社台RH5歳牝馬、コンテッサトゥーレの引退が月曜日、電撃的に発表されました。
前走、新潟・芝・直1000m戦を走って最下位敗退。
これがコンテッサの経歴の最後のレースになったことは残念でなりませんが、
引退・繁殖入りに関してはその決断が妥当だと思っています。
2歳から5歳まで頑張って走ってくれたコンテッサトゥーレ。
そんなコンテッサトゥーレの引退に寄せて、恒例のメモリアル記事を書きたいと思います。
◆コンテッサトゥーレ(エアトゥーレの2012 父:ディープインパクト)
(写真は募集時のもの。 社台RHより)
生涯獲得賞金:5490万円(付加賞:426.2万円) 募集総額:4000万円
通算成績: 2-0-2-1-0-9(全14戦)
主な戦績: 紅梅S(OP)、桜花賞(GI)3着
募集馬見学ツアーで主人と二人、一目で気に入ったエアトゥーレの12。
実は主人が名付け親で、そのことが余計に思い入れを強くした愛馬でした。
そんなコンテッサトゥーレが引退を迎えます。
最後は不本意な成績の連続で、決して華々しい幕切れではありません。
復活を夢見ていただけに、志半ばでの引退に心残りがないと言えば嘘になります。
それでも、近走を見る限り、コンテッサ自身が「競馬に嫌気がさしている」と感じずには
いられませんでしたから、この決定もやむなしと受け入れることが出来ます。
ただ、寂しい。 その思いだけが強く残りますが。
2歳11月の京都・芝1400mの新馬戦で、ルメール騎手を背にデビューしたコンテッサトゥーレは、
1番人気に応えて新馬戦を快勝すると、明け3歳初戦に選んだ紅梅S(京都・芝1400m)で、
Cデムーロを背にデビューから2連勝でOP入り。
デビューから無傷の2連勝が、生涯であげた全ての勝利となるとは、当時は夢にも思いませんでした。
そして、紅梅Sの勝利で、私達の心はもう春の仁川にありました。
コンテッサの桜花賞が楽しみで、当時の生活の中心だったと言っても過言ではありません。
普段使いの食器を全て桜柄のものに変えてみたり、主人との会話の中心も桜花賞でしたね~。
続くチューリップ賞は6着に敗退しましたが、デビュー勝ちをプレゼントしてくれたルメール騎手との
コンビで臨んだ桜花賞(GI)は、内ラチ沿いをピッタリ回る、鞍上の好騎乗にも助けられ、
3着と馬券圏内に好走してくれました。
勝てなくても、その頑張りが嬉しかったですし、心から感謝しています。
距離適性を考えて、マイル路線を歩むものと思っていましたが、桜花賞の次のレースは
東京・芝2400mのオークス(GI)に決まりました。
恐らく、この決定にはクラブ(牧場?)の意向が大きく影響したのではないかと思います。
不安の方が大きかったですが、愛馬の晴れ舞台で、場所も府中コースですから、
主人と二人、めちゃ込みの競馬場に現地応援しました。
結果は出走馬17頭中、16着(ブービー)という残念なものでしたが、TV観戦派の私達には、
愛馬のクラシック出走を競馬場で応援できた数少ない経験でした。
不安が的中したのは、その年の募集馬見学ツアーでのこと。
オークス後、社台Fまで戻され、休養に入ったコンテッサの様子を牧場のNさんに聞いたところ、
「オークスの疲れがなかなか取れない。 特に左の腰が傷んでいる」というお話。
結局、コンテッサトゥーレの復帰戦はオークスから6か月後の11月の府中・ユートピアSでした。
愛馬レッドセシリアも出走していたレース(芝1600m)で、現地応援した私はコンテッサではなく、
レッドセシリアの優勝で初の口取体験を。
それでも、そのレースでは一旦は先頭に立つ良い走りを見せてくれ、3着に敗れはしましたが、
その後に期待を持たせてくれる走りだったと思います。
直線では「コンテッサ!! コンテッサ!!!」だった筈が、途中で、「セシリアーーっ!!!」
という絶叫に変わったのはコンテッサには内緒ですけれど。(笑)
これが、コンテッサトゥーレがレースで好走した最後のレースでした。
ユートピアS後は阪神の元町S(1600m)にデムーロ騎手で臨んで13頭立ての13着。
一度目の最下位敗退を喫すると、4歳初戦の心斎橋S(1400m)→晩春S(1400m)を8着→6着。
クラス編成で1000万下に降級すると、陣営が選んだ選択は距離短縮でした。
初戦こそ、福島のさくらんぼ特別(1200m)で4着したものの、その後は7着→10着→11着と
振るわないレースが続き、最後は新潟・芝・直1000mの邁進特別で16頭だての16着。
全く闘争心が見られないレースの連続に、内心、もう復活は難しいのかも…と感じていました。
前走後、グリーンWで立て直すと放牧に出て3週間、月曜日に突然の引退発表となりました。
2歳のデビュー戦から桜花賞まで、コンテッサトゥーレが輝いていた時期は短かったけど、
夢をみることが出来て本当に幸せでした。
最後は不本意な成績が続いたけれど、出資を後悔したことは一度もなく、大好きな愛馬でした。
コンテッサトゥーレ、今まで本当に頑張りました。 ありがとう。
ゆっくり休んで、良いお母さんになってくださいね。
子供たちで夢の続きが見られることを願っています。
最後に、コンテッサトゥーレの思い出の写真を貼って、引退への餞としたいと思います。
出資した年(2013年)の牧場見学でのコンテッサ。
お腹ぽっこりでまだ幼い体付きでしたね~。
オークス出走時。
パドックでは元気に歩いていましたね~。
距離が長くて、惨敗してしまいましたが、状態は良かったと思います。
オークス後、休養中の社台ファームにて。 ようやく疲れが癒えてきたところでした。
残念なのは勝利した新馬戦も、紅梅Sも、口取り写真がクラブにアップされなかったこと。
なので、自分たちが撮影したコンテッサの写真でお見送りです。
前走、新潟・芝・直1000m戦を走って最下位敗退。
これがコンテッサの経歴の最後のレースになったことは残念でなりませんが、
引退・繁殖入りに関してはその決断が妥当だと思っています。
2歳から5歳まで頑張って走ってくれたコンテッサトゥーレ。
そんなコンテッサトゥーレの引退に寄せて、恒例のメモリアル記事を書きたいと思います。
◆コンテッサトゥーレ(エアトゥーレの2012 父:ディープインパクト)
(写真は募集時のもの。 社台RHより)
生涯獲得賞金:5490万円(付加賞:426.2万円) 募集総額:4000万円
通算成績: 2-0-2-1-0-9(全14戦)
主な戦績: 紅梅S(OP)、桜花賞(GI)3着
募集馬見学ツアーで主人と二人、一目で気に入ったエアトゥーレの12。
実は主人が名付け親で、そのことが余計に思い入れを強くした愛馬でした。
そんなコンテッサトゥーレが引退を迎えます。
最後は不本意な成績の連続で、決して華々しい幕切れではありません。
復活を夢見ていただけに、志半ばでの引退に心残りがないと言えば嘘になります。
それでも、近走を見る限り、コンテッサ自身が「競馬に嫌気がさしている」と感じずには
いられませんでしたから、この決定もやむなしと受け入れることが出来ます。
ただ、寂しい。 その思いだけが強く残りますが。
2歳11月の京都・芝1400mの新馬戦で、ルメール騎手を背にデビューしたコンテッサトゥーレは、
1番人気に応えて新馬戦を快勝すると、明け3歳初戦に選んだ紅梅S(京都・芝1400m)で、
Cデムーロを背にデビューから2連勝でOP入り。
デビューから無傷の2連勝が、生涯であげた全ての勝利となるとは、当時は夢にも思いませんでした。
そして、紅梅Sの勝利で、私達の心はもう春の仁川にありました。
コンテッサの桜花賞が楽しみで、当時の生活の中心だったと言っても過言ではありません。
普段使いの食器を全て桜柄のものに変えてみたり、主人との会話の中心も桜花賞でしたね~。
続くチューリップ賞は6着に敗退しましたが、デビュー勝ちをプレゼントしてくれたルメール騎手との
コンビで臨んだ桜花賞(GI)は、内ラチ沿いをピッタリ回る、鞍上の好騎乗にも助けられ、
3着と馬券圏内に好走してくれました。
勝てなくても、その頑張りが嬉しかったですし、心から感謝しています。
距離適性を考えて、マイル路線を歩むものと思っていましたが、桜花賞の次のレースは
東京・芝2400mのオークス(GI)に決まりました。
恐らく、この決定にはクラブ(牧場?)の意向が大きく影響したのではないかと思います。
不安の方が大きかったですが、愛馬の晴れ舞台で、場所も府中コースですから、
主人と二人、めちゃ込みの競馬場に現地応援しました。
結果は出走馬17頭中、16着(ブービー)という残念なものでしたが、TV観戦派の私達には、
愛馬のクラシック出走を競馬場で応援できた数少ない経験でした。
不安が的中したのは、その年の募集馬見学ツアーでのこと。
オークス後、社台Fまで戻され、休養に入ったコンテッサの様子を牧場のNさんに聞いたところ、
「オークスの疲れがなかなか取れない。 特に左の腰が傷んでいる」というお話。
結局、コンテッサトゥーレの復帰戦はオークスから6か月後の11月の府中・ユートピアSでした。
愛馬レッドセシリアも出走していたレース(芝1600m)で、現地応援した私はコンテッサではなく、
レッドセシリアの優勝で初の口取体験を。
それでも、そのレースでは一旦は先頭に立つ良い走りを見せてくれ、3着に敗れはしましたが、
その後に期待を持たせてくれる走りだったと思います。
直線では「コンテッサ!! コンテッサ!!!」だった筈が、途中で、「セシリアーーっ!!!」
という絶叫に変わったのはコンテッサには内緒ですけれど。(笑)
これが、コンテッサトゥーレがレースで好走した最後のレースでした。
ユートピアS後は阪神の元町S(1600m)にデムーロ騎手で臨んで13頭立ての13着。
一度目の最下位敗退を喫すると、4歳初戦の心斎橋S(1400m)→晩春S(1400m)を8着→6着。
クラス編成で1000万下に降級すると、陣営が選んだ選択は距離短縮でした。
初戦こそ、福島のさくらんぼ特別(1200m)で4着したものの、その後は7着→10着→11着と
振るわないレースが続き、最後は新潟・芝・直1000mの邁進特別で16頭だての16着。
全く闘争心が見られないレースの連続に、内心、もう復活は難しいのかも…と感じていました。
前走後、グリーンWで立て直すと放牧に出て3週間、月曜日に突然の引退発表となりました。
2歳のデビュー戦から桜花賞まで、コンテッサトゥーレが輝いていた時期は短かったけど、
夢をみることが出来て本当に幸せでした。
最後は不本意な成績が続いたけれど、出資を後悔したことは一度もなく、大好きな愛馬でした。
コンテッサトゥーレ、今まで本当に頑張りました。 ありがとう。
ゆっくり休んで、良いお母さんになってくださいね。
子供たちで夢の続きが見られることを願っています。
最後に、コンテッサトゥーレの思い出の写真を貼って、引退への餞としたいと思います。
出資した年(2013年)の牧場見学でのコンテッサ。
お腹ぽっこりでまだ幼い体付きでしたね~。
オークス出走時。
パドックでは元気に歩いていましたね~。
距離が長くて、惨敗してしまいましたが、状態は良かったと思います。
オークス後、休養中の社台ファームにて。 ようやく疲れが癒えてきたところでした。
残念なのは勝利した新馬戦も、紅梅Sも、口取り写真がクラブにアップされなかったこと。
なので、自分たちが撮影したコンテッサの写真でお見送りです。
憧れの母系で、大好きになったのは兄のキャプテントゥーレからです。
皐月賞では3連単を頭から何故か600円的中し、お世話になり芦毛フェチとなり、それからトゥーレ一族は自分には高嶺の花でしたので、心の愛馬として、ずっと応援していました…
ダービーフィズも引退してしまい、昨年は二桁着順の連続で😭
もう一度でいいからターフで走るフィズを見たかったですが、調整中の最中、脚元の腫れ(神経系障害?)の為その夢は叶わず引退発表。
とても悔いが残りますが、小島先生の口利きで乗馬クラブで余生が決まり本当に安心しました☆
落ち着いたらダービーフィズの背中に跨りたいなぁなんて思いが膨らんできました。
出逢いがあれば別れがあるのは当然ですが、
雪辱はルーズベルトゲームでと思って、これからも前を向いて行けたらと思います(^^)
コンテッサトゥーレ、ダービーフィズ、
長い間お疲れ様でした
コンテッサトゥーレの引退記事にコメント頂き、ありがとうございます。
ここ数戦のレースぶりから、「復活は難しいのかも…」と
半ば諦めの気持ちもあったので、この引退を受け入れることが出来ました。
心残りは、2勝をあげている京都・芝1400mを一度も走らずに引退となったことかな~。
スズカさんもダービーフィズが引退されたのですね。
お互いに寂しいことになってしまいましたが、
ルーズベルトゲームがその寂しさを埋めてくれると信じましょう。
まずは日曜日の復帰戦で、良い走りを期待したいですね。