与える行為=暴力という形で表されることもあるでしょう。以前の記事でも書きましたが「愛の反対は恐れ」⇒「理想の相手を求めるエゴ・恋愛依存社会~」を見てください。
誰かが危害を破壊を表し人を傷つける時、その行為もまた目的は同じく自分をわかって欲しい・理解して欲しい=愛して欲しいの欲求の表れに過ぎません。
本当は今日は他の記事をアップしようとしていたのですが、偶然この記事を見てしまい、同じ女性として心が痛くなりました。ホスト狂いでAV女優になった女子大生
前回の記事、元ストリッパーの証言・悪魔の洗脳からの脱出をぜひ見てください。どのようにこの世に人間の形で存在している悪・佐単が人を食い物にし支配の関係を築きあげ、相手を破壊して吸い取るかの手口がわかります。。弱った女心にすりよる悪/元ストリッパーの証言
動画参照
これは私がいつも述べている「性の乱用」から陥る⇒悪ま(佐単)の誘い=地獄への招待状の典型的な手法で、この女子大生は「自らの闇」に飲まれ、または闇の中の薄暗さの生ぬるい温かみを優しさ=愛と勘違いし、まんまと悪魔の求める形の「支配」という関係に陥ってしまいました。この状態まで行くと、もう今の状態を自ら否定し、苦しい・嫌だと認め抜け出すのは難しいでしょう。自分で苦しい状態に陥っている自分を「不幸ではない」と正当化するようになるのです=そうでないともし自分が誤った行動をしたと気づいていても、間違えの長い道のりを振り返るとその誤りの道がとてつもなく長すぎて戻る気も他の見知らぬ道に変えて進むより、今の足場の慣れた道が良い・正しい判断だったと、自分で自分を偽らないと、自分の中に矛盾が生じ生きる気力を失ってしまうからです。
どんな誤りの不義な道であっても歩いてる道は舗装されていて歩きやすくはなっているでしょう、たとえ行先が見えず途方のない風景であっても。。道今は1本しか見えないかもしれませんが、進むことを迷い、立ち止まった時に初めて他の道が現れてきます。
その道は今、苦痛ながらも進んでいる道より舗装が良くなさそうに見えるかもしません、狭いかもしれません、歩きにくいかもしれません。でも今いる果てしもない砂漠の中の道をあてもなくただ喉の渇きを埋めるために水たまりの水を飲み凌いで歩き進むよりも、新たに表れた狭いかもしれないが緑と光が見える道へと乗り換えて歩き始める事が救いの第一歩なのではないかと思います。
自ら誤ったとわかって進み・歩いてしまった長く太い道をもう振り返らないのです、その道は封鎖して新たに表れた救いの道、狭くて未知でもその道へ乗り換えるのです。
自分の中のエゴとプライドと戦うのです=そんなバカだった自分を許すのです。わかります、この行為は人間の意地=エゴによりとても簡単にはできる事ではありません。でもその自分の中の誤りを犯したダメな自分と戦わない限り、悔い改めはできず、改心(回心)もできず、新たな道が目の前に出現することはありません。
一番不幸なことは、誤りを・汚さを・醜さを感じないその死んだ心です。どんな状況でも、苦痛を感じれば今の自分・状態に疑問を感じればそこには神の救い、新たな道が狭くとも出現するでしょう。人間として生きるにはこの世のものを美しいと感じ
、美味しいと感じ、愛することです
。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することをわたしが求めますように
わたしたちは与えるから受け
許すから赦され
聖フランチェスコの祈りがあなたに届きますように。アーメン
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まず本題に入る前にアッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」を一緒に唱えましょう。
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することをわたしが求めますように
わたしたちは与えるから受け
許すから赦され
自分を捨てて死に
永遠のいのちをいただくのですから (親愛している神父様がメインとしている祈りです)
アッシジの聖フランチェスコ
最近以前にもまして男女間のトラブルによる事件や悩み等が増えている世の中ではないかと思います
。なぜでしょうか?皆、自分の満たされない心を他の誰かに満たしてもらおうとしているからではないでしょうか?人は皆「愛されたい」生き物です、いや動物でも植物でもこの世に存在する生あるものは皆愛されたい気持ちがあるのではないでしょうか?(逆に自ら傷つけられ滅びたい事を望む人がいますか?マゾで傷つけられたいはあっても滅びたいとは思わないはず→人間の生存本能)
人を好きになる
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何がトラブルになるのかは↑下線を引いた「してもらおう」という欲望を相手に求めぶつけることだと思います。
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そんな満たされない欲しいx2星人・かまってちゃん(うざいのに自覚ない痛い人達
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もしくは「認められたい」とも言うかもしれません。心理学用語で言うと「承認欲求」、それを満たす為にする行為は様々ですが、その中には間違った表現で相手に危害を与える行為=暴力という形で表されることもあるでしょう。以前の記事でも書きましたが「愛の反対は恐れ」⇒「理想の相手を求めるエゴ・恋愛依存社会~」を見てください。
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本当は今日は他の記事をアップしようとしていたのですが、偶然この記事を見てしまい、同じ女性として心が痛くなりました。ホスト狂いでAV女優になった女子大生
前回の記事、元ストリッパーの証言・悪魔の洗脳からの脱出をぜひ見てください。どのようにこの世に人間の形で存在している悪・佐単が人を食い物にし支配の関係を築きあげ、相手を破壊して吸い取るかの手口がわかります。。弱った女心にすりよる悪/元ストリッパーの証言
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これは私がいつも述べている「性の乱用」から陥る⇒悪ま(佐単)の誘い=地獄への招待状の典型的な手法で、この女子大生は「自らの闇」に飲まれ、または闇の中の薄暗さの生ぬるい温かみを優しさ=愛と勘違いし、まんまと悪魔の求める形の「支配」という関係に陥ってしまいました。この状態まで行くと、もう今の状態を自ら否定し、苦しい・嫌だと認め抜け出すのは難しいでしょう。自分で苦しい状態に陥っている自分を「不幸ではない」と正当化するようになるのです=そうでないともし自分が誤った行動をしたと気づいていても、間違えの長い道のりを振り返るとその誤りの道がとてつもなく長すぎて戻る気も他の見知らぬ道に変えて進むより、今の足場の慣れた道が良い・正しい判断だったと、自分で自分を偽らないと、自分の中に矛盾が生じ生きる気力を失ってしまうからです。
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どんな誤りの不義な道であっても歩いてる道は舗装されていて歩きやすくはなっているでしょう、たとえ行先が見えず途方のない風景であっても。。道今は1本しか見えないかもしれませんが、進むことを迷い、立ち止まった時に初めて他の道が現れてきます。
その道は今、苦痛ながらも進んでいる道より舗装が良くなさそうに見えるかもしません、狭いかもしれません、歩きにくいかもしれません。でも今いる果てしもない砂漠の中の道をあてもなくただ喉の渇きを埋めるために水たまりの水を飲み凌いで歩き進むよりも、新たに表れた狭いかもしれないが緑と光が見える道へと乗り換えて歩き始める事が救いの第一歩なのではないかと思います。
自ら誤ったとわかって進み・歩いてしまった長く太い道をもう振り返らないのです、その道は封鎖して新たに表れた救いの道、狭くて未知でもその道へ乗り換えるのです。
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理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することをわたしが求めますように
わたしたちは与えるから受け
許すから赦され
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