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歴史学界隈では「四人組」と称される網野善彦、本郷氏が教えを乞うた石井進、笠松宏至、そして勝俣鎭夫の各先生であった。   ことに、網野は戦後日本史学、第二のお祭りを担うスター研究者となった。


 学生時代の私は、史料をひたすら読み込む「実証」という帰納的な歴史に魅了された。その一方で、いくつかの史実をつなげて仮説を組み立てようとする演繹的な歴史のもつ面白さにハマった時期もあった。だが、実証を好む人々からは「仮説」というものは徹底して異端視され、しばしば私も批判されることになった。
さらに学びを深めるうちに、歴史学、歴史というものは決して悠久でも万古不易でもなく、それどころか、むしろその時代のもつ雰囲気や世論、世界の流れなどによって、簡単に姿を変えてしまう、ある意味恐ろしいものなのだという現実も知った。また、受験科目としての安直きわまりない「歴史」が、数多くの歴史嫌いを大量生産し、結果的に歴史という学問の著しい衰退を招いてしまっている事実にも言及したい。










ラブ51
5つ星のうち4.0 歴史学者が率直に語る歴史学
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東京大学の東大史料編纂所に勤務する歴史学者の半生記と歴史学についての考え方が述べられている。

東大史料編纂所は、江戸時代の国学者、 塙保己一 が設立した和学講談所の業務の一部が1888(明治 21) 年に帝国大学、後の東大に移管されてできた。

日本の歴史資料の編纂を使命としているが、その最大のミッションは1901(明治 34) 年から今日まで続く、我が国最大の歴史資料、『大日本史料』の編纂事業だという。

日本の飛鳥・奈良・平安の3時代にかけ、時の律令政府の手によって国史が編纂・作成された。

『日本書紀』(720年完成) から『日本三代実録』(901年完成) まで6つの国史が存在するので、俗に「 六国史」と呼ばれる。

その後の日本ではずっと国史の編纂が行われなかったため、『日本三代実録』以降、すなわち宇多天皇が即位する887年から、幕末の1867年までを対象とするおよそ980年分の日本の歴史をまとめようという壮大なプロジェクトが行われている。

このような国家事業に関わる著者が、歴史学(歴史ではない)について率直に語っていて好感が持てる。

著者によると、日本の歴史学の流れは四つの世代で分けると考えやすい。  

第0世代 皇国史観の歴史学  
第一世代 マルクス主義史観の歴史学  
第二世代 社会史「四人組」の時代
第三世代 現在

・第0世代 皇国史観の歴史学  
戦前・戦中の歴史学の特徴を一言でいうなら、がっつり「皇国史観」、ということになろうか。

神話で彩られる輝かしい古代を称揚し、天皇を頂点とする国造りの思想を重んじ、皇室に忠義を尽くした中世人や勤王の武士たちの「物語」を顕彰した。

古文書など史料に基づく事実の検証よりも、古典作品を重視し、時代の「精神」にフォーカスする歴史学とも言えるだろう。

・第一世代 マルクス主義史観の歴史学  
第二次世界大戦の敗戦を機に皇国史観はほぼ一掃され、それと同時に歴史学の世界でも唯物史観、マルクス主義的な色彩の濃い勢力が頭角を現すようになって行く。

マルクス主義的な歴史観とは、国家の経済を実質的に担っている労働者(下部構造) こそが歴史の主役であり、彼ら国民・民衆が団結して、いつか資本家や国家権力を打倒する日がやってくるのだと説く歴史の見方。

・第二世代 社会史「四人組」の時代
史的唯物史観のような「初めに結論ありき」の、イデオロギーに近い立場の歴史学が徐々に衰退していくにつれて、東大・京大で行われていた実証主義的な歴史学が次第に勢力を盛り返していくことになる。

その主翼を担ったのが、歴史学界隈では「四人組」と称される網野善彦、本郷氏が教えを乞うた石井進、笠松宏至、そして勝俣鎭夫の各先生であった。  

ことに、網野は戦後日本史学、第二のお祭りを担うスター研究者となった。

・現代
皇国史観で知られる平泉澄先生も「史料編纂所の連中の実証とは、調べているだけだ。分析したり調べたりするということは、物事をバラバラにしていく死の学問だ」とか、「本当の歴史学というのは、考える学問であり、信じる学問である」といった旨の発言を行っている。

ただし、平泉先生の批判の矛先が実証主義全体に向けられているのに対し、本郷氏は、実証から先の思考を停止してしまう狭義の実証=単純実証がおかしいと申し上げている。

さらに、日々、コツコツと孤独に机に向かって研究するスタイルの学者は今後ますます減っていくことになるだろう。

なぜなら、そのようなことを続けていては生きていけないからだ。

現在の学者に必要な資質とは何か。

研究者としての(ある程度の) 実力はもちろんだが、それだけでは駄目だ。

必要なのは、「競争的研究資金を得る」、つまり「自分は研究するために幾らのカネが必要だ」ということを胴元である文部科学省にうまくプレゼンテーションできる能力である。  

そしてもう一点、「学校の内外で仲間をうまくつくれる能力」も大事なのだ。

なぜなら、文科省は、「あなたの研究にはお仲間の先生がいますか」「お仲間の先生方は多様な大学から選んでいますか」といった点を重視するからである。

ここからは、私の個人的な感想だが、つまり、これから活躍する学者になるには、学者としての能力の他に、普通の社会人と同じような能力が求められるのである。

実際これは結構難しいと思うので、学者と経営の分離が大学に求められているといことだろう。

これは、大学に限らない。

医療やあらゆる業界に求められるだろう。






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