信虎は、懐胎した女性の腹を裂き、胎児の男女の別や妊娠の月数などを見て楽しんでいたと言われています。
武田信虎(武田信玄の父)には敵わないでしょう。 信虎は、懐胎した女性の腹を裂き、胎児の男女の別や妊娠の月数などを見て楽しんでいたと言われています。 信長の場合、比叡山の焼き打ちや長島一向一揆の門徒大量虐殺などがそういったイメージを想起させるのでしょうが、それは彼らが信長に敵対したからで、浅井父子や朝倉義景の頭蓋骨を薄濃にしたのも同じです。 自分を暗殺しようとした杉谷善住坊を鋸引の刑にしたり、離反した荒木村重の一族を焼き殺したりもしていますが、これらは全て「見せしめ」として行っているものです。「自分に逆らうと、こうなるぞ」という脅しのようなものです。 それを残酷と捉えるかどうかは、個々の主観に拠ってしまうので何とも言えませんが、少なくとも武田信虎のような、無益な殺生を信長が行ったという話は聞いたことがありません。 「圧し切り長谷部」程度の逸話なら、細川忠興の方が凄いでしょうし、伊達政宗も、小手森城攻略後に、‟降伏した”老若男女八百人を、子供といえども一人残らず斬り殺しています。 刑罰でいうなら、斎藤道三なども、領内の罪人の足を片方ずつ二頭の牛に引かせて引き裂く(牛裂きの刑)というものを行ったという話もあります。 「義の将」として名高い上杉謙信も、彼の出兵の実態は「他国での略奪」で、そのため侵攻された北条氏の領内は、領民の生活が成り立たなくなるほど徹底的な生産破壊を受けています。また謙信は捕まえた領民を売り払う人身売買も行っていました。