![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/41/9a00bb94810153a6f0ca2cfc1dfa98a4.jpg?1587252318)
愛する我が子をこうしたカタチで残せるのですね。
なんて素敵なんでしょう。
私の載せた写真より、本物はもっともっと太陽の光が入り輝いています!
夜、キャンドルを前に置いた時、違う雰囲気になり、それがまた、特別な穏やかな気持ちになれます。
光に照らされたマックスの瞳の美しさが、本当にそこにマックスがいるようで。
作品を見た瞬間泣いてしまいました。
マックスの『生きた証』をと考えてくださったpan家のパパ、ママ。
そして丁寧に作成してくださったsakuraママさん。
本当に本当にありがとうございます。
マックスとの生活は、私達家族にたくさんの出会いと繋がりをくれました。
そして、それはずっと続くのだと思います。
マックス、うちの子になってくれた事感謝してるよ。ありがとう。
最初は小学生の頃でした。
犬の名前は「マル」・・・
雑種でしたが賢い子で小学校から帰るとよく遊んでいました。
時代は昭和30年代・・・室内で犬を飼うような家庭はどこにもなかった。
例外なく「マル」も外犬でした。
「マル」が死んだ時の情景は今でも脳裏に刻まれています。
次に犬を飼ったのは子供が出来てから・・・
今から約30年ほど前のことでしょうか。
シェパードの大型犬でとっても甘えん坊な子でした。
子供たちはこの「キキ」と共に育ったといっても過言ではありません。
13才で亡くなりましたが、それはそれは悲しかった。
これほどの悲しみが待っているならもう二度と犬は飼わない!
そう思っていました。
ところが、「キキ」が亡くなって3年・・・
今のpanとの運命の出会いが出張で訪れていた熊本ありました。
そのpanも13才(ジュッタンも同じですが)・・・
耳は遠くなり、脚はグラグラ・・・
耳が聞こえなくなったせいか、今までにまして甘えが強くなった。
でも、こうして毎日一緒に暮らせる幸せは何物にも代えがたい。
マックスの想い出を胸にジュッタンとの生活を楽しんで下さいね!
別れたくなかったです。
逝ってほしくなかったです。
それでも別れの日が来てしまいました。
こんなに辛いとは。
パパさんちのキキちゃんの時と似てるのかしら?
うちの娘たちは、マックスと一緒。下の子は3歳でした。随分マックスには我慢してもらった事も多くあります。
何もかも一緒に過ごし、よく何か書類を書く時、娘2人、マクジュの4人が混ざってしまい(笑)めちゃちゃな生年月日などを記入していました。
それでも『私の子供と一緒なの』という表現は違う存在で。
言葉を交わさないけれど、目で話せ、意志の疎通ができる特別な存在。
その存在を失った。
その喪失感は大きすぎました。
でも、ひたすら失ってしまったと思っていましたが、パパさんが『生きた証を』と言ってくれ、こんな素晴らしいカタチで残していただいて、すごく気持ちが穏やかになった気がするのです。
夜はパネルの前にキャンドルを置いてマックスと話しをします。
失ったのではないのですね。
そう思えるようになりました。
私の世界をマックスが来たことで広げてくれました。
マックスがいなければ、ジュエルを迎えることもなかったのです。
彼と出会えて良かったです。
パネル、大切にします。
本当ありがとうございました。