マスターナンバー

OCNブログ人終了につき引っ越し。

マスターナンバー33

2011-02-13 03:35:06 | マスターナンバー33

経験上から申しますと、この数字の色濃い期間は“やさしい”そして“仕える”。

33の人は、人をもてなしたり、親切にするのがトラブルの元です。なぜならば、配偶者や恋人が居れば、プライバシーや親密さを保てなくなるからです。独身者でも、家族や兄弟が迷惑こうむります。この数字は単独者の教師の数字なので、誰もこの人を独占できません。そして妬まれるでしょう。批難轟々。

わたしの場合、子供時代のあだ名であり、家族や友人が読んでいたのが33であり、洗礼を受けた年月日のトータルが33なのです。33の人はとにかく何でも頼みやすい人なので、何でも頼まれてしまいます。ですから、自分の分のことをしようとするだけで逆に罪悪感が芽生えたり・・・。搾取される数字でもあるのです。

学校の教師には生徒がたかって、何でも先生のせいにして、何でもわがまま言い放題です。教師とはそのようなもので、キリストにも弟子が食って掛かったこともありました。言い換えると、安全な人であって、甘えられる人とも言えます。安心しているならば、人はひどいことを容赦無しです。あまりに耐えすぎて自分を虐待すると自分が壊れます。これはいいことではありません。

ブッシュとマザーテレサは同じく33ですが、この違いは何でしょうか。教師は反面教師だったり、親切は不親切だったり、要は、二元性陰陽バランスを考えると、プラスとマイナスの作用で数字の力量は同じで釣合うのだとしたならば、良いか悪いかは別として、とにかく働きの力は大きいというのは事実です。

ブッタは王族でしたが、修行中に飢え死にしそうになったこともありました。大富豪のお屋敷から、食べ物も無い山の中へ。絶対値のアップダウンは激しいでしょう。

ただし、33は幸せだと思います。自分が33の波動の中に居た時には、いつもエプロンをしていたものです。沢山の来客があり、毎月ケーキを焼き、毎日のようにボランティアにも出かけ、週末にはガールスカウトで赤い羽根募金をしていたり、救急法を習ったり。

33の人の場合、周りに人が沢山いるか、逆にはほとんど居ないでしょう。誰か、特定のマスターに仕えているのなら、また、マスタリーな子供の世話をしているのなら、旦那がそうならば、親がそうならば、う~ん、奴隷かな。

奉仕が好きな人は奉仕しない、手助けしない、または出来ない経験がくるかもしれません。自分が病気や怪我で何も出来なくなってしまったり。すると、世話してもらって本来は幸せなはずが、この数字に関しては、挑戦の場合があり、教師と生徒、奉仕者と奉仕される人の縮図を自分を取り巻く環境や人間関係から見直す機会がチャレンジとなってやってくるでしょう。親切にして助けるのは大好きな人は、逆に自分がそうされるのが精神的に辛かったり。

33でありながら、自己奉仕者で自己中でわがままで権力保持者の場合、その人はどうなのでしょうか。親切や奉仕には動機が試されます。自己満足なのか、見返りを期待しているのか、恐れからしているのか。

恐れとは何かを失う恐れでしょう。自分から愛する人や環境が離れていく事に対しての恐れや、みんなからつねに受け容れられて自分は安全地帯にいたいという恐れ、お金や財産、仕事や社会的地位を失う恐れ、嫌われて否定される恐れ、恋人に捨てられる恐れ、優秀で親切でいい子で容姿端麗でないと選んでもらえない、愛されない恐れなど。

33のマスターは、大勢の弟子や家族に囲まれていたかと思うと、みんなに裏切られて見捨てられ、みんな去っていくような経験をすることがあります。自分がやりすぎて搾取されまくって、逃げ出す人もいるかもしれません。

「それで結構。」なら、あなたはやはり33のマスターなのでしょう。

自分のためにしなくなった時、人を言葉で斬れるでしょう。

あなたは言葉で本当のことを手加減なしでストレートに相手にぶつけて、人をメッタ刺しにできますか?

教師の中の教師は教師をブッダ切るのです。自分がブッダ切られた後で。

ブッダ切られてもなおしぶとく生きている人はだれでしょうか。

33の人は、石を投げられないように注意しましょう。

誰に?

33の人に。


23

2011-02-03 22:51:34 | インポート

今日2月3日は節分ですが、中国では今日がお正月。厄年などはこの日を境に始まったり終了したりします。

占いでも新たなスタートとなるのがこの日。タロットでも、22が大アルカナの終了で、23から小アルカナが始まります。

21が9から10へのパス。22は建てる構築のマスターナンバー。23は次のステップ。次のサイクルへ次元上昇!?

23は2と3.二元性と三位一体、女性原理と男性原理・ビナーとコクマー

23=2+3=5で、ケブラー:峻厳・ジヤッチする・判断そして自由、

ダビンチの人体図は5ぼう星。人。星は戦いで、

5+5の55はキリスト意識。色は白と赤(日本の国旗の色)

この23ですが、1967年生まれの人は23の数字を持っています。

愛と光。ピンク色の波動。

ピンクゆえに、搾取されがちであり、なぜならば、愛と光があるからであり、その人は灯心であり、愛と光を放つために、自分の分の愛と光は持っていなければなりませんが、取られすぎ。自分の分を確保するのが罪悪感だったり、自分の分まで放出すると枯渇で灯心が空前のともし火・・・。他人を愛するのはカンタンでも自分を同じように愛するのはかなり難しい。でも他人も自分と同様。

これはキリストの最大で第二のおきてです。

一は神を愛せ。

二は一のおきてと同様であって、隣人を自分自身のように愛せ です。

隣人=自分 愛する%は同じでありつりあっていないとなりませんが、

隣人に自分の分まであげてしまうと、タンクローリー車がエンスト状態で届く人に配給付加となります。(意味わかります?)

マタイ25章には、油を携えた賢い5人の処女と、油が切れそうなおろかな5人の処女が登場します。賢い処女は、けちではなく思慮深かったのですが、これが現実には困っている人を見ると、つい自分の分を犠牲にしてしまって結局は何にもならなかったり・・・という挑戦があります。

5はカバラではゲブラーですが、その対極が慈悲のケセドです。厳しいので、自分のつりあいは優しさがあって、その上での判断ジャッジとなりますが、そこに自由を求める要素があるので、自分の自由を行使するか、犠牲にするかの判断が求められます。

自分の自由を行使するとき、誰かを何かを犠牲にします。

なんか食べたい・・・・食材は贖罪?

わたしが犠牲になるとだれかが得したり、その逆だったり。

でも、誰かを何かを犠牲にすることは、自分を犠牲にすることよりもしっくりこないのです。自分の幸せを選んだ結果、他者が犠牲になることがあります。いわゆる三角関係です。誰かがあぶれますが、誰かが犠牲になります。

どのように?

好きあっている2人がくっついたなら、失恋者が1名出ます。

譲ったなら、2人が犠牲になります。

彼女が2人いて、自分が幸せで好きなほうをどちらか自分に正直な感情で選ぶとすれば、2番手の彼女は敗北します。ところが、巷では愛人が一番好きで奥さんが二番目だったりすることはざらにあります。

わたしは『嵐が丘』の映画が大好きなのですが、この中でも各々自分が一番好きな人とは結婚せず、それでも相手無しでは生きられないというストーリーであって、全員被害者という過酷なストーリーが泥沼なのですが、なんで遠回りするのでしょうかと思ってしまいます。

駆け落ちの方がよっぽどシンプルですが、主人公の二人は非常に激しい。

5っぽい。

わたしは独身で結婚したことがないのですが、はたから見ていると、奥さんに騙されているのに、結構幸せなご主人たちが多いように思います。

ご主人が昼食代500円ワンコインでコンビニ弁当を食べている時に、奥様はお友達とランチのバイキングでご馳走を食べていたり。

そして、そう奥さんにしてあげられている自分を褒めて幸せなご主人。自分は500円で幸せ。

騙す人間よりも、騙されるほうがいい?・・・これは昔わたしの主治医が言った名言!?ですが・・・。さあ、どうなのでしょうか。このパラドックス。

『受けるより、与えるほうが幸福である』

でも、まったく受けないとやはり幸せじゃないけど、inとoutのバランスってむずかしい。

輸入と輸出とかも、あまりに国の取引のバランスが崩れると、まわりまわって連鎖して結局誰も得しない。

植民地が解放されれば、そこから得ていた国は以前のようにはいかなくなり、豚に真珠を投げ与えれば、向き直ってかき裂こうと突進。

まちがった親切は不親切だったり。

23の2は二元性を秘めているので、こうしたチャレンジがあるのでしょう。

しかも、愛と光の分野で。

以下、オーラソーマのカラーセラピーの解説もご参考に。

オーラソーマ23番 『愛と光』解説

23メイン テーマ: 自己愛を取り戻す

「ばらばらに分離する」「侵蝕される」

タロットカードワンドのキング(King of Wands)

易:上卦は山、下卦は大地

マスター:レディナダ

チャクラ:ベースチャクラ、クラウンチャクラ 

上層ローズ・ピンク下層・ピンクシェイクするとピンク

アファメーション: 私は人生に調和し、人生は私に調和します。

自分自身のことを知りたいという強い希望を持っています。そしてその知識を実際に使うことができます。肯定的かつ実際的な方法で運命を受け入れます。強い人ですが、この強さは優しさ、暖かさ、共感となって現われます。また、与え、受け取る能力があります。

チャレンジ:愛されていないと感じています。次から次へといろいろな症状が現れます。その原因のひとつとして、子供のときは、病気が現われているときだけにしか面倒を見てもらえなかったという場合があるかもしれません。そして今でもこのパターンを繰り返しているのかもしれません。

霊的レベル:スピリチュアルな力やエネルギーだけでなく、その調和をも高めます。無条件の愛への扉を開きます。

精神的レベル: 自己をより深く理解できるようになります。使用者が、自分自身についての過ったイメージや幻想を消し去ることができるようにします。

感情的レベル: 片思いのときの欲求不満や虚しさといった感情を克服する助けとなります。コミュニケーションを妨げている障害を取り除き、罪の意識と不安感を解き放つのに役立ちます。別居や離婚で自分を愛する気持ちを失っている場合には、それを蘇らせます。

ローズピンクを含む唯一のボトル


2011.2.22(追記アリ)

2011-02-03 00:02:45 | マスターナンバー22

(追記:どういうわけか、2月2日なのに2月22日と勘違いして一足先に記事を書いてしまいました。猫の日は2月22日です。きっと、読者にとって、今すぐ必要な情報をスピリットが書かせたのかもしれません。まったく次の日になるまで気がつかなかったのは摩訶不思議というか、書いているのは誰だろう?といった感じです。誰に書いたのでしょう?今日が節分の2月3日であることを分っていたのにかかわらずです。すごい勘違いにも意味がある?)

今日は2月22日で、2が3つ揃うマスターナンバーな日ですが、猫の日でもあります。ニャン・ニャン・ニャンだからだそうです。

うちの猫は昨年の8月8日に突然プレゼントされて我が家にやってきたメスのベンガルですが、もうもう、猫というよりは野生のベンガル猫かベンガル虎に近く、強いです。猫には負けません。名前はマリアなんですけど。この猫は血統書付きであとで分ったことですが、本名?はマリマキと登録されていました。結構ニアピン?マリマ。似ている。あの子の名前にも。

      P1020349 これがうちのマリアさん。

さて、マグダラのマリアですが、聖書外典は非常に面白いです。イエスの弟子のマリアでしたが、正典には明記されていない記述がたくさんあり、特にグノーシス文書はもう禁断もいいところです。

トマス福音書114

「見よ、わたしは彼女を天の王国へ導くであろう。わたしが彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る活ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天の王国に入るであろうから。」

イエスが語った言葉ですが、秘儀中の秘儀であって、外典を読んでいくならば、イエスが12弟子であっても、ある内容の教えは弟子を厳選してその弟子だけに伝授していたことがわかります。外典のナグハマディ文書の日本語翻訳は高価であり絶版であり、わたしも第Ⅲ巻の「説教・書簡」を入手したときは定価の2倍近くの値段で購入しました。ですが、もし、これを早くに入手して読んでいれば、わたしの人生は大きく変わっていたことでしょう。

上記のイエスがマリアに述べた記述の内容は、ライトボディの第六あたりで経験する事柄です。スピリットのディセンション。自分の性と反対の人格が入ってきます。天の王国は両性具有だからです。女性性と男性性のバランス・そして新しい人格は同体転生につきものかとも。これは第8チャクラが開いて生きながらその人が死なないとそうなりません。

彼女が男になったとき、彼女は彼女ではなくなります。『わたしが彼女を男性にする』とは、第8チャクラオープン=第8チャクラからアクシオトーナルラインに接続するのにはキリスト庁の介入が必要だからです。

第8チャクラは覚醒ですが、使徒ヨハネのアセンションテクニック、ファーストサンダーの本によると、最低・・・・。外典にも言及されていることですが、キリストを見出せないとあります。な~んでこうなるのォ~といった、想像とはまったく逆の出来事が起こり始めるのです。

キリストは言いました。「わたしですら難しい。」

興味のある方は、外典を読んでみましょう。

さて、猫の守護者はセントジャーメーンですが、魔法使いは猫を飼ってます。ううちの猫もよく見えないものを見たり追ったりしていますが、猫は不可視の領域を見ることが出来る視野を持っています。外にいるのは犬ですが、中にいるのが猫なのです。今まで飼った猫はマリアが4番目ですが、3番目もまだ別の人のところで生きています。

あの子は元気なのだろうか。波動が高い子。

わたしが付けた名前Marimo=33. 拾った日2007.9.27=9.9.9.     Rimg04232_1

なぜマリアがプレゼントでやってきたかといえば、マリアをくださった方が、離れ離れで暮らすことになってしまった猫のことで、「あなたの猫の念がこっちにまで飛んできて困る」と言っていたのですが、そんなある日のこと、「プレゼントがあるから」といって箱をあけるとマリアがピンクのリボンをしてにゃ~ん。まだ1kgしかない赤ちゃん猫でした。

でも、あの子の代わりにはならないし、なれないのです。ライトボディの変容の過程ではスピリットが様々な関係を終わらせます。人や物そして愛着のあるものも。

キリストは言いました。

「わたしのため、福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、あるいは畑を後にして、今この時期に100倍をすなわち、家と兄弟と姉妹と母と子供と畑を迫害と共に得、来たらんとする事物の体制で永遠の命を得ないものはいません。」マルコ10:29・30

ルカ20:35・36

「かの事物の体制と死人の中からの復活を勝ち得るにふさわしいとみなされた者たちは、めとる事も嫁ぐこともありません。実際彼らはもう死ぬこともないのです。彼らは天使たちのようであり、また復活の子であることによって神の子たちなのです。」

外典トマス福音書49

 イエスが言った、「単独なる者、選ばれた者は幸いである。なぜなら、あなたがたがそこから来ているのなら、再びそこに行くであろうから。」

・・・うちのマリアさんは春になってきたせいか、もう盛ってます。自然界はこれが普通ですが、天の王国は単身者。

どちらがいいかはあなた次第です。と言いたいところですが・・・。

外典:救い主の対話27.28

 マタイが言った。「主よ、わたしはあの生命の場、悪がなく、純粋な光がある[   ]を見たいです」と。

主が言った。「兄弟マタイよ。あなたが肉体を身に帯びている限り、あなたはそれを見ることができないであろう」と。

肉=人間、天の王国=純粋な光のあるところ・・・。

これを書いている間に、日が変わり、今日は節分。そしてわたしの父の命日。さて、昨日買ったマメでも食べるかな。