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インドのカタック舞踊☆東京ガラナ

インド古典舞踊「カタックダンス」舞踊家、振付家の前田あつこのブログです。カダムジャパン主宰。atsukathak.com

アワードに挑むひと

2010-02-22 | インド日和~旅日記~
インドに入った週の終末、一人のKadambの生徒が地元で行われた舞踊コンクールでアワードを受賞した。

ルーパンシーちゃんは20代の可愛らしい女の子。
お母さんもカタックダンサーでKadambで現役の舞踊家さん。

ちょうどその稽古は山場を迎えていた。

朝のフットワークのレッスンを終えると別室でKumibenの特訓を受ける。
サポートにKadambのシニアやママ、ミュージシャンがつく。
汗と涙にびっしょりになりながら
それでも最強のサポートを得て、徹底的に指導されて
本当に羨ましかった。


私はアワードに取りくんだ経験が無い。
残念ながら日本では民族舞踊のジャンルで参加できる舞踊コンクールが
殆んど無い。
それにそういうことに重きを置いてこなかったとも言える。


kadambのみんなと緊張と応援の気持ちを抱えてオーディトリアムへ向かう。
素っ気ない舞台で、袖も無くて、踊っている舞台の横の方を
ひとが通り過ぎるような(インドでは間々あることだけど)そんな舞台。
ライティングも舞台のいちばん前に来ると顔に当たらないという
まぁ日本じゃ考えられないような舞台だった。

最終選考に残った4名の為のコンサートだった。
Kumibenが最初にプジャをし、パドマブーシャンのお祝いを受けた。

1人目はバラタナティヤム。
ポチャッとした女の子。
私達は途中で席を立ってしまい、会場の外でKadambのシニアと話し込んでいた。

2人目はカタック、ジャイプールガラナ。
クラシックなコスチュームも良かったし、あてがわれたコンポジションを懸命にこなしていたと思うけれど、私はコレオグラフィーによって舞踊家の見え方ってこんなにも違うんだ!!!とショックを受けた。
舞踊表現の幅、技、完成度、どれをとってもルーパンシーには到底叶わない様子だった。

3人目はオディッシー。
その子は本当に一生懸命だったのだと思う。
きっと人生で数回目のソロで、色々な事を学ぶ途中だったのだろう。
突如として舞台の真ん中でヘナヘナと倒れこんでしまい、
客席はあっと固唾を呑んだ。
すぐに関係者が舞台へ駆け上がり楽屋へ運び込む。
お医者様はいませんか?と声が上がる。
結局彼女はあまりにナーバスだった。
終演の頃には客席に戻りしくしく泣き崩れていた。

そして4人目のルーパンシーの番が来た。
唯一の生演奏での上演。
ミュージシャンが白いクルタを身にまとい舞台へ上がる。
シニアのPreshantがマイクのセッティングを手伝い、
Kumibenが客席からサウンドチェックにgoを出す。
もうそれだけでKadambのサポートの厚さを実感した。
これからsoloを踊るジュニアの舞踊家にとってどれ程心強いか分からない。

サーランギーの響きに乗せて長くパワフルなTabla Soloで
先程の事故のネガティブなエネルギーが一気に変わり、観客を引きつける。
大きな大きな拍手。
初々しく美しいルーパンシーは練習の成果とともに彼女の個性と魅力を
発揮して輝いていた。
強いフットワークには必ずわっと拍手が湧き起こり、
衣装も映えていた。
歌はバンスリーワーラーだった。
去年私も取組んだ楽曲で、振付と表現が全然違った分、学びも多かった。
音楽家と舞踊家との関係もすごい勉強になった。
もう10年も毎日顔をあわせ稽古していることのリレーション、
阿吽の呼吸は私はまだどの音楽家とも作り出せていない。
もっと言えばタブラとカタックの関係に集約される。
パフォーマンスの高揚のすごい事といったら・・・

沢山のシニア舞踊家が観ていて嫉妬したほどだった。

いいパフォーマンスってこういうものを言うと思った。

ダンスはまだ幼さも残り荒削りだったかもしれないけれど
惜しみなく拍手を送った。

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