
インドに入った週の終末、一人のKadambの生徒が地元で行われた舞踊コンクールでアワードを受賞した。
ルーパンシーちゃんは20代の可愛らしい女の子。
お母さんもカタックダンサーでKadambで現役の舞踊家さん。
ちょうどその稽古は山場を迎えていた。
朝のフットワークのレッスンを終えると別室でKumibenの特訓を受ける。
サポートにKadambのシニアやママ、ミュージシャンがつく。
汗と涙にびっしょりになりながら
それでも最強のサポートを得て、徹底的に指導されて
本当に羨ましかった。
私はアワードに取りくんだ経験が無い。
残念ながら日本では民族舞踊のジャンルで参加できる舞踊コンクールが
殆んど無い。
それにそういうことに重きを置いてこなかったとも言える。
kadambのみんなと緊張と応援の気持ちを抱えてオーディトリアムへ向かう。
素っ気ない舞台で、袖も無くて、踊っている舞台の横の方を
ひとが通り過ぎるような(インドでは間々あることだけど)そんな舞台。
ライティングも舞台のいちばん前に来ると顔に当たらないという
まぁ日本じゃ考えられないような舞台だった。
最終選考に残った4名の為のコンサートだった。
Kumibenが最初にプジャをし、パドマブーシャンのお祝いを受けた。
1人目はバラタナティヤム。
ポチャッとした女の子。
私達は途中で席を立ってしまい、会場の外でKadambのシニアと話し込んでいた。
2人目はカタック、ジャイプールガラナ。
クラシックなコスチュームも良かったし、あてがわれたコンポジションを懸命にこなしていたと思うけれど、私はコレオグラフィーによって舞踊家の見え方ってこんなにも違うんだ!!!とショックを受けた。
舞踊表現の幅、技、完成度、どれをとってもルーパンシーには到底叶わない様子だった。
3人目はオディッシー。
その子は本当に一生懸命だったのだと思う。
きっと人生で数回目のソロで、色々な事を学ぶ途中だったのだろう。
突如として舞台の真ん中でヘナヘナと倒れこんでしまい、
客席はあっと固唾を呑んだ。
すぐに関係者が舞台へ駆け上がり楽屋へ運び込む。
お医者様はいませんか?と声が上がる。
結局彼女はあまりにナーバスだった。
終演の頃には客席に戻りしくしく泣き崩れていた。
そして4人目のルーパンシーの番が来た。
唯一の生演奏での上演。
ミュージシャンが白いクルタを身にまとい舞台へ上がる。
シニアのPreshantがマイクのセッティングを手伝い、
Kumibenが客席からサウンドチェックにgoを出す。
もうそれだけでKadambのサポートの厚さを実感した。
これからsoloを踊るジュニアの舞踊家にとってどれ程心強いか分からない。
サーランギーの響きに乗せて長くパワフルなTabla Soloで
先程の事故のネガティブなエネルギーが一気に変わり、観客を引きつける。
大きな大きな拍手。
初々しく美しいルーパンシーは練習の成果とともに彼女の個性と魅力を
発揮して輝いていた。
強いフットワークには必ずわっと拍手が湧き起こり、
衣装も映えていた。
歌はバンスリーワーラーだった。
去年私も取組んだ楽曲で、振付と表現が全然違った分、学びも多かった。
音楽家と舞踊家との関係もすごい勉強になった。
もう10年も毎日顔をあわせ稽古していることのリレーション、
阿吽の呼吸は私はまだどの音楽家とも作り出せていない。
もっと言えばタブラとカタックの関係に集約される。
パフォーマンスの高揚のすごい事といったら・・・
沢山のシニア舞踊家が観ていて嫉妬したほどだった。
いいパフォーマンスってこういうものを言うと思った。
ダンスはまだ幼さも残り荒削りだったかもしれないけれど
惜しみなく拍手を送った。
ルーパンシーちゃんは20代の可愛らしい女の子。
お母さんもカタックダンサーでKadambで現役の舞踊家さん。
ちょうどその稽古は山場を迎えていた。
朝のフットワークのレッスンを終えると別室でKumibenの特訓を受ける。
サポートにKadambのシニアやママ、ミュージシャンがつく。
汗と涙にびっしょりになりながら
それでも最強のサポートを得て、徹底的に指導されて
本当に羨ましかった。
私はアワードに取りくんだ経験が無い。
残念ながら日本では民族舞踊のジャンルで参加できる舞踊コンクールが
殆んど無い。
それにそういうことに重きを置いてこなかったとも言える。
kadambのみんなと緊張と応援の気持ちを抱えてオーディトリアムへ向かう。
素っ気ない舞台で、袖も無くて、踊っている舞台の横の方を
ひとが通り過ぎるような(インドでは間々あることだけど)そんな舞台。
ライティングも舞台のいちばん前に来ると顔に当たらないという
まぁ日本じゃ考えられないような舞台だった。
最終選考に残った4名の為のコンサートだった。
Kumibenが最初にプジャをし、パドマブーシャンのお祝いを受けた。
1人目はバラタナティヤム。
ポチャッとした女の子。
私達は途中で席を立ってしまい、会場の外でKadambのシニアと話し込んでいた。
2人目はカタック、ジャイプールガラナ。
クラシックなコスチュームも良かったし、あてがわれたコンポジションを懸命にこなしていたと思うけれど、私はコレオグラフィーによって舞踊家の見え方ってこんなにも違うんだ!!!とショックを受けた。
舞踊表現の幅、技、完成度、どれをとってもルーパンシーには到底叶わない様子だった。
3人目はオディッシー。
その子は本当に一生懸命だったのだと思う。
きっと人生で数回目のソロで、色々な事を学ぶ途中だったのだろう。
突如として舞台の真ん中でヘナヘナと倒れこんでしまい、
客席はあっと固唾を呑んだ。
すぐに関係者が舞台へ駆け上がり楽屋へ運び込む。
お医者様はいませんか?と声が上がる。
結局彼女はあまりにナーバスだった。
終演の頃には客席に戻りしくしく泣き崩れていた。
そして4人目のルーパンシーの番が来た。
唯一の生演奏での上演。
ミュージシャンが白いクルタを身にまとい舞台へ上がる。
シニアのPreshantがマイクのセッティングを手伝い、
Kumibenが客席からサウンドチェックにgoを出す。
もうそれだけでKadambのサポートの厚さを実感した。
これからsoloを踊るジュニアの舞踊家にとってどれ程心強いか分からない。
サーランギーの響きに乗せて長くパワフルなTabla Soloで
先程の事故のネガティブなエネルギーが一気に変わり、観客を引きつける。
大きな大きな拍手。
初々しく美しいルーパンシーは練習の成果とともに彼女の個性と魅力を
発揮して輝いていた。
強いフットワークには必ずわっと拍手が湧き起こり、
衣装も映えていた。
歌はバンスリーワーラーだった。
去年私も取組んだ楽曲で、振付と表現が全然違った分、学びも多かった。
音楽家と舞踊家との関係もすごい勉強になった。
もう10年も毎日顔をあわせ稽古していることのリレーション、
阿吽の呼吸は私はまだどの音楽家とも作り出せていない。
もっと言えばタブラとカタックの関係に集約される。
パフォーマンスの高揚のすごい事といったら・・・
沢山のシニア舞踊家が観ていて嫉妬したほどだった。
いいパフォーマンスってこういうものを言うと思った。
ダンスはまだ幼さも残り荒削りだったかもしれないけれど
惜しみなく拍手を送った。
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