最近、いろんな出来事に対して、思うことや感じ
ること、どうするべきか、何が正しいのか間違っ
ているのか、さっぱり分からなくなってしまいま
した。
たとえば、主人は娘に対して、あまり勉強ができ
る子じゃないから、看護師の資格を取れば、今後
生きていくのに、娘のためになると思い、
英語が大好きだった娘の気持ちを全く考えずに、
看護科に進むように勧めました。というか、説得
しました。
結局、看護科に入ったものの、本人がやる気がな
いので、ますます勉強についていけず、辞めて
就職したいという気持ちになっています。
主人は、子どもの将来ために金を出してやるって
言ってるのに!
と言いつつ、心配なので、辞めるなら通信大学で
資格取らせるとか、短大でも行かせた方が、いい
んじゃないか、とか、主人なりに娘の心配をして
いるのですが、
娘は、やりたいことをやらせてもらえなかった
恨みと諦めに加え、資格や学歴のことばかり
言われるので、本来、就職に有利になるためには
大事なことなのですが、必要以上に反発して
しまっています。
娘の気持ちを考えると、本当にかわいそうだな、
と思います。
主人は主人で、子どものことで一生懸命で、その
表現の仕方は上手くできてないかも知れない
けど、主人の一生懸命さが、よく分かるので、
思う通りにならなくて、悔しそうだな、と思い
ます。
これから、どういう道を進む選択肢があるのか、
上の子と話してみましたが、
生きていくために働かなくてはいけないけど、
働きながら自分のやりたいことを目指した方が
いいような気がします。まだ若いので…
主人は、今は看護師にならないことに対して、何
を考えているんだ!とブツブツ言ってますが…
今からできることを、協力してあげようよ、って
言いたいです。
でも、今言うと、お前が甘いからこうなった、
とか、じゃあお前が1人で育てろ、とか言いかね
ないので今は言いませんが…
主人の気持ちが変化するのを待つしかないです。
もちろん、娘の気持ちも大事にしていかないと
いけないし…
一人一人の気持ちに寄り添うと、何が正しくて
間違っているのか、全然分からなくなります。
この人には、こう言うべき、とか、考えても違う
ような気がします。話し合いながら一緒に考え
ていくことしか、私にはできませんが…
ただ、娘とあまり話ができない、というか、
ちょっと投げやり気味な感じなので、うまく
伝えることがなかなかできません。
ちゃんと聞いてくれないと、また、私の方が腹が
立って、自分のことなんだから、一生懸命考え
なさい!って言いたくなります。
先日も書きましたが、勉強しない末っ子くん
にも、気持ちでは、勉強だけに拘らずに、好きな
ことをがんばってほしい、と思いつつ、
私が口を開けば、今、勉強しない子どもに腹が
立って、傷つけてやる気をなくさせてしまうだけ
なので、
娘にしても、末っ子くんにしても、本人なりに
考えているんだから、傷つけるくらいなら、黙っ
ていた方が、絶対いいと、今日も反省しました。
先日、以前から読んでみたいな、と思っていた
ラマナ・マハルシの対話の本が、なんと
Kindle Unlimitedで何冊か読めることが
分かり、嬉しくて読み始めました。内容は…
なかなか難しいです。それに書いてあった、
「真我を実現する」という言葉を、今は意識して
生活してみています。
自分の身体も、思考も、「私」じゃなくて、行動
してる、考えている「私」を常に観察している
「私」が真我なのだそうです。多分。
じゃあ、今、家族内の問題を抱えて悩んでいる私
は、私じゃなくて、観察者の視点で考えた場合
(と考える私は観察者ではないと思うのですが)
家族の問題に対して、どんな対応ができるん
だろうか、って、考えてます。
真我に対しての捉え方が、まだよく分かって
いませんが、少なくとも、家族の問題にどっぷり
ハマって、苦しんだり、身動きができないような
感じにはならないでいられるような気はします。
問題を、思考を入れずに見つめる。そこでまた、
こうした方がいいんじゃないかな?と「思う」
気持ちは、真我ではないと思うのですが…
(⌒-⌒; )
なかなか…
かなり前に買った、バガヴァッド・ギーターと
いう本があって、理解できないところが多かった
のですが、なんとなく興味があって、時々読ん
でいました。
そしたら、なんと、ラマナマハルシの話の中に、
ちょくちょくバガヴァッド・ギーターのことが
出てくるのでますます興味が湧きました。
真我について、もし本当に理解することができ
たら、今まで考えていた輪廻転生のことや引き
寄せの話など、全部消え去りそうです。
もっと深い、もっと真実な感じしてます。
だけどやっぱり、瞑想的なことは大事なんだ
ろうな、っていう気はします。
家族の問題、自分の問題も山積みなんですが、
自分の生き辛さは、真理に辿り着くために必要が
あって起こってることなんだろうなぁと考える
この思考は、真我ではなくて、多分自我です。
問題があって、自分は不幸だって思いながら
生き続けて良かったって、思います。ホントニ
そうなると、瞬間瞬間が、本当に幸せなんだな、
って思えます(これも自我です)
すみません、訳の分からないことを書いてい
ますが、ひとつだけ今、理解できているのは、
人の中に誤りや指摘したいことがある場合、
それは、必ず自分の中にあるものだそうです。
自分では気付かないことを他人を通して知る
ことができるチャンスなのです。
「人の振り見て我が振り直せ」という諺?が
ありますが、インドの教えにも、同じことがある
というか、もっと深い…「絶対」自分の中にある
んで、人の嫌なところやダメなところが気になっ
たら、自分のことをしっかり見つめてみようと
思います。子育てなんかは、その典型だと思い
ます。まだまだ学びはいっぱいです。
真我の探究はこれからですo(^-^)o