1887年帰国して清国北洋艦隊最新鋭ー靖遠巡洋艦
1 三角形清国国旗
2 五色立錨提督旗
靖遠巡洋艦は清国がイギリスアームストロング社に発注した高速穹甲巡洋艦であります。
1896年12月4日下水 1887年7月9日竣工 1897年11月 イギリス製致遠巡洋艦、ドイツ製来遠巡洋艦、ドイツ製経遠巡洋艦と共に帰国
排水量 2300トン 全長 76.2m 全幅 11.58 吃水4.57m 最大速力 18.5ノット
航続距離10ノット/6000海里 乗員 204〜260名
兵装 クルップ 21cm(35口径)主砲(ライフル)3基
アームストロング15.2cm(35口径)副砲2基
オチキス5.7cm(40口径)単装速射砲2基 4.7cm速射砲2基 3.7cm(23口径)速射砲6基
グリーン機関砲4基
魚雷発射管4基
靖遠装甲巡洋艦 艦長 叶祖圭 副将
黄海海戦 1894年9月17日勃発 午後5時靖遠巡洋艦は定遠装甲艦を代わりに五色立錨旗を掲げて戦闘を指揮します。諸艦は靖遠巡洋艦に伴って北洋海軍は生勢が回復して連合艦隊に攻撃します。連合艦隊は北洋海軍の劉公島からの援軍を恐れて戦わずに退陣します。
1895年威海の戦いが勃発します。2月5日夜、日本連合艦隊魚雷部隊は威海湾内へ突入させて魚雷攻撃します。北洋艦隊旗艦「定遠装甲巡洋艦」は魚雷攻劇を受けて大破して擱座します。北洋海軍提督丁汝昌は再び「靖遠巡洋艦」にて提督旗を掲げて戦闘を指揮します。2月9日 靖遠巡洋艦は日本陸軍第2師団が占領された鹿角嘴から発射した砲弾が命中されて擱座して自沈します。
北洋海軍の失敗は中国洋務派の改革が清国の再起を図ることが不可能に成ります。