緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2011年12月29日。メモ。ひとを動かす、という発想がある。自分の内部で考えた。食欲

2011年12月29日 12時46分52秒 | ネット生活。
ひとを動かす、という発想がある。


しかし
相手の
精神部分を動かすか
肉体部分を動かすかで、
動かされる側の人の、
動かされ続ける期間が、かわる。

つまり
精神部分は、永遠性をもっている。
肉体部分は、刹那性をもっている。


・・・
あれ?
わかりにくいな?

自分、困ったな?

わかりにくいのは、嫌いなんだ。
もっと、考えるよ?


それにしても
いつだって
人間は、永遠と刹那の二重構造。


うーむ。どうしよう?
わかりづらい。


--


そうだ!

つまり
「食べる」と
「食べない」とかで、できてる! 

これでいこう。


「食べる」の
肉体性と、精神性。

かっこわるいけど
自分の場合は
この手の思考をしたときこそ
脳が冴える!


よし。

「食べる!」で
肉体と精神を
考えよう!


--


「食べる」で考えた場合。


「食べ続けたい」が、
永遠であり、精神性。情熱の一部は、ここにありそう。けど、たまにめちゃくちゃ。

「食べ続けると、死ぬだろーが、ぼけ! 体で、考えんかーい!」が
刹那であり、実存性。または、肉体性。欲の一部は、かなり、ここにある。


しかし
「食べる」で考えると
「精神性が、むちゃいってる」ことが、ありありとわかるな。


--


精神性は、こう語るよ?
「永遠に食べ続けられるものなら、永遠に食べ続けたい」

自分の
精神が考える「食べる」は、これだ。

「食べる」の根源だ。
うそではない。真実だ。


何度読んでも、狂気にちかい。
ものすごく、あぶない。
不気味だ。

肉体性が、
たづなとってるからこそ、なんとかなるほどの
危うさだ。

「永遠に食べ続けられるものなら、永遠に食べ続けたい」

肉体性が
これを許さなくて、
本当に、よかった! 


考える。

もし
肉体性が、少しもなかったら、
私の
食欲リミッターは、はずれていただろうな。

「永遠に食べ続けられるものなら、永遠に食べ続けたい」


・・・

精神性が欲する
「無茶」だけど、
人間の、
誰もがもってる
肉体性ゆえ、通らない。・・・それだけ。

通らなくて、よかったー!


--


だが

そんな
むちゃくちゃな
精神性だが、永遠を担ってる。


そして

食欲面でのみ、
精神性が、大活躍したとたん、
とんでもなく
「ひどい」結果しか出してないね?

今日は
書いてて笑ってしまった。ひどいよね? 精神性。


だけど

わりと
永遠性を求めるのが「精神性」。
役にも立ってる。


でも
それにしても
「永遠の食欲」は、最悪すぎた。


--



けどねー。

肉体性
または、刹那性が、この世で大活躍するとき、
長期的視野をもつもの、または、永遠性を載せようとして生まれたもの
そういうものが
消える気がして・・・。


それで、
肉体性と精神性のこと、考えていたんだ。

「永遠性を載せようとして生まれたもの」が
消える。


--


しかし
ここで
また、食欲的に見ると?


食欲は、
肉体性をもったとき、麗しく花開く。

もりもり食べてるときと、
その前の、
調理してるときが、
食欲の開花時だ。美しい。


もちろん
食欲を満たすことは、刹那な楽しみ。
しかし、
これこそ、開花時なんだ。刹那だ。しかし、美しい。


当ブログ筆者の場合は
アイスクリームが好きだ。

アイスクリームつくったり
アイスクリーム食べたりするとき、この「至福のとき」がやってくる。

もちろん、食は刹那だ。


だが。刹那だけど、永遠だ。

血が騒ぐ。
「食。これこそが永遠だ」と、血が騒ぐ。


けど、やっぱり刹那でもあるよ。食。

数時間もすると、
また、腹が減る。


食べた甲斐が、ない。
まったく、残らない。

私の胃袋は、忘れてしまう。
いままでも、わすれてきた。


これからも、わすれるだろう。
なんという
・・・食の悲しさ。


食ゆえに
そののちくる空腹ゆえに
肉体が
嘆き悲しむ。食の地獄性。


--



大げさなんだけど。

「腹が減る」瞬間の、
やりきれぬ悲しみを癒すため
自分の場合は
「食の精神性」が、生まれてるんだな? 


もともとの
「食」は、
純粋に、肉体性なんだけど。

腹減りになるから。
それ、悲しいから。やリ切れないから。


「精神性」がわからすると、
「永遠に食べつづけていたい」のを、
「肉体性」に、
「無理やり、食べるのやめさせられてる」のに。

その
「肉体性」が、
「肉体性」であるがゆえ
「腹減り。腹減り。食べた甲斐、ない。また、腹減り」と、
嘆き悲しんでるシーンを、
何度でも、見せつけられるはめになる。


肉体性 「美味しかったんだけど。また、空腹になってしまった! ひどい」


・・・
精神性も、
「永遠に食べていたい」とか、
無茶いってたけど。

・・・
肉体性も、あほだな。


あきれた。


そして

ここで
やっと
なにかが生まれる瞬間が・兆しが、くるんだな?


肉体性が、
精神性を生む瞬間だ。

刹那が、
永遠を生む瞬間だ。


・・・
新レシピが、生まれる。

「肉体性が、ばかやってる」
的に、あきれつつ。
「精神性も、無茶やってるけどねー?」


脱力した
新レシピが、生まれるよ?

協力する瞬間だ。


協力する瞬間が、たまにくる。

こういうのが
きっと、肉体性と精神性
という
かなりちがう2つの理念が
無理して
ひとつの体の中、いっしょに住んでいる理由。


よかった。
新レシピが、生まれるよ?


↑ こう書いただけで、唾液が増加するわけです。だから。食は、肉体性であり、そして、精神性にも、ささえられてます。両方ないと、食としての完成度は、高くならない。・・・とか、しみじみ思うわけですが。・・・肉体依存の苦しみ。腹減りだ。きた。腹減り。なんか食べよう。・・・そうだな。新レシピ開発にまで、手を出さなくても、食に耽溺すること、できるよ? だったら、やっぱり、食は、肉体性? 食は、刹那? ・・・肉体性だけじゃ、肉体依存の「食の苦しみ」である「腹減り」に、対処できないじゃないか。食には、精神性も、あるよ。きっと。精神性で、苦しみを癒すんだ。書いてて、わからなくなってきたよー。


・・・
というわけで、悩む。

しかし、食だ。

食は、
肉体性と、精神性の
両方をもったとき、燦然と輝くんだ!

・・・
と、
こう言ったはいいけど
やはり、おおげさ。

自分、恥ずかし。


--


食か。

肉体性が、
精神性を生むこと、あるんだな。


だったら
リアルに目を転じてみる。

刹那も、
永遠を、生むだろう。そのうち。


この世から
永遠成分が
一時減っても、
気にすること、ないのかもしれない。


今は
刹那が
永遠を消そうとしてるように見える時期だけど

増えた
刹那が
また、永遠を呼びそうだ。


きっと
刹那だけでは苦しい。
だから、
刹那性が、永遠性を呼ぶ。


永遠性だって、
ずっと、
永遠やってると苦しいから、
そのうち、刹那性を呼ぶだろう。

・・・と、
予想は、できるんだ。

けど
いまいち、
見えないので、不安。未来は、見えない。まだ、訪れてないからだけど、見えないよ。とにかく。


だが

とぎすまされた
食欲(肉体性そのもの)は、
新レシピ(精神性そのもの)の登場を、
望まないではいられない。


刹那と永遠。

違いすぎるから
互いを、たまにつぶすけど、
気付けば、呼び合ってるんだろうな。また。


--


それにしても

たまに
爆発する精神性・「情熱」の原動力が、
ただの肉体性・「腹減り」だったとは・・・。


当ブログ筆者の、
当ブログ筆者たる
面目躍如シーンなんだけど、恥ずかしいシーンだ。

かっこよくない。


自慢できないなぁ。


--



面白がって
アイスクリームで考えるよ?


アイスクリーム食べ続けたい、という精神性。
アイスクリーム食べ続けちゃだめだよ、という肉体性。


アイスクリーム、絵に描いても美味くない、という精神性。
アイスクリーム、食べた。美味いよ。最高でしょう? もっと楽しもう! もっと元気に食べよう! という肉体性。


アイスクリーム、食べて数時間、また腹減りだ、という肉体性。空腹になったときの、肉体性の叫び。悲しみ。嘆き。

アイスクリーム、買いに行く? つくる? どうする? 本当は、永遠に食べていたいんだけど。それは、ダメなんだよね? よし、つくろう。または、買いに行こう! という精神性。


アイスクリーム。食べたい。食べた。食べたい。食べた。食べたい。食べた。食べたい。食べた。飽きない。でも、もしかしたら飽きた、という肉体性。
アイスクリーム。安定して食べ続けるには、どうすればいいだろう、と考えてしまうのが、精神性。ここで、「永遠に食べてしまう」と、精神性の無茶面が発動する。肉体性に、ブレーキふんでもらわないといけない。


アイスクリーム、と肉体が叫び!
アイスクリーム、と精神が頷く。

アイスクリーム、と肉体が飢え!
アイスクリーム、と精神が新レシピを思う。


アイスクリーム、食べた。美味い。と、肉体性が騒ぎ。
アイスクリーム。絵に描くだけでも、もしかして美味い? と、精神性が、わからんこと言い始める。ここで、肉体性は、だまってしまう。


アイスクリーム。食べることができる形にするまでが、精神性。
アイスクリーム。食べる行為は、肉体性。

美味しいアイスクリームは、その存在をもって
戦いやすい
ひとの内部の
肉体性と精神性を、強固に結びつける。精神と肉体の両方がないと、だめなんだ。

↑ どういう結果に、いってるんだ?!

さあ?


--


そういえば
アイスクリーム食べるには、
冬が、きつい。つまり、寒い。


とんでもないこと
いって、更新終了だ。

「温かいアイスクリーム」は、
ないものか?

↑ ないよ! 温かかったら、アイスではないからね! ないよ!



ない、ですと?
「だったら。手作りアイスクリームの原料で、温かい飲み物つくって、のむ! あきらめない!」

↑ 精神性が、また暴走中ですよー? それにしても「永遠に食べていたい」みたいなのが本音なら、もともと、精神性というもの自体が、暴走しやすい何かを秘めてるんだろうな。燃料を、内在させてるんだろうな。・・・。結果、レシピ開発が進むから、自分は、いいんだけどね? 
美味しく生きよう。


--


おわり ひょうたんから駒だった。アイスだ。冬もアイスだ。ドリンク・アイスクリームだ! うれしいな。工夫して飲むつもり。

最新の画像もっと見る