COME BACK JAPAN!! おっかなビックリ日本生活

中国より20年ぶりに日本復帰
まさに 浦島太郎状態の日本生活です。
家族3人力を合わせて 頑張って行かねば!!

震災の現場では・・・

2011-04-29 22:18:54 | 日記
こんばんは。

一昨日、近隣企業のこちらに駐在している仲間達と食事して来ました。
夕方6時ごろ 『○○さんが帰って来てるから食事しよう!!』という連絡が入り、
残業終了後、いつもの場所に飛んで行きました。

○○さんというのは、陸前高田市の方で、あの震災が起こった後、すぐに帰国した方です。
お年は、知りませんが、見た感じは、60歳前後??頭も禿げていて。。。という感じの人なんですが
凄く良い感じの人です。
いつも逢うたびに 私の頭を見て、『そろそろ良い年なんだから リーゼント下ろしたら?』と言われます。(笑)

食事、ビールを飲みながら震災直後の陸前高田の状況を笑いを織り交ぜながら色々話してくれました。
いくら笑い話を織り交ぜても悲惨で、衝撃的な話でした。

例えば、バレーボールコートが2つくらいの小学校の体育館が死体安置所が有り、
そこには、1000体以上の死体が並べられていて、凄い異臭を放っている所に
被災者のみなさんが、自分のご家族や親戚の遺体を捜しにやって来る。
見つけて泣きだす人、見つからないと泣きだす人 絶えず鳴き声が、聞こえる。
遺体を見つけて、すがりつくと手や足が、ボロッと取れてしまう。。。
街中のいたる所で、がれきや泥から人の手や足が飛び出ている。。。
避難所もろとも津波に流されてしまったとか・・・
娘さんの目の前で、高校が、津波にやられて、無くなってしまったなど。。。
聞いているだけで、かなりヘコんでしまうような内容でした。
ご家族の方々は、みんな無事だったようですが、震災後3日間は、全く食べ物も何もなかったようです。
その後は、自衛隊の人達が、食べ物を運んでくれたので助かったらしいですが
政府も何も機能していない為、統制が取れず
自衛隊から消防庁から市から 一斉に支援物資(電気もガスもないので、食べ物は菓子パンばかり)が
ドンドン届いたらしいです。食べきれないくらい。。。

中国を出てから3日後やっとの思いで日本に到着し
凄い大回りをし、車を乗り継ぎながら何とか会社に到着したは良いけど
会社は残っているけど誰もいない。。。その後 また車を乗り継ぎ実家へ
ホント凄い光景だったようです。

震災の色んな話を聞いていると気づいたら10時半!!
『よし!いっちょカラオケでも行くか!!』と○○さんが言い出し、
○○さんが行くならって事で、みんな付き合いました。

驚く事に その○○さん 若い時、ロックバンドをやっていたらしく
今では、想像がつかないロングヘアだったらしいです。(今は、禿げてます。。。)
んで、さすがに驚くほど 歌がうまい!!
徳永英明とかスターダスレビューとか ホント口をアングリ開けて聴き入ってしまいました。。。
気づいたら1時半。。。

モチロンの事 次の日は、会社で屍のようになってました。。。

明日から3連休です。引っ越しの準備開始です!!


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