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熊本地震から3年、いま思うこと

4/14の夜21:26の前震に続いて、4/16未明1:25の本震、私の郷里熊本を襲った最大震度7の地震。
あれから3年、いろんなことがありましたが……。

熊本城の天守閣は修復工事が進み、昔の姿を取り戻しつつあります。
たくさんの人の力が集まっていると感じます。うれしいです。

昨年亡くなった父は関連死ではなかったものの、あの地震以降、生きるリズムがすっかり狂ってしまい、心も体も追いついていかなかったのは事実だろうなと思います。
86歳には、ほんとうにこたえたよね……


仮設住宅建設には私の弟も若干かかわっていますが、この話は弟から聞いたわけではなく、ある専門家の方から伺ったことなのですが――
仮設の設計段階から、障がい者対応に関して少なからぬ苦労があったとか。

車椅子の方がそのまま通れる玄関、使えるトイレ、風呂のスペース、それが現実的なもの(寸法等)でなく、やり直しが必要だったこと、それを指摘できる人が現場にいなかったこと。つまり障がい者の実情を知る方がいかに少ないか、ということだと思います。
逆に言うと、障がい者のことを知ろうとしていないのではないか。私たちはもっと“知る”ことから始めないといけないのではないか。自己反省とともに深く考えさせられました。

熊本では、バリアフリー対応の仮設住宅が益城町に全国で初めてつくられました。
各方面からの働きかけ、努力の賜物と思い、大変すばらしいことだと思います。が、1ヶ所に6戸だけと聞いています。

今、各コミュニティーの中に車椅子で生活する人は1人や2人、必ずいるはずなんです。視覚障害、聴覚障害の方なども含めると、もっと多いと思われますよね。
障がい者の方だけで集まって住んでいるような現状ではないですから、1地区の仮設住宅ごとに1~2戸ずつのバリアフリー対応があってしかるべきなのでは?
その専門家の方はそれが標準となる世の中にしていくべきと言われていたように記憶しています。
つまり、その地域の仮設住宅にそこのコミュニティーがそのまま入れるような形が望まれるのではないかと。

完成が急がれる仮設住宅ゆえの難しさもあるかもしれませんが、近い将来ほんとうにそうなってほしいと思います。


さらにもう一つの問題――小中学校のバリアフリー化です。

小中学校って災害時、避難所になるところですよね。
ところが、今の日本の教育では、障がい児は特別支援学校などに分けられてしまうため、一般の学校はほとんど障がい者対応がなされていないというのです。出入り口しかり、教室しかり、トイレしかり云々……

それもあって、障がい者の方々は避難所での生活が難しく、やむなく自宅に戻ったり、ご友人を頼ったりするしかなかったとか。

自身に子供がいないと、学校の現状を知る機会もほとんどなかったわけですが、障がい児と一緒に学ぶことはとても大切と思われますし、日本の教育システムが一日も早い転換をはかってくれるよう、そして小中学校のバリアフリー化が急進するよう、願ってやみません。

自戒の意味も込め、もっともっと“知る”ための行動を考えていこう、そして微力でも発信していきたいなと思いました。

地震災害によって逝ってしまわれた方々のご冥福を祈りつつ……


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