わたしに生きている祖父母は1人しかいません。
母方のおじぃちゃん。
戦地へ行った経験があり、3人の子供を育て上げ、妻を看取った言葉少なのおじぃちゃん。
もうちょいで100歳に手が届くけど、自分でトイレに行くし、デニッシュバーも食べる。元気の素は「早寝早起き朝ごはん‼️」だそうです。見習いたい。
このおじぃちゃんが居なくなったら、育て上げた3人の子供たちはバラバラになる予定です。
先日久しぶりに会いに行きました。
椅子に座って写真や本を見ているおじぃちゃん。
わたしに終戦間際ポツダム宣言を受諾するかしないかを話し合った御前会議前後を記録した冊子を手渡してきました。
「自分も町の警備に参加した」そうな。
旦那さんも子供らも一緒に来てましたが、渡されたその冊子を一心不乱に読んでいました。
玉音放送が流れるまでに、天皇陛下をはじめ国のトップがどんな思いで終戦を決断したのか。教科書にはないそれは、とても興味深い当時の記録でした。
おじぃちゃんの体験の一部がそこにありました。だから大切に何度も読んでいる、その冊子。読めて良かった。
おじぃちゃんはいろんな想いを抱えています。
自分が歩んできた道を覚えておいてほしい気持ち。
家族や親族血の繋がりを大切にする気持ち。
町内の老人会が元気で活動してほしい気持ち。
ディサービスで一緒になる人達が楽しく過ごしてほしいと思う気持ち。
今でもおばぁちゃんが喜んでくれることをしたい気持ち。
その為に自分も元気でいようとしている。すごいおじぃちゃん。
きっと子供らがバラバラになろうとしていることも、わかっている。
だから自分の為に企画される旅行や行事は、姉弟3人そろわなかったら行かない。
でもおばさんは「変なこだわり」だと思っている。当事者におじぃちゃんの気持ちは伝わってない。
おばぁちゃんが生きていたころ、おばぁちゃんの誕生日はおじぃちゃんが音頭をとって誕生日会をひらいていた。
ひ孫まで集合してた。
おじぃちゃんの愛。
おじぃちゃんの誕生日、誰も誕生日会の話は出さない。その代わり子供らが旅行に連れていく。
わたしたちはおじぃちゃんの誕生日をお祝いできない。
おじぃちゃんへの愛とは?
おばさんが言ってました。
「おばぁちゃんの最後の願い(施設から家に帰りたい)を聞いてあげられなかったことをずっと後悔している。だからおじぃちゃんの最後までの時間はおじぃちゃんが幸せと思うことをしたい」
で、その時間からわたし達は排除されるんですかね?孫が一同に集まる機会を奪うんですかね?おじぃちゃんが大事にしてるものは、いなくなったら大事にしないんですかね?
何が見えていて、何を見ていないのでしょう。
でもわたしの言葉はこの人達には届きません。
おじぃちゃんの誕生日にはお花を届けに行こうと思います。