南相馬市ふるさと回帰支援センター

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南相馬市ふるさと見聞録     第2回 南相馬市ふるさと移住者懇親会を開催しました。

2012年07月01日 | 日誌


 「移住者同志のネットワークを作ろう!」という声に
 応え、第1回ふるさと移住者懇親会を開催
 したのは平成23年3月4日の事。
 まさかその7日後に東日本大震災が起きるなんて
 もちろん誰も想像していませんでした。
 その日は、Iターン組、U.Iターン組・生まれ
 も育ちも南相馬市の地元組の三つのグループにに
 分かれ、それぞれこの地域の良さや疑問、困って
 いる事などを、時には本気で、時には冗談まじりに
 談笑しあう参加者の姿がありました。




  
 第2回ふるさと移住者懇親会の開催は、その時に
 参加して下さった移住者の皆様と震災後に移住さ
 れた方をお迎えし、主に震災前に移住された方が
 「そのとき」どう行動されたのか?
 この震災を体験しどう感じられたのか?
 困った事、不便だった事は何だったのか?
 今、聞きたい事。今、話したい事を中心に勧めら
 れました。この日の参加して下さったのは18名。
 ボランティアとして、何度も南相馬市とご自宅を
 行ききされてる方も参加され、真剣にお話に聞き
 入っていました。
 

中でも震災前、東京から移住されたMさんの体験はとても心に響くものでした。


 Mさんは旦那様と障害を持たれているお二人の
 お子様を一人で支えながら震災後からその後数日
 間をとても大変な状況で過ごされた体験をお話し
 下さいました。通信が途絶え、近所では、自動販
 売機の電気さえも消え、頼りにしていた方も避難
 してしまい、取り残された。
 3人を連れていく避難所なんてない。
 行く所がない!行かれない!それもわかってもら
 えない…。ご家族の医薬品を求め病院を捜します
 が、どこも野戦病院のようで何十人もの方が薬を
 求めて待っている。
 


 「飽食」と呼ばれている日本に、医薬品も食糧も手に入らない。こんな事があるのか…。
 愕然とされたそうです。
 
 とうとう、この地を離れる決心をされたご家族。
 情報がない状態で、誰も頼れない状況で東京をめざし、教会の方のお力をお借りし避難しました。
 しかし、色々な事情でそこでの避難生活は長くお世話になる事はできなかったそうです。
 そして、主治医の先生の病院再開を機に又、南相馬市へ戻られました。
 これが移住者の方が、いえ、ここにいる多くの方が体験された現実でした。



 そしてもうおひとり、やっと南相馬市の仮設住宅
 に入居されたSさん。実に1年3ヵ月ぶりでした。
 「5年10年の様な気がしました。この風光明美な
 南相馬市の風景が自慢だったのに、どこのお住まい?
 と聞かれると言えなくなっていました。
 放射能の事。本当のことがわからない。
 南相馬市がどういう方向をむいているのかがわから
 ない。その何もしないでいる辛さ。
 人生には目標が必要だと思います。それじゃないと
 生きてる意味がない。それをこれから探りたいと思
 います。」と締めくくられました。



 復興へ向けてやらなければならないことをもう一つ
 見つける事ができました。
 震災後、移住された方の中には南相馬市の為に支援
 活動されている方がたくさんいらっしゃいます。
 この前向きなパワーに、時には圧倒されそうになり
 ますが移住者同志のネットワークを通じてこの力が
 益々大きくなることはまちがいないでしょう。

 移住者の皆様「ふるさと移住者懇親会」ご参加
 ありがとうございました。

 

>>南相馬市ふるさと回帰支/援センターHPへ 



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