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茗荷谷界隈

2015年10月21日 | 文京区

◆拓殖大学

明治33年(1900)、台湾開発のための人材育成を目標に設立された台湾協会学校が前身。大正7年(1918)に拓殖大学と改称した。

拓殖大学A館

昭和7年(1932)竣工 設計は加護谷祐太郎、スクラッチタイルを多用したゴシック様式

 

 設立者 桂太郎の銅像

 正面玄関奥の階段

 

 ◆拓殖大学国際教育会館

 旧東方文化学院 昭和8年(1933)内田祥三設計で、東洋学研究所としてで建てられた。建築費用は、明治33年(1900)に清国で起こった「義和団事件」の賠償金が充てられた。

 

外務省研修所として使用された時期もあるが、現在は拓殖大学国際教育会館として留学生の日本語研修施設になっている。

 

  

 

  

 

 ◆お茶の水女子大学

明治8年(1875)、女子の教員養成を目的として、お茶の水の地に(文京区湯島1丁目)東京女子師範学校を開校。大正12年(1923)の関東大震災で校舎を焼失、昭和3年(1928)現在地(文京区大塚2丁目)に文部省より校地を交付された。昭和24年(1949)お茶の水女子大学となる

大学正門 有形文化財登録

大学本館 有形文化財登録

 

 校歌「みがかずば 玉もかがみも なにかせん 学びの道も かくこそありけれ」

昭憲皇太后から下賜された。

歴史資料館

 

 

◆教育の森公園

旧東京教育大学(現筑波大学)の跡地に昭和61年(1986)に開園、防災機能を持つ緑豊かな公園

朝倉響子作「フィオーナとアリアン」

 

◆銅御殿

旧磯野家住宅。大正2年(1913)竣工の東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築の一つで、国指定重要文化財。主屋は屋根や壁が銅板でできており、かつて「銅御殿」と呼ばれていた 

  

 

◆小石川植物園

正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」。貞享元年(1684)徳川幕府が小石川御殿内に設けた「小石川御薬園」に始まる日本初の植物園。享保7年(1722)には町医者小川笙船の意見により施薬院「小石川養生所」が設けられたことでも知られる。

 

本館

昭和14年(1939)内田祥三設計で竣工。ガラス窓の内側には屋上に昇るための螺旋階段が見える

 

 精子発見のイチョウ(雌の木) 

 

 

甘藷試作跡の碑               旧養生所の井戸

 

 

 旧東京医学校本館

東京医学校は東大医学部の前身で、建物は本郷の東大構内にあったが昭和44年(1969)この地に移築された。明治9年(1876)に建てられた木造二階建ての「擬洋風建築」、国指定重要文化財

 

日本庭園

白山御殿(徳川綱吉の幼い時の屋敷)と蜷川能登守の屋敷跡に残された庭園

 



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