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同性愛は神からの贈り物か? ジム・ラッセル - 2017/8/10

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同性愛は神からの贈り物か?
ジム・ラッセル - 2017/8/10
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「自分の知っていることがすべて理解できるわけではない」私の好きな叔父がよく言っていた言葉だ。ブラジルのアントニオ・カルロス・クルス・サントス司教が7月30日の説教で、同性愛は "神からの贈り物 "だと語ったという最近の報道を見て、この言葉が頭に浮かんだ。
クルス司教は同性愛に関する教会の正統な教えを知っているはずだが、同性愛を "賜物 "と同一視していること、そしてその後のいくつかの主張は、おそらく彼がその教えを十分に理解していないことを示唆している。もしそうなら、そうでないカトリック信者は彼だけではない。私たち全員が知っていると主張していること、そしてクルーズ司教の主張に誤りがないとは限らない理由をよりよく理解するために、「慈愛に満ちた明瞭さ」を提供することに努めよう。
私たちに突きつけられている問題は2つの側面がある。第一に、同性愛指向は "選択 "ではなく、むしろ人が "発見 "するものであるという主張に注目する必要がある。第二に、その主張の論理的帰結に対処する必要がある。つまり、愛に満ちた排他的な同性関係は、同性に惹かれる人々にとって良いものとして促進されるべきであるということである。
クルーズ司教は言う: 「同性愛が)選択ではなく、病気でもないのなら、信仰の観点からは、それは賜物でしかありえない。この場合、"私たちが知っていることを理解する "ために、私たちはまず、指向のイデオロギーと性的魅力の経験を決定的に区別する必要がある。
特定の性的指向を主張することは、確実に選択である。増え続ける性的指向とアイデンティティのスペクトルは、人間の構築物であり、性的魅力の経験について何か意味のあることを言おうとしているイデオロギーである。教会が提示する多くのセクシュアリティとは対照的に、教会は私たちに、セクシュアリティはただ一つであり、男女の夫婦愛に秩序づけられていると明確に教えている(『カトリック教会のカテキズム』2360)。そして、性的アイデンティティは男と女の2つしかない。
選択の余地がないのは、人間の情念の内側から不本意に生じる同性間の魅力の経験である。そのアトラクションを偽りの性的アイデンティティとして構築するのではなく、その正体を理解する必要がある。
これは、同性愛が身体的な病気ではないものの、健康の証でもないことを認識することを意味する。教会は、同性愛の傾向は、異性に惹かれ子孫を残すという、神から与えられた本物の性の傾向と矛盾すると教えている(CCC 2357)。そのような傾きは人間の本性の一部であり、すべての人がそのように生まれてくる。同性愛への傾倒をもたらすものは何であれ(諸説あるが)、身体に病気を引き起こすウイルスではないかもしれない。 そのようなものが神からの贈り物であるはずがない。
選択でも病気でもないからといって、それが神の贈り物であるとは限らない。












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