経験上から申しますと、この数字の色濃い期間は“やさしい”そして“仕える”。
33の人は、人をもてなしたり、親切にするのがトラブルの元です。なぜならば、配偶者や恋人が居れば、プライバシーや親密さを保てなくなるからです。独身者でも、家族や兄弟が迷惑こうむります。この数字は単独者の教師の数字なので、誰もこの人を独占できません。そして妬まれるでしょう。批難轟々。
わたしの場合、子供時代のあだ名であり、家族や友人が読んでいたのが33であり、洗礼を受けた年月日のトータルが33なのです。33の人はとにかく何でも頼みやすい人なので、何でも頼まれてしまいます。ですから、自分の分のことをしようとするだけで逆に罪悪感が芽生えたり・・・。搾取される数字でもあるのです。
学校の教師には生徒がたかって、何でも先生のせいにして、何でもわがまま言い放題です。教師とはそのようなもので、キリストにも弟子が食って掛かったこともありました。言い換えると、安全な人であって、甘えられる人とも言えます。安心しているならば、人はひどいことを容赦無しです。あまりに耐えすぎて自分を虐待すると自分が壊れます。これはいいことではありません。
ブッシュとマザーテレサは同じく33ですが、この違いは何でしょうか。教師は反面教師だったり、親切は不親切だったり、要は、二元性陰陽バランスを考えると、プラスとマイナスの作用で数字の力量は同じで釣合うのだとしたならば、良いか悪いかは別として、とにかく働きの力は大きいというのは事実です。
ブッタは王族でしたが、修行中に飢え死にしそうになったこともありました。大富豪のお屋敷から、食べ物も無い山の中へ。絶対値のアップダウンは激しいでしょう。
ただし、33は幸せだと思います。自分が33の波動の中に居た時には、いつもエプロンをしていたものです。沢山の来客があり、毎月ケーキを焼き、毎日のようにボランティアにも出かけ、週末にはガールスカウトで赤い羽根募金をしていたり、救急法を習ったり。
33の人の場合、周りに人が沢山いるか、逆にはほとんど居ないでしょう。誰か、特定のマスターに仕えているのなら、また、マスタリーな子供の世話をしているのなら、旦那がそうならば、親がそうならば、う~ん、奴隷かな。
奉仕が好きな人は奉仕しない、手助けしない、または出来ない経験がくるかもしれません。自分が病気や怪我で何も出来なくなってしまったり。すると、世話してもらって本来は幸せなはずが、この数字に関しては、挑戦の場合があり、教師と生徒、奉仕者と奉仕される人の縮図を自分を取り巻く環境や人間関係から見直す機会がチャレンジとなってやってくるでしょう。親切にして助けるのは大好きな人は、逆に自分がそうされるのが精神的に辛かったり。
33でありながら、自己奉仕者で自己中でわがままで権力保持者の場合、その人はどうなのでしょうか。親切や奉仕には動機が試されます。自己満足なのか、見返りを期待しているのか、恐れからしているのか。
恐れとは何かを失う恐れでしょう。自分から愛する人や環境が離れていく事に対しての恐れや、みんなからつねに受け容れられて自分は安全地帯にいたいという恐れ、お金や財産、仕事や社会的地位を失う恐れ、嫌われて否定される恐れ、恋人に捨てられる恐れ、優秀で親切でいい子で容姿端麗でないと選んでもらえない、愛されない恐れなど。
33のマスターは、大勢の弟子や家族に囲まれていたかと思うと、みんなに裏切られて見捨てられ、みんな去っていくような経験をすることがあります。自分がやりすぎて搾取されまくって、逃げ出す人もいるかもしれません。
「それで結構。」なら、あなたはやはり33のマスターなのでしょう。
自分のためにしなくなった時、人を言葉で斬れるでしょう。
あなたは言葉で本当のことを手加減なしでストレートに相手にぶつけて、人をメッタ刺しにできますか?
教師の中の教師は教師をブッダ切るのです。自分がブッダ切られた後で。
ブッダ切られてもなおしぶとく生きている人はだれでしょうか。
33の人は、石を投げられないように注意しましょう。
誰に?
33の人に。