私自身もこれまで150冊以上の宗麟関連の書籍を集めましたが、いまだに宗麟の奴隷売買のソースといえる文書にお目にかかった事はありません。 ただ大分市歴史資料館に島津氏の豊後侵攻の時の奴隷狩りの書状が展示されていたのを見た事があります。 また私の地元にも島津氏の女狩りの逸話がのこっています。 ですからキリシタン大名に限らず、九州大名が奴隷売買を広くやっていた事は知られているので、 大友氏もソースが見つからないからといって、売買をやってなかったと考えるのは無理があるかもしれません。 自国民を奴隷売買していたとしたら罪人の処罰としてやっていた可能性もありすが、 一般人を売買していたら自国領から領民は逃亡してしまうので考えにくいですね。 しかし、宗麟は臼杵丹生島城に籠城した時にキリシタンもそうでない者も分けへだてなく収容し、島津氏の侵攻から守りました。 その際、自ら握り飯を民に配って回ったといいます。 当時の身分制度は厳しいので元守護大名本人が民にそういう親身に振る舞う事は考えられないことです。 宗麟は晩年にはそういう境地に達していたという事でしょう。 壮年期にはいろいろ間違いをおこしたでしょうが、最後には立派に振る舞った人だと思えば宗麟をもうちょっと評価すべきでしょう。
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奴隷貿易について 戦国時代、人身売買は日本中で行われていました。武田信玄や上杉謙信は有名ですし、北条家と里美家の間でもありました。