今日は『恋するダルスン』からこのセリフにしました。このセリフは…
テソンはダルスンに実の父親が誰なのかばれそうになったため、自分がダルスンの実父だ、とダルスンに告げました。これにはホンジュもホンジュの実母のダルレも猛反発しましたが、そんな中ダルスンがテソンの家に現れ、この家に戻り、ソンインの娘ウンソルとして生きる、と宣言しました。3人は驚きましたが、テソンがまるでダルスンをお姫様扱いしました。ダルスンが今の家族に言ってから引っ越してきます、と言って帰った後、テソンはホンジュの機嫌取りに骨を折ることになり、機嫌を直してくれ、話しただろ、ダルスンは形だけで…と言いかけたのを遮りホンジュは、ダルスンではなくウンソルでしょ、と言いました。そして更に続けたのがこの言葉になります。
意味と形。簡単に考えれば、児童でもわかることですが、意味と形はどっちが大事かなどと小難しく考え出すと大学の研究テーマとなってしまいます。実際これに一生を費やす人がいるほどですから(笑)
当たり前のことですが、形も意味もどちらが欠けてもそれこそ意味がありませんし、うまくバランスを取って両立しているはずです。ところが無能な大臣やワイドショーのコメンテイター等々、これらはみな一見、形があっても意味がないように見えますが、こうした存在が消えないところをみると、この世の中、意外と意味より形の方が大切なのかもしれません(笑)
後、ザル法のように形骸化したもの、壊れたラジオから出てくる雑音、機械的な読経等々、確かにいくらでも研究材料がありますね(笑)が、ここはそんなblogではないので、この辺で止めときます。