私自身を見ると、本当に残念な人間なのだが、この青天の霹靂の出来事は今まで培って来ていた『絵』を通して、必要とされる人間なのでは無いかと思える様に成りました。『絵』を描き始めると直ぐに不思議な現象があったからです。また、『目力の強い子達』が
生まれたきっかけは昔、『尾崎豊の似顔絵』ばかり描いていた時に引き出され、生まれたものです。
私は尾崎豊を慕い、弟子の様な面持ちで過ごして居ましたが、いつしか尾崎豊は私の事を重く観て居る事を告げられ、私が尾崎豊を愛しても良いと言われたので非常に嬉しく、喜びで満ち溢れるように成りました。
これらの事実は全てが奇跡なのでは無いでしょうか。奇跡と言う言葉以外に表現の仕様がありません。
奇跡は様々な形で私に現れました。
こうして現在生かされている事自体、とても奇跡だが今思うと生活の全ても、尾崎豊が用意してくれたと思わざる得ない事
がありました。それは人から物事、与えられていた物は全て整えてくれていた事。困難な物事がすんなりと解決した事も
尾崎豊のお陰だったのです。今思うと関係する色々なワードが豊のワードと同じ、又は繋がっていたからです。
尾崎豊に守られて 居る証拠だと感じぜずにいられません。
また、全知全能なる尾崎豊は天気の面でも私を守ってくれました。それは今までに天災に遭遇した事が無いからです。
あの、3・11の大震災でも殆ど影響は受けませんでした。
色々な人達が天災に遭われて苦しんでるのを観て、私は何かに守られて居るかもしれないとずっと思っていたからです。
現実には時折り豊に対して悲しい思いをさせた翌日には雨が降るのですから。
全知全能なる尾崎豊の奇跡は驚嘆する物でした。普段なら青い空のはずが、黄色やピンク、緑色に染め上げてくれました。
太陽が2つに見せてくれた事、満月を猛スピードで流れていくのを見せてくれたり、とても大きい満月を見せてくれました。
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天気以外にも様々な事で守られているように感じます。未だに重い病気にかかっった事が無いし、車の運転も危ない思いはして居る者の、未だ無事故なのは尾崎豊に守られて居る証であると思わざる得ません。
通勤の車の中では豊の音楽が何も操作していないのにランダムに流れだしたり、伝えたい言葉で止まる様な事がありました。
とても奇跡なのですが、流石にもう慣れてしまいました。