
◆行人坂
「行人」とは修験者・行者のことで、寛永の頃、湯殿山の修験者が坂を切り開き大日如来堂を建て、修行僧達が往来していた。坂の上は富士山見の名所、もみじと夕日の名所で江戸の頃には「富士見茶屋」という茶店もあった。
目黒川架橋供養勢至菩薩赤道
◆大圓寺
寛永の初めごろ湯殿山の修験僧大海法印が「行人坂」を切り開き大日如来を祀って祈願の道場を開いたのが始まり。明和9年(1772)2月、本堂から出火、江戸の3分の1を焼き多くの死者を出した、のちに云われる江戸三大大火の一つ「行人坂の大火」を起こしたことにより76年間再建が許されなかった。
◆大圓寺石仏群
「 行人坂の大火」で亡くなった人々を供養するためつくられた。釈迦三尊像を中心に十六羅漢像、十大弟子像が取り巻き背後に五百基ほどの羅漢像が並んでいる。
とろけ地蔵尊 子供を抱いた石仏もある
太鼓橋に使用された石材 お七井戸 西運上人の碑
◆海福寺
万治元年(1658)隠元禅師が深川に開創した黄檗宗の寺。明治13年(1910)現在地に移転
四脚門
永代橋落橋事件
文化4年(1807)8月19日、差止められていた富岡八幡の祭礼が、11年ぶりに再開したことで多くの人手が出ていたところに、橋の下を将軍家の御座舟が通過するということで橋が通行止めとなっていた。通行が解除されたと共に多くの群集がなだれこみ、深川詰から10数メートルのところで真っ二つにおれた。死者の数700人とも1500人とも言われた。
文化4年永代橋崩落横死者供養塔
◆成就院
天安2年(858)天台宗の宗祖慈覚大師が創立。別名を「蛸薬師」。
徳川2代将軍秀忠の側室お静の方が、わが子保科正之の栄達を祈願し、大願成就のお礼に奉納した「お静地蔵」
◆比翼塚
歌舞伎の演目にもなった平井権八と小紫の悲恋を哀れみ建てられた。
◆目黒不動(瀧泉寺)
大同3年(808)慈覚大師が開創した、不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場
独鈷の滝
◆目黒雅叙園
昭和6年、創業者細川力蔵がに本格的な北京料理と日本料理の料亭を開業、建物を螺鈿細工、金銀漆箔、日本画などできらびやかに飾り立て「昭和の竜宮城」と呼ばれた。昭和63年大半の建物は解体されたが百段階段はそのままのすがたで保存された。平成3年の大規模なリニューアルを経て、近代的な建物に生まれ変わった。
◆百段階段
昭和10年に建てらた雅叙園で唯一現存する建物。高低差16mの傾斜地にひな壇状に建つ平屋一棟、二階建て三棟を99段の階段でつないだ建物で名前の由来となっている。部屋は七つあり各部屋には壁画や天井画が描かれ、画題や画家の名に因んだ名がつけられている。
エレベーターの中も螺鈿細工
そして 心中したカップルの比翼塚って、留袖の比翼と 何か関係ありますか?
生半可な知識ばかりで 我ながら困ります・・・