makinotakaramono

日々大切に過ごしています。私の周りの全てが、宝物。

苦甘い思い出

2020-12-16 11:23:00 | 日記
私が小さい頃、まだ曾祖母が元気だった頃の話。

おばあちゃん子でほとんど祖母に育てられたような私は、祖父母の家でお正月を過ごすのが当たり前でした。
祖母と年末の大掃除をし、お正月に帰省してくる叔父や叔母、いとこ達と過ごすのが1年中で1番の楽しみでした。
総勢30人は集まっていたと思います。
その軍勢の中に、一際小さく、丸っこい曾祖母がいて、私はいつも曾祖母から頭を撫でてもらい、「これで鉛筆と帳面を買いなさい」って、お年玉をもらっていたのですが、曾祖母がくれるのは、毎年500円札1枚。それも裸で。
今では見かける事もなくなりましたが、当時はまだ500円玉なんて無かったし(ん?あったのかな?)私にとっては
嬉しいばかりの恒例行事となっていました。

(今思うと、私の祖父が大正生まれでしたから、
曾祖母は明治を生きた人なんですよねー。
それだけでも凄い!)

「鉛筆と帳面を買いなさい」

私は、曾祖母からもらった500円で、1年分のノートと鉛筆が買えていました。なぜか、曾祖母からもらったお年玉は、親に取り上げられる事なく、自分で持っていられる貴重な物でした。私は、どんなに親戚からお年玉を貰っても、中を確認することすら許されず、封を開ける前に、母親に全て没収されていたので、お年玉で何か好きな物を買ったとか、今年は総額幾らだった〜!って友達と自慢し合ったとかいう経験がありません。
唯一、曾祖母の500円だけは、母親が金額を知っていてスルーしていたのか、情けなのか、取り上げられませんでした。

大事に大事に、新学期が始まるその日に、学校の前にある文房具店で、鉛筆(三菱の緑色)1ダースと、コクヨのノート数冊、消しゴム1つと、鉛筆が短くなった時用に、可愛いキャラクター物のキャップ5個入りを1つ。これで総額480円だったと記憶してます。これをまた大事に大事にランドセルにしまい、帰宅してから、真新しい鉛筆を研いでいたのを思い出します。

最近、曾祖母がなぜ、私にだけ裸のお札で500円をくれていたのか、他のいとこ達にはそもそもお年玉なんて渡していなかったのに、なぜだろう?って、凄く気になりだして、考えてみると、曾祖母は、きっと、私の母親(曾祖母からすれば自分の孫)が、私からお年玉を取り上げている事を知っていたんだと気付きました。
母はそのお金を、貯める訳でもなく、おそらく生活費の一部として使っていました。何度か、買い物について行って、お年玉袋を開けて支払いをしている姿を目にした事があります。

確かに生活は、それほど裕福ではなかったし、贅沢もさせてもらった記憶はありませんが、母親だけは、いつも高級な化粧品に囲まれ、
高級なブティックで洋服を揃え、美容院で1日過ごしてくるような人でしたから、なるほどなって気はします。

お正月の騒然の中、曾祖母は、隅で1人お節をつまみながら、私達全員の、人としての本質を見ていたんだと、そう気付いたんです。

お年玉を貰っても、そそくさと母親に持って行く、私の姿を見ていたんだと。

他のいとこ達は、それぞれ、自分で中身を確認していたし、持参のお年玉保管袋を持っていて、おもちゃを買う話ではしゃいでいましたから。

40数年前の、何とも言えない思い出ですが、なぜかキンカンの身を見る度、曾祖母を思い出すのです。曾祖母は、キンカンを甘く煮詰め、それを風邪薬だと言って、私に呑ませてくれました。風邪もひいてないのに、「これさえなめてれば、風邪はひかん。ひいてもすぐ治る!」って。キンカンて、煮詰めると甘さと苦さが際立つんですよね(^^)

うちの裏山のキンカン



毎年、この時期になると、曾祖母との思い出を、このキンカンが蘇らせてくれます。
私にだけ、特別に優しかったひいおばあちゃん。

甘すぎてあまり好きではないのに、今年も、キンカンを煮詰めて、甘苦い風邪薬を作らなきゃって思っている私がいます。

風邪のひきはじめ、喉がイガイガする時は、本当に、これだけで良くなります。のど飴よりは、キンカンです。

ね、ひいおばあちゃん♡♡