戦後[編集]
アルマダの海戦時のエリザベス1世の肖像画
イングランドの損害は死者50から100、負傷者400に留まり、沈没した船はなかったが、イングランド艦隊はグラヴリンヌ沖海戦で無敵艦隊の再集結を阻止しえなかったので、なお艦隊に兵を配置し続ける必要があった。このため、艦隊に疫病が発生し、チフスや赤痢、飢餓によって数千人の水夫や兵士が死亡している[3]。政府の資金不足により、彼らは給与を支払われることなく解隊されており、ハワードが戦利品や私財を使って乗組員を救済したが到底足りず[90]、イングランドの守護者たちが無給のまま何か月も放置されたことで、士気を低下させる論争が引き起こされた。これはスペイン政府が艦隊の生き残りに援助を与えたこととは対照的であった[91]。
英西戦争は膠着状態に陥り、フェリペ2世とエリザベス1世の没後の1604年にスペイン側に有利な内容のロンドン条約 (en) が締結されて終結した。