話す事で意思疎通を図れていると、話せなくなった時、その手段を見失う事がある。
今思えば筆談が出来たかもしれないし、書く事が無理ならば、50音書かれた文字を指差してもらっても良い。
話す事が出来なくても意思は伝えてもらえるのに、何故そこに気付かずに尊厳を無視するのだろう?
家族は彼女が必死で伝えようとしている言葉を受け流し、聞いてあげようともしていない。
私が、彼女の言葉を聞き取りたくて口元に耳を近づけると泣いて喜んでくれていた。
彼女に会えなくなる日、もう声が出せなくなっていて、口の動きで伝えてくれようとしたけれど読み取れず、申し訳なさに涙が溢れる。
そのお別れから数日が経過し、前文の方法を思いつき、早く思いついてあげられていたらと後悔をする。
私にとっての大切な方の同室になっただけの関係だけれど、この方に相当癒して頂いていた事を涙を流した事で気付く。
あの方は今どうしているのだろう。声が出せる程に元気になられていて欲しいと願う今日この頃。
可愛い可愛いと言ってくれていた言葉が、本音だと良いな😊