文化的歴史あるまち日本と世界
#町並み
#まちづくり
#写真
#祭り
全国レベルから地方レベルへ
発展に対する文化の貢献という議論は、全国レベルだけのものではなく、地方レベルにも認められる。文化施設が、地域の生活の質のために、健全な都市構成を維持するために、地域の「ブランド」を強化するために、さらには記念建造物や展覧会、祭りに人を集めることによって仕事や収入を総出するために、重要であることを誰もが否定しないであろう。
しかしここでもまた、文化と地域の発展との間の結びつきが理解されるのには時間がかかった。
*1980年代の初めにしばしば議論されたことは、地域は一般的に原材料や製産業というn輸出基盤または成長拠点を持たない限り発展はできないということだった。いったん輸出基盤を失ったら、別の基盤を見つけなければならなかった。したがって、文化は観光を通うじて地域の発展の基盤とみなされるようになった。
さらに、文化的な場所やイベントを総出することによって地域イメージを向上せざるという考え方が加わった。スペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館(Museo Guggenhein Bilbao)がその好例である。
いずれにせよ、文化と地域開発を結びつける考え方は、観光に視点を当てたままであり、結局はかなり脆くなった。地域に対する文化の貢献は、しばしば、多くの来訪者を引き寄せることができる歴史的地区や祭りに関連した小さなサクセスストーリーに矮小化してしまった。サクセスストーリーは、しばしば誇張され、投稿が期待された収入を生まない、あまり成功とは言えない事業を背後に覆い隠していた。
さらに、機械的な思考法は、乗数の概念に基づいてサクセスストーリーの有効性を過大にみせる傾向があった。このような活動は、たとえ地方の住民の暮らしの助けとなとなったとしても最終的には、発展の真の原動力とはならなかった。
ついには、文化による観光というアプローチは、懐古趣味の香り、あるいは地方偏狭の香りさえも帯びた。地域の発展における文化の役割が限られたものであって、他のものを身下していると言われるのはこれらの理由による。
*しかし、実質的には、地域の発展は輸出基盤を作ることに限られるわけではない。地域の発展のためにはまた、地方レベルのプレイヤー間の関係を適切に組織することも求められれている。輸出基地の存在が、地域の持続可能な開発をいくつも約束するとは限らない。
輸出基盤を失った後に、再びなんとか発展を遂げた地域もあった。プロジェクト、パートナーシップ、準契約、ソーシャル・キャピタルなどに基づくアプローチは、地域の発展が、地方のプレイヤーたちの、と地域の強みや弱みを見出す能力にもかかっていることを示した。
地域のプレイヤーが適切に組織されるためには、それぞれのプレイヤーが、最終限の価値観や目標を共有しているべきであり、この点でも文化の役割が強調される。ここで言う文化とは広義にとらえたものである。