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備忘録。

読書の記録 彼方

2021-02-24 12:47:25 | 読書
前の記事で書いたと思うのですが、『彼方』(J-K・ユイスマンス、創元推理文庫)読了しました。
 
『さかしま』や、ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』でも感じたことですが、
自然主義+衒学趣味というべきなのか、
「完璧ではない性格の男性が、趣味にいそしみつつも色々悩む」みたいな作風が好きかもしれません。
デュルタルもデ・ゼッサントもドリアンも、自身の興味の対象への造詣は深いものの、
性格的には多少の難ありというか、少なくとも完璧人間ではなくて、
自分勝手だったりすぐ考えが変わったりしているところが、かえって人間らしくて好感が持てるなと。
 
『彼方』の序盤でのデュルタルとデ・ゼルミーとの会話にもあるように、
こういう人物描写を、趣味が悪いとか、下品なものばかりに注目しているとか、
大衆迎合的とか評することもできると思いますが、それでも私はこういうの好きです。
少なくとも、取ってつけたような、読者にとってどうでもいい悩みをうだうだ繰り返すような主人公よりは、
内容が下賤だったとしても、読者に多少なり共感や反応を引き起こすような描写のほうが良いように思います。
 
作品と直接関係しない話ですが、
訳者の田辺貞之助が、『さかしま』でのデ・ゼッサントの趣味を「幼稚」と一蹴していて、
私が『さかしま』を読んだときには意識していませんでしたが、そう言われても仕方ないかとも思いました。
 
田辺自身は「幼稚」と評する理由について触れていませんが、
デ・ゼッサントがやっていたことの多くは既存のものの模倣だったり、
単なる派手もの好みだったりして、一貫した美学というものを感じにくい、というところに理由があるのかなと。
デ・ゼッサントの中では考えがあったかもしれませんが、
外から(読者として)見る分には、筋が通っていない思い付きが多いように見えるのは確かな気がします。
 
ただ、『彼方』でのデュルタルの描写などを踏まえると、
こういうデ・ゼッサントの趣味の限界も、ユイスマンスの技量不足によるものなのかどうか、疑問に思いました。
つまり、デ・ゼッサントについてのこういう描写も意識的にされたものなんじゃないかなと。
デ・ゼッサントもデュルタルも、理想化された「趣味人」としてではなく、
平々凡々な人間が、あえて趣味や興味を突き詰めようとする(そして失敗したり横やりが入ったりする)過程を、
自然主義的な描写で(自然主義に詳しくないので、こう評する資格が自分にあるかは分かりませんが)描く、
というところが目的だったりしないのかな……と。
詳しい人から見たら、私のこの見解も全然見当外れなのかもしれませんけど。
 
さておき、ユイスマンスの小説が気に入ったので、平凡社ライブラリーの『大伽藍』も通販で購入してみました。
ユイスマンスの作品、『さかしま』以外は新刊で入手できるものがあんまりないんですよね……
創元社でも平凡社でもどこでもいいですが、新しく出してくれないかなー。


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