Vivo come me.

今日一日を笑顔で過ごせたら最高。

悲しい雨音。

2024-01-04 12:43:00 | 日記
新年早々大変な事が起きてしまいました。

「令和6年能登半島地震」

今年は雪のない暖冬、元旦からポカポカ太陽を拝むことができるなんて!と近所の氏神さまへ両親を連れて初詣に行きました。
午後は、翌日両親を招いて食事会をする予定の私はまったりおせち料理を作っていました。

例年、年越しは夫の実家に滞在し
キャンプ仲間のご家族たちと年越するのですが、今年は私の高齢両親のことを気遣って「金沢にいたら?」と。

私は今思えば今回の判断は有難いことだったとつくづく思います。

おせち料理作りも佳境を迎えようとしていた頃、娘は友達とオンラインでゲームをしながら盛り上がって楽しんでいたその時
けたたましく緊急地震速報が。

え、これって能登?
5月に大きな地震が珠洲を襲った後、幾度となく揺れていた珠洲。
また来たの?と恐怖に襲われました。

すぐ夫にテレビ画面をスクショし送信、追っかけ電話をしました。
出ない…

程なくしてもう一度緊急地震速報が。

え?また来るん?どんなのが来るの??

そう思った瞬間強い揺れが起こりました。
娘は「ママ、こっちきてー!」とダイニングテーブルの下に犬を抱いてしゃがんでいました。
今思えば外に飛び出るのが良かったのかもですが、その時はそんな判断もつかず。

とにかく長い揺れ。
感覚としてはグリングリン家ごと回されてる感じ。いつまで続くん!?

やっと止まったときには娘は「船酔いした気分…なんか気持ち悪い…」と。
2階から「超怖かった」と大学生の息子と彼女ちゃんが降りてきました。

テレビ速報をみると恐ろしい文字が。
『逃げて!大津波警報』
夫の実家は震源地の志賀町に近い場所、電話が繋がったときには夫は一緒にいた幼馴染と外に飛び出していました。

「津波くるって!高いとこ逃げてー!」
夫は「俺は大丈夫だからお父さんお母さんを」と。

すぐ母に荷物をまとめるよう連絡。
「大丈夫やって、こんなとこまで津波こんよ」
プラス思考な母の根拠のない大丈夫は今回だけは拒否。
子供たちにも避難の準備を指示し両親を迎えに行きました。

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一番近い漁港は車で15分、という場所に住んでる私。
釣りが好きな私は海が程よく近いとこに住んでる事がお気に入りでもありましたが、
海が近いってこんなに怖いと感じたことはありませんでした。

車2台でとりあえず山の方へ。
息子の大学は山の上にあるのでそちらへむかうこととしました。
途中コンビニは食料調達の長蛇の列。
元旦なのでガソリンスタンドも閉まっています。

あーー、満タンにしておけばよかった。
スマホ満充電にしておけばよかった…
後悔だらけ。
避難グッズ用意しなくては、と思いつつどこか他人事に思っていて何もしていなかったことにも大きな反省です。

友人から次々と安否を心配してくれるLINEが。有難い。
とりあえず海そばに住んでる友人とやり取りをすると、近辺は山の方は逃げようとする車で渋滞だとか。
県庁ビルには避難民がたくさんらしく…

車の中でテレビで
ついこの前釣りにいった輪島、2年前にはドライブにいった珠洲の大変な惨状を知り心が傷みました。

夫はひとまず津波が大丈夫そう、と判断で実家へ。
家具家電が倒れ、門柱が折れている恐ろしい画像が送られてきました。
怪我がなく無事でいてくれたことに安堵。

ハザードマップを信じ私たちも一旦帰宅しました。

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その日は両親はお泊まり。
認知症の父は、テレビを見るたびに「こんな大きな地震やったんやなぁ、震源はどこや?」「輪島ひどいな〜」と度々繰り返し。
嫌なこともすぐ忘れられるし、喜びも何度も味わえるっていいことかもね、と母に言うと、『ほんとやね、そうかもね』と返事がきました。

夫は翌日渋滞を交わしながら迂回路を使って無事帰宅。
話を聞けば聞くほど震源地に近い場所の大変さを感じ、変な動悸がしてきました。

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昨日から雨。被災地は大雨警報も出ていたようで。まだ生き埋めになられている方のことを思うと胸が傷みます。
今朝目覚めた時は結構な雨音で。

私はお布団やお風呂の中で雨音を聞くのは癒される感があって好きな方ではあったのですが…

今回だけは「お願い、降らないで!」と心から思いました。
ひとときでも早く、救助されますよう心から願うばかりです。
救助にあたられている方々にも心から敬意を感じずにはいられないです。

好きな能登の街並み、風景が変わり果ててしまったこと、尊い命が奪われたこととても悲しいです。