義父、義母、実母の3人の親 西川ヘレンさんが語る壮絶な「多重介護」の日々
結婚した平成元年、嫁いだその日から 家事を全部してきた。
姑の食事の世話も、病院の送迎も 付き添いも・・・
平成3年ごろからなんか・・・・ん?
その頃は なんかピントがずれているのか?程度で、あまり気にしなかったけど・・・
H8年ごろから もうはっきり、おかしいと思っていた。
何度も食事を欲しがる。
何度も同じ行動をする。
出かけて帰ってこれなくなる。
お金が無くなったと騒ぎ出す。
施設のお世話になったのはH14年ごろから。
送迎バスの中で暴れて それからは私がデイサービスへ送迎。
毎日ね。
H20年ごろ 足腰もダメになって 寝たきりになって
H21年に亡くなった。
夫や親戚たちは私のやっていることは 当然のことなのでなんとも思っていない。
汚物にまみれた服を洗濯するのだって 「嫁なんだから」と言い放ち、
お茶をすすりながらテレビのナイター見てる。
姑がいなくなって 私の仕事が終わった。
同時に別居 そして、離婚
いらない。
家族だと思ったことはない。
邪魔
誰も助けてくれなかった。
ヘレンさんは・・・捨てられなくてよかったね。
結婚した平成元年、嫁いだその日から 家事を全部してきた。
姑の食事の世話も、病院の送迎も 付き添いも・・・
平成3年ごろからなんか・・・・ん?
その頃は なんかピントがずれているのか?程度で、あまり気にしなかったけど・・・
H8年ごろから もうはっきり、おかしいと思っていた。
何度も食事を欲しがる。
何度も同じ行動をする。
出かけて帰ってこれなくなる。
お金が無くなったと騒ぎ出す。
施設のお世話になったのはH14年ごろから。
送迎バスの中で暴れて それからは私がデイサービスへ送迎。
毎日ね。
H20年ごろ 足腰もダメになって 寝たきりになって
H21年に亡くなった。
夫や親戚たちは私のやっていることは 当然のことなのでなんとも思っていない。
汚物にまみれた服を洗濯するのだって 「嫁なんだから」と言い放ち、
お茶をすすりながらテレビのナイター見てる。
姑がいなくなって 私の仕事が終わった。
同時に別居 そして、離婚
いらない。
家族だと思ったことはない。
邪魔
誰も助けてくれなかった。
ヘレンさんは・・・捨てられなくてよかったね。
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