旅の途中
退官される恩師に、贈った曲です。 いつでも聴いていただけるように、アップさせていただきます。
恩師は、野球部の顧問でもありました。いつも、7~9番を打っていた私は、3年の最後の夏にむけてスイング改善に取り組んだんです。
練習の後、鏡にむかって素振りして、最適な、スムーズなフォームを作り上げようとしました。
そんなある日、練習で長打が出だしたんです。レフト超えのあたりに、当時のエースだった伊藤さんのびっくりした顔を思いだします。
その練習を見ていた恩師は、一度だけ5番を任せてくれました。
試合では、フォーム改造が功を奏して、流し打ちで、ライトの右側を抜けていった打球は校舎までころがっていきました。
普通ならランニングホームランのところ足がおそく※3塁打だったんです。
3塁の塁審がわらいころげてたのが、おかしいを通り越して悲しかった。
※2塁まわったあたりで、ストッキングはずんだれて、ヘルメットが大きくて走ると耳当てのところが前にくるんで走りにくかった。
なぜ金属バットを使わず、練習用の竹バットで打ったのか。ジャストサイズのヘルメットをかぶらなかったのか、が惜しまれる。
フォーム改造以前の心構えがなってないって話ですよね。
退官される恩師に、贈った曲です。 いつでも聴いていただけるように、アップさせていただきます。
恩師は、野球部の顧問でもありました。いつも、7~9番を打っていた私は、3年の最後の夏にむけてスイング改善に取り組んだんです。
練習の後、鏡にむかって素振りして、最適な、スムーズなフォームを作り上げようとしました。
そんなある日、練習で長打が出だしたんです。レフト超えのあたりに、当時のエースだった伊藤さんのびっくりした顔を思いだします。
その練習を見ていた恩師は、一度だけ5番を任せてくれました。
試合では、フォーム改造が功を奏して、流し打ちで、ライトの右側を抜けていった打球は校舎までころがっていきました。
普通ならランニングホームランのところ足がおそく※3塁打だったんです。
3塁の塁審がわらいころげてたのが、おかしいを通り越して悲しかった。
※2塁まわったあたりで、ストッキングはずんだれて、ヘルメットが大きくて走ると耳当てのところが前にくるんで走りにくかった。
なぜ金属バットを使わず、練習用の竹バットで打ったのか。ジャストサイズのヘルメットをかぶらなかったのか、が惜しまれる。
フォーム改造以前の心構えがなってないって話ですよね。