なぜか涙がじわんと溢れ出してきたので
隣に座って観ていた素敵な女性と言葉を交わすことが出来なくなってしまった。
開演五分前、赤レンガ倉庫のホールの2列目に腰を下ろし始まるのを待つ間、
隣の女性に声をかけたのだった。彼女は前列に小学生の息子を座らせていて、時々話をしていたので
「どうしてこの公演に息子さんを連れていらしたのですか?」と聞いたのでした。
夏休みの終わり、それは素敵なことだと思ったからなんだけど、
このどう見ても普通の少年にAkramの舞踊作品を観せてみようと思う親心を知りたかったからでもある。
彼女はインドを旅したことがあり、学校で配られたDDDat横浜2018のチラシをめくりながら
ふと目にしたこの公演へ来てみたとのことだった。どうやら周りの子供たちも似たように母に手を取られて
何が始まるかわからないままそこに座っている様子だった。
終演後、彼女もまた泣く間際だった(と思う)。あらまぁ、本当に良かったわ。感動しちゃった。
なんだかその言葉がアクラムカンカンパニーの「チョット・デッシュ」を総称している気がした。
世界中で愛され、繰り返し上演されているという所以か。
実のところ、Akramが来日する訳では無い様だったので私はあまり興味を持っていなかった。
むしろカダムジャパンのみんなが「カタックベースのダンスを観るなんてなかなか無いことなんだから
観に行きましょうよ」と誘ってくれてチケットも取ってくれたのでした。
私は平日昼に行けるならいっか、くらいのノリで。
この日のダンサーはNicolas Ricchini でした。フィリピン生まれ、スペインでコンテンポラリーダンス
を学び、キューバで活動を始め…
後の固有名詞にはついていけない。でも異文化の中をしなやかに生きる為に色々なことを経験された方なのだろう。
予想外に日本語のナレーションで進行していくストーリーの主人公がAkramだったので
彼の人生を想像しながら、私の知っているサブストーリーをオーバーラップさせながら
まだ会ったことのない彼を想い、色々な感情が体の中を駆け巡っていった。
カタックを基調とするムーブメントやスピンが随所に出てくるし、
映像や音楽やナレーションの言葉の端々や、マイムの仕草の取り方などあちこちにインド(実際はバングラディッシュだろう)
を感じて、どんどん世界観に吸い込まれていって。
アラフォーという真ん中の世代に自分がいて、
親もいて、子もいるという立場で観たのがまたアレだと思った。(隣に座った彼女も同じね。)
ズキュンと体の真ん中を射抜いていったんだな〜。
Nicolasはカタックの基礎があった訳ではないだろうに
Akram節のムーブメントを完全に取り入れるのにどれ程努力されていることか。
一時間、息を切らすことなく、観客の集中を逃さない、素晴らしいストーリーテイラーだった。
磨かれたボディからほとばしる様に繰り出されるムーブメントの波がわ〜っと私たちを包み込んで
楽しませてくれた。照明遊びや絵画とのコラボレーションなど面白い演出も楽しかった。
という訳で。私は久々にすごく感動したし、気づいたら泣いていた。
ダンスを観たあと、心の琴線にふれ、お客様が涙が出ているというのは私の憧れで成功のバロメーター。
ここを目指したいというそのポイント。四回のカーテンコールより、ブラボーの声より。
それでずっと、どうして泣いちゃうほど感動したのかしら?と思うけど、よく分からなかった。
インド映画を観た後の喜怒哀楽ぜんぶの感情がコツコツとノックされて揺れ動いた感じに似ている?!
心の中をぽわんと温めてくれて、
帰宅して子供たちを抱きしめる瞬間にやっと着地するみたいな…アレだったな。
ほら、やっぱり言葉にならないな。
https://dance-yokohama.jp/ev_akramkhan/
これから横浜でこんな調子でオーガナイズされた素晴らしい作品を
観て観て、毎日観ている人たちに
「カタック舞踊祭」を観て貰う恐怖。
純粋カタック、
何一つの装置や効果の無い中で、ボディとスタイルだけで魅せる
どうなんでしょうね?
感想を伺いたいと思いますので、
稽古。しよ。
衣装は、明日できて空輸、間に合いそうで良かった。
あとはあの方のvisaだけ。。。
取れる様に一緒に願っていてください^^;
参照:印パ戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E5%8D%B0%E3%83%91%E6%88%A6%E4%BA%89
バングラディッシュも巻き込まれていたんだねぇ。
隣に座って観ていた素敵な女性と言葉を交わすことが出来なくなってしまった。
開演五分前、赤レンガ倉庫のホールの2列目に腰を下ろし始まるのを待つ間、
隣の女性に声をかけたのだった。彼女は前列に小学生の息子を座らせていて、時々話をしていたので
「どうしてこの公演に息子さんを連れていらしたのですか?」と聞いたのでした。
夏休みの終わり、それは素敵なことだと思ったからなんだけど、
このどう見ても普通の少年にAkramの舞踊作品を観せてみようと思う親心を知りたかったからでもある。
彼女はインドを旅したことがあり、学校で配られたDDDat横浜2018のチラシをめくりながら
ふと目にしたこの公演へ来てみたとのことだった。どうやら周りの子供たちも似たように母に手を取られて
何が始まるかわからないままそこに座っている様子だった。
終演後、彼女もまた泣く間際だった(と思う)。あらまぁ、本当に良かったわ。感動しちゃった。
なんだかその言葉がアクラムカンカンパニーの「チョット・デッシュ」を総称している気がした。
世界中で愛され、繰り返し上演されているという所以か。
実のところ、Akramが来日する訳では無い様だったので私はあまり興味を持っていなかった。
むしろカダムジャパンのみんなが「カタックベースのダンスを観るなんてなかなか無いことなんだから
観に行きましょうよ」と誘ってくれてチケットも取ってくれたのでした。
私は平日昼に行けるならいっか、くらいのノリで。
この日のダンサーはNicolas Ricchini でした。フィリピン生まれ、スペインでコンテンポラリーダンス
を学び、キューバで活動を始め…
後の固有名詞にはついていけない。でも異文化の中をしなやかに生きる為に色々なことを経験された方なのだろう。
予想外に日本語のナレーションで進行していくストーリーの主人公がAkramだったので
彼の人生を想像しながら、私の知っているサブストーリーをオーバーラップさせながら
まだ会ったことのない彼を想い、色々な感情が体の中を駆け巡っていった。
カタックを基調とするムーブメントやスピンが随所に出てくるし、
映像や音楽やナレーションの言葉の端々や、マイムの仕草の取り方などあちこちにインド(実際はバングラディッシュだろう)
を感じて、どんどん世界観に吸い込まれていって。
アラフォーという真ん中の世代に自分がいて、
親もいて、子もいるという立場で観たのがまたアレだと思った。(隣に座った彼女も同じね。)
ズキュンと体の真ん中を射抜いていったんだな〜。
Nicolasはカタックの基礎があった訳ではないだろうに
Akram節のムーブメントを完全に取り入れるのにどれ程努力されていることか。
一時間、息を切らすことなく、観客の集中を逃さない、素晴らしいストーリーテイラーだった。
磨かれたボディからほとばしる様に繰り出されるムーブメントの波がわ〜っと私たちを包み込んで
楽しませてくれた。照明遊びや絵画とのコラボレーションなど面白い演出も楽しかった。
という訳で。私は久々にすごく感動したし、気づいたら泣いていた。
ダンスを観たあと、心の琴線にふれ、お客様が涙が出ているというのは私の憧れで成功のバロメーター。
ここを目指したいというそのポイント。四回のカーテンコールより、ブラボーの声より。
それでずっと、どうして泣いちゃうほど感動したのかしら?と思うけど、よく分からなかった。
インド映画を観た後の喜怒哀楽ぜんぶの感情がコツコツとノックされて揺れ動いた感じに似ている?!
心の中をぽわんと温めてくれて、
帰宅して子供たちを抱きしめる瞬間にやっと着地するみたいな…アレだったな。
ほら、やっぱり言葉にならないな。
https://dance-yokohama.jp/ev_akramkhan/
これから横浜でこんな調子でオーガナイズされた素晴らしい作品を
観て観て、毎日観ている人たちに
「カタック舞踊祭」を観て貰う恐怖。
純粋カタック、
何一つの装置や効果の無い中で、ボディとスタイルだけで魅せる
どうなんでしょうね?
感想を伺いたいと思いますので、
稽古。しよ。
衣装は、明日できて空輸、間に合いそうで良かった。
あとはあの方のvisaだけ。。。
取れる様に一緒に願っていてください^^;
参照:印パ戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E5%8D%B0%E3%83%91%E6%88%A6%E4%BA%89
バングラディッシュも巻き込まれていたんだねぇ。
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