ペペが家に来た時は下の子がまだ小学校4年生でした。
いつも私の足音に居ました。
抱かれ上手で恐がりで
家族以外の人にはなじみませんでした.そこがまた可愛くてね。
私が八丈島にダイビングに行っている最中に当時の義母にお留守番をお願いし,
彼女が入浴中に心臓発作で亡くなりました。
ミミがなくなって半年でした
私が帰るまで業者さんにお願いしてくださり、冷凍保存して
私が抱きしめた時はカチンカチンでした。
でもこの手に抱きしめる事ができて本当に嬉しかったです。
ミミが居なくなってからのぺぺは私では埋め仰せない程の悲しみを抱えていて
ペペの当時の写真からそれが伺えました。
私は子供の成長と共に歩んできた我が家の歴史を失って悲しくてどうにもならず
一目はばからずによく泣いていました。 ペペは心臓が悪いので
いつ逝ってもおかしくない状態だと言われながらも,
必死で私は自分用のキノコサプリメントを飲ませ、
血液をさらさら状態にしていたのですが,とうとう限界が来てしまいました。
ミミのように最期を看取れなかった自分を悔いましたが,
周りからはそれがペペの配慮だとも言われ,確かに私の目の前で亡くなったら
多分私、気が狂ってたかもしれません。
プライベートでも大変苦しいときでしたから
それでも時間の経過とはありがたいもので、
ペペがミミと天国で走り回っている様子が伺える頃
ネットの里親サイトで空を見つけました。
(ペペが亡くなったのが9月で空を見つけたのが8月です。)
太陽と名づけられていました。