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さ~帰ろうと思っていたころ一本の電話が・・・。結局、「明宝村」まで行ってきました。帰りにスルスミの里(道の駅)へよって、軽く腹ごしらえと思っていたがすでに営業を終了していたので、その前にある○ークルKでパンを食べた。(写真は、この道の駅にある銅像。)途中、道路脇にある温度計が3℃を示していたことや友人Y田氏の電話で「スキーの板5セットをすでにワックスがけした」ことを知ったことなどで「冬」を感じていた。さらに、ちょっと車を降りた時に感じるきゅっとくる寒さで
全身で冬を感じました。
スキー場も近いこともあって徐所にテンションが上がってきたときに・・・
雪や舞う さむいさむいと 手を握る
・・・と、一句よんでしまった。これは、妻がよく寒い寒いといって暖かいお茶を持っている僕の手をつかんでくる様子(純粋に僕の手ではなく”お茶”を)をコメディタッチでうたおうとしたものだが5-7-5ではむずかしかった。そのような状況は全然うかんでこないがそれはそれとしていいのではないか。背景には「お茶」もあるので「おーいお茶・新俳句大賞」にぴったりではないか~。ということで、
応募しました。
勢いでもう一句。
心舞う 春はまだかと 冬の恋
これは、こころ暖かい青年が、ある猫耳娘に恋をしている様子を、「心が舞う」と「雪が舞う」をかけて表現した一句である。切(雪)ない気持ちでいる青年が雪解けと恋の開花を重ねていることが伺える。また、猫耳から連想できるように、この青年は二次元に恋をしている。けっして成就することがない物語に感情移入した読者を切ない気持ちにさせてしまう悲しい句でもある。
みんさんを誤解させてしまうといけないので明記するが、
私の気持ちをうたった句ではありません。
結局何が言いたかったかというと、今日の夜はこのぐらい
さむかった
ということです。
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