新春、新井卓さんの銀板写真展が1月5日から10日まで銘醸館で開かれました。
「Here and There-明日の島」 福島の人々といのち
新井さんは何度も福島県を訪れ、ここ南相馬市にも足をのばして下さっている写真家さんです。
南相馬市では農家民宿を常宿とし、地域の住民の方との交流も積極的にされています。
今回はその交流から出会った多くの「福島のひと」に作品が展示され、多くの方が足を運ばれ
ました。
ダグレオタイプという銀板を磨きあげ直接撮影する方法で作られる作品は、複製する事ができません。
19世紀にフランスで発明されたという銀板写真。その技術で写真を撮り続ける新井さんに、その時
代背景とともにそこに生きていた「ひと」を重ね合わせてしまいます。
銘醸館のギャラリーでは照明をおとし、その薄明かりの中で作品と向き合うという調整がなされまし
た。その結果作品に映しこまれた「福島にひと」と作品に見入る「福島のひと」がまるで対話してい
るかのような世界が生まれます。
そして又、銀板写真は鏡状に磨かれているため見いる人を即座に映しこみ、まるでその中で一体化し
たかのように「福島のひと」が集い寄り添います。
これからの夢はなんですか?
夢ってなんですか?
う~ん。願望ですかね…。
震災後「いま」を生きることに翻弄される私は、時々他の方にその希望を委ねたくなってしまう。
そしてそこに少しでも居心地の良さを求めるという悪いくせができた。
普段は穏やかで静かに語られる新井さんだが、福島でおきた原発事故災害に対し、ときに「福島の
ひと」以上に怒りを露わにする。
唯一無二の作品をこの世に創りだす「ひと」の怒りは本気だ。
その怒りの本気さが伝わるから地域の住民との交流もずっとずっと続いているのかもしれない。
最終日を迎えた10日。
ギャラリーには新井さんの友人の美しいバイオリニストの方が奏でる優しいバイオイリンの音が、
作り酒屋の蔵だったギャラリーの古くて白い土壁にうっすらと旋律を描きながら穏やかに全員を
包みこんだ。その「至福のとき」はそのまま「福島のひと」の夢となった。
また、この時間を共に持ちたい。
>>南相馬市ふるさと回帰支/援センターHPへ
「Here and There-明日の島」 福島の人々といのち
新井さんは何度も福島県を訪れ、ここ南相馬市にも足をのばして下さっている写真家さんです。
南相馬市では農家民宿を常宿とし、地域の住民の方との交流も積極的にされています。
今回はその交流から出会った多くの「福島のひと」に作品が展示され、多くの方が足を運ばれ
ました。
ダグレオタイプという銀板を磨きあげ直接撮影する方法で作られる作品は、複製する事ができません。
19世紀にフランスで発明されたという銀板写真。その技術で写真を撮り続ける新井さんに、その時
代背景とともにそこに生きていた「ひと」を重ね合わせてしまいます。
銘醸館のギャラリーでは照明をおとし、その薄明かりの中で作品と向き合うという調整がなされまし
た。その結果作品に映しこまれた「福島にひと」と作品に見入る「福島のひと」がまるで対話してい
るかのような世界が生まれます。
そして又、銀板写真は鏡状に磨かれているため見いる人を即座に映しこみ、まるでその中で一体化し
たかのように「福島のひと」が集い寄り添います。
これからの夢はなんですか?
夢ってなんですか?
う~ん。願望ですかね…。
震災後「いま」を生きることに翻弄される私は、時々他の方にその希望を委ねたくなってしまう。
そしてそこに少しでも居心地の良さを求めるという悪いくせができた。
普段は穏やかで静かに語られる新井さんだが、福島でおきた原発事故災害に対し、ときに「福島の
ひと」以上に怒りを露わにする。
唯一無二の作品をこの世に創りだす「ひと」の怒りは本気だ。
その怒りの本気さが伝わるから地域の住民との交流もずっとずっと続いているのかもしれない。
最終日を迎えた10日。
ギャラリーには新井さんの友人の美しいバイオリニストの方が奏でる優しいバイオイリンの音が、
作り酒屋の蔵だったギャラリーの古くて白い土壁にうっすらと旋律を描きながら穏やかに全員を
包みこんだ。その「至福のとき」はそのまま「福島のひと」の夢となった。
また、この時間を共に持ちたい。
>>南相馬市ふるさと回帰支/援センターHPへ
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