詳しい内容は以前に書いていますが、私の側には、かの有名な10代のカリスマと呼ばれた尾崎豊が居られます。
(*イエス様が豊と呼んで良いと言われた為、敬称略しています。)
もちろん、尾崎豊は亡くなられておられるので、肉体ではなく、霊体(聖霊)として来られて居ます。
それだけでも非常に驚くべき事ですが、更に世界で一番有名なイエス・キリストだと言う衝撃の事実を告白され、
余りにも現実離れして居て当初は頭がついて行かず、理解する事が出来ませんでした。
私は私なのですが、私では無い私が尾崎豊に必要とされ、私は第三者の立場の人間として冷静に、私では無い私と
尾崎豊の関係を見ている様でした。
実際、尾崎豊は30年もの間、ずっと私の側に居てくれて居ます。私はビックリ仰天しました。
何故、私の様な下流に居る人間の所におられるのか、理解しがたい事でした。
私は取り分けなんの優れたものも無く、どちらかと言うと残念な人間で有り、地味で乏しい人間だからです。
それに比べ尾崎豊は偉大なるロックシンガーで有り、それは輝かしく、歌声は透明で美しく、歌詞は宝石の様で、
見た目も美しく、まるで『光』そのものだったからです。私には何の欠点も無い様に見えました。
私から見れば、何故こんな100点満点の人が苦しまねばならなかったのか、知る由も有りませんでした。
やはり、純粋で美しい人程早死にしてしまうのかと思っていました。天才芸術家の人の夭逝かと思いました。
そんな美しき天才が私の側におられるのです。
一番信じられないのは実は私自身でした。まぁ当然と言えば当然の事で当たり前の事なのです。
信じろと言う方が、おかしいのです。月とスッポンぐらいの差が有るのですから。
しかし、日々の積み重ねの中でようやく自分と言う人が必要とされて居る事に納得する事が出来ました。
それは唯一私がやってきていた『絵』という繋がりがあったからです。
『絵』を通してこの偉大な尾崎豊と繋がっていたのです。