スーパーで売っているレベルのものなら大体普通に開くのですが、その辺のお店で買ったりするパッケージは開かない率高し!日本で開けようとして取っ手だけ取れちゃった経験は私いまだに無いです。インドネシアでは一度ですんなり開くと思うなかれ。
うかつに引いて取っ手が取れてしまったら、開け口を包丁で切り込んで開けるのですが、私は包丁を使って開けて、包丁を洗うのが面倒くさいのでどうしてもタブを引っ張って一度で開けたい!ゆーっくり慎重に引っ張ると意外と開く率が上がるので(そもそもおかしいけど)、ゆっくり引っ張るんですが、ダメな時はダメ。最初に包丁でひと刺ししておけば、そこからすんなり開くのに、面倒くさがると時間も手間もかかってダメ。無精していけませんね。インドネシアひと手間もふた手間もかけさせられます。ちなみにこちら新鮮豆乳。1リットルボトルで約200円弱。
今まで自分が育児の中で大切にしてきた事。それは「褒めること」です。
年齢の近い子供が4人もいれば怒る事の方が多い場面があると思いますが、私は早々に気がついたのです。怒っていて一番損をするのは誰か?自分じゃないか!と(笑)
1人怒るならまだしも、それが4人分なんて体力もメンタルも持つはずがない。それで割と早い頃から怒る事をしなくなりました。そもそも怒るというのは母としての自分のキャパがいっぱいになった時にエモーショナルになる事だと思っているし、のちのち後悔するということは感情に任せて声を荒げてしまったってこと。正しくは適所で叱るほうがニュアンスとしてはあってるのかな。もちろん4人もいるわけだから自分もストレスマックスになって怒った事も怒鳴った事も後悔した事も何度もあります。でもどちらかというと、頻度は少ないと思う。そして子供を褒めて、乗せて、手玉に取ってきたからこそ(笑)怒るシチュエーションが少なくなっていったのかな、とも思います。
子供と遊ぶときは遊ぶ。基本怒らないし、全力で助けてきたつもり。だから私が怒ったときは本当に怖いと思うし、みんなもヤバイ…と感じてる空気が流れます。みんなが小さな身体で一生懸命に新しい事に向き合ってきた時間、私も一緒に向き合ってきたつもりでもあります。すぐ泣くし、自分(笑)
ここ数年、よく自己肯定感という言葉を目にします。まさにそれなんだと思います、私が目指していたところ。子供達は今は私の手元にいて、私の管理下で生活していますが、いずれ巣立つ時も来るし、その時から頼りにすべきものは自分自身しかいないのです。自分自身に自信を持っていなかったり、自分の決断を信じて選択することをしていけなかったら、生きていけないから。親は子どもが巣立つまで預かっている存在にすぎないから。
日本で6年くらい生活していた為、やはりスタンダードが日本。そして極端にカルチャーギャップのあるインドネシアにきてしまったため、やはり最初は学校に馴染むのも大変だったし、いつも日本に帰りたい帰りたい言っていました。その時の合言葉が夏休みには帰って楽しもう!それまで踏ん張ってここで出来る最大の努力をしよう!
インドネシアに来て1年後の夏休みはコロナのせいで帰国できず。その時の目標は次の夏は絶対に帰ろう!何が何でも帰って遊ぼう!(その頃にはコロナも落ち着いていると思っていたし)ところが、全然そんなことないじゃん(笑)そして2年目の夏も帰国できなそうということは子供達に今日初めて伝えました。長女は日本へ帰って小学生最後の時間を味わいたかったみたいだし、悲しいニュースに泣いてしまいました。そりゃそうだよ。大人の私だって帰りたいもん。みんなガッカリ。泣く子、言葉を失う子、反応はそれぞれ。2年もここで頑張ったんだもん、そりゃ楽しいことしたいよ。インドネシアもジャカルタならきっと楽しい事もっとあるんでしょうが、ここは何もない。辛い気持ちも嫌という程分かる。
しばしみんなでコロナという状況をディスったあと、前向きに考える話をしました。旦那が外国人である場合、やはりどこに住んで落ち着くのかというのは悩ましい問題です。
日本がいいからとすぐ日本に帰るのは簡単だよ、と。あっちがいいからあっち、でも違ったからこっち…そういう切り替えの早い選択肢もあると思います。でも私は親としてここでののんびりした教育も悪くないんじゃないかなと思っています。日本とは比べものにならないほどのルーズさはあります。右向け右!じゃない事のいい点も悪い点もあります。でも今は子供達の人間力といいますか、テストの点数じゃない、何事にもチャレンジしていけるたくましい気持ちを育てたい。右向けばムスリムの子ども、左を向けばクリスチャンの子ども。先生はカナダ人だったりフィリピン人だったり。色んなミックスな環境をミックスと感じず過ごせるのはここのいい所だと思っています。
そんな大見得を切っても、やはりなんでもある日本がいいよなぁと揺れる弱い心を持ち合わせているのも事実です(笑)
もちろんチアリーダーの私が弱音を吐いてはいけないので、裏事情はこのようにblogに吐き出して、子供の前ではなんでも褒める!三女は今日出来た単語テストの事。一年前はアルファベットも何か知らなかったのに、今日はインドネシア語の単語テスト満点だよ!すごくない?と。長女は今日やった理科のテスト。間違ってたかもしれないけど、自信を持って答案を埋められたこと。今までは問題すら分からなかったのに、すごくない?と。嘘をついて褒めるのは良くないけど、毎日何かしら成長したなぁと思う事を褒めるようにしています。だって、やっぱり褒められたら嬉しいもん、みんな。
褒められる事で自信がついて、自分で次も頑張ろう!という気持ちが少しでも生まれてくれたらチアリーダー冥利に尽きる。そんな毎日です。
前向きな言葉で魔法をかけるようにもう思い込ませちゃう(笑)そんな作戦です。
✳︎写真は日本の幼稚園の途中でインドネシアに来て、いきなり1年生に入ってしまった字という字をほぼ書けてなかった三女。いきなり学校の英語環境に放り出されて、1年生終わった時点でほぼ自分の名前しか書けなかった三女。最近では随分英語もかけるようになって来ました。もち褒めポイント!(笑)
まだアメリカで生活していた頃に始めたblog。華僑インドネシア人の夫との異文化生活をフィールドワークとして色々記していましたが、気がつけば子供が4人、住まいはアメリカから日本へ移り、そして今がインドネシアに。育児に追われて止まっていたブログも今となっては良き思い出ばかり。
これから第2章として、ここインドネシアでの時にあり得ない体験の日常を子供の異文化体験や言語習得、私のサバイバルスキルの向上グラフを追う形で備忘録として再開しようかな、という感じ。
今から15年前にまだblogをアメリカで書いていた頃はまさか自分がインドネシアに移り住むとは微塵にも思っておらず。日本に住むことすら予定していなかったけど、人生何が起こるか分からない。
インドネシアに越してきて早くもあと数ヶ月で2年。コロナのせいでまだ一度も日本へ里帰り帰国が叶わず。日本で生活が長かった子供にはインドネシアの全く違う環境、特に外を自由に歩いたり遊びに行ったり出来ない環境が不便。みんな我慢してよくやってると思います。そして通っている学校はもう1年以上もオンライン授業。最初の3カ月は親も子も学校の先生ですら振り回された感じでしたが、今は色々とオンラインの環境も整っています。学年終わりが6月なので、一学年分友達とも先生とも会わずして進級する予定です。果たして新しい年度も学校は開くのかどうか…。
とりあえず、母もこの一年辛かった。一日中子供と一緒。家事に3食。寝るまでママーママーと自分の時間はなし。子どもは英語がまだ完璧に出来ないので、勉強のサポートして課題提出×4人分。子どもも頑張ってるんだ。世界中みんな頑張ってる。でもお母さんとは、あまり誰も褒めてくれない存在なので、ここで自分で大変だった旨を吐き出しておく(笑)
いつかここを出るかもしれない。いや、出られないかもしれない(笑)でもそのいつかが来るまでの私の異文化体験備忘録。
Es campur(果物とかゼリーとか色々入ったデザート)とEs serai limau(レモンティー)