自分自身の半生をかえりみて「我ながら成長したな」と思うのは、文章を書くスピードと、本を読むスピードが、学生時代とは比較にならない程速くなった事である。
鍛えられたのは、主に大学院時代ーー今にして思えば、大学院というのは、互いを高めあうというより、才能を潰し合う場所であった。(それが逆説的な形で教育になっていた。)
潰されないためにーー或いは、ナメられないためにーー必要な事は、①とにかく良い論文を書く事、②実力の違いを周囲に見せつける事であった。
そのために、ゼミの発表は、常に緊張感を伴って行われていた。ゼミで発表する時は、①他人に論破されないよう完全に論理武装しておき、②それなりの水準の論文を準備しておく必要があった。また、他人が発表する時は、相手の論文の弱点をひたすら探して批判した。(批判的でない質問ばかりしていると、それはそれでまたバカにされるのである)
不意打ちを食らわないため、私は先手必勝の精神で将来を見据えて、いつも2、3本の論文を用意していたし、自分の研究について、いつどんな質問が来ても大丈夫なように、論理武装していた。
逆にいうと、大学院で潰れていく人は、そういう準備が出来ない人ーー発表日が決まってから重い腰をあげて、ようやく論文の執筆に取りかかるような、面倒くさがり屋の人である。(大抵の人がこのタイプであった。)
そういう人は、大抵ゼミの発表で炎上する。炎上というのは、文字通り四方八方から袋叩きの目に遭って、皆の前で公開処刑される事である。公開処刑のエグさは大学院生でなければ、分からないだろう。
私は臆病者ゆえに、公開処刑だけは本当にイヤだったので、いつも死に物狂いで研究していた。
「笑われない論文を書かなくてはいけない」というプレッシャーのなか、出来るだけたくさんの本を読み、出来るだけたくさんの文章を書いた。そうして書き上げた文章の中でも、上手く書けた部分だけを、さらに抽出して最終的な論文を仕上げていった。(嫌々というより、元々研究が好き、というのもあったかもしれん。)
そんな風にして、必死に研究を続けた結果、いつの間にか活字を読んだり、書いたりしているのが当たり前になった。また、文章の「上手く書けた部分」の水準が、次第に私の研究の標準(スタンダード)になっていった。
そんな次第で、読んだり、書いたり、考えたりする事が、次第に苦痛ではなくなっていき、むしろ私の中の「当たり前」になっていったのである。
そういう修羅場を経験した事で、初めて私の中で「成長」と呼べるものが生まれたのだろう。
いや、そういう経験をしないと人は変われないという事でもあるのだろう。