左に見える「宇賀峡」の水量は少なく、やはりこの夏の異常気象を感じる。その宇賀峡「高山川」に沿って離合も難しいであろう道幅の林道を走行している・・
宇賀ダムを過ぎて、宇賀峡に入ると樹が覆い茂り、それが太陽の光を遮って、昼間だと云うのに少し薄暗く感じる。
考えてみたらこの地も広島市安佐北区の市内なのだと思うと、改めて驚かされる・・
前の晩、「野鳥図鑑」を何気に見ていると、以前、山好きの友人に「宇賀峡で過去二度ほどヤマセミを見た事があるよ」と、話してくれたのを思い出した。
機会があれば訪ねてみたいと思っていたが、今年の夏の気候の悪さにはホトホト参り、なかなか出向けないでいた~(/_;)
太田川沿いの県道177号を使い、宇賀地区から「宇賀ダム」と書かれた看板を頼りに山道を進んでいく。県道からダムまでは約10分位で着く距離に在り、「宇賀峡」にも程近い事が判った。
ダムを通り越し、狭い林道に入った。この辺りが宇賀峡だと地図上にも記されているから間違いないと思うが・・其れにしても川の水も少なく、樹が覆い茂り、何だか薄暗い・・
適当な所で車を止めて辺りを見渡す・・野鳥観察、素人の私には「ヤマセミ」など遭遇できるとは思ってはいないが、一応首にはバードウォッチング用の双眼鏡をぶら下げてはいる。
其れも、まぐれでも遭遇できれば良いかなぁ~と、言った類の浅はかな思いで・・絶対に見つけるぞ!と、言った強い信念はない~(^_^;)・・それより気になるのが、このまま川沿を伝って行くと、どんな所に出るのだろう?先には集落は在るのかな?何て、何時もの悪い癖で冒険心が顔を覗かせtた。
そう思うと気持ちはこの「道」の果て・・未だ見た事のない「地」を訪ねる事に心が弾む。だから初めての「道」は「未知」なのだと一人なっとくしてしまった~(汗・・)
ゆっくり川沿いの林道を上に向けて走り出す。結構深い山間部・・倒木も到る所で目に付くが、道路を塞いでいたであろう箇所はちゃんと伐採されており、通行には支障はない・・エアコンを切り窓を全開にしていると風が涼しくとても気持ちが良い。
こんなときはCDも消して、鳥の鳴き声、水の流、吹く風、そして揺れる木々達のざわつく音に耳を傾けると、それが素敵なBGMとなって、心が癒される・・
暫らく走ると、「↑丹原」「高山→」と書かれた道案内板を発見。
今回は「高山方面」に向かう事にした・・・此処まで集落や家屋は一度も見ていないが、道案内板から先に進むと、初めて「家屋」らしき建物が目に付いた。近づくと4~5軒の家屋が点在していて、どれも皆綺麗なだった。
そのうち一軒の「茅葺家屋」を暫らく眺めていると、人が作業をしているのに気がついた。その方に挨拶すると、どうやらその茅葺家屋の主だと知り、写真を撮る許可を頂く序に、この辺りの様子を伺った。
この「高山地区」には三つの集落が在り、そのどれもが「離村」と言う形になり、現在ここには誰も住んでいないという事だ。
只、月に数回はこうして帰って来ては家の空気の入れ替えや、夏の週末には此処で避暑を満喫すると云う~(^。^)どうりで家屋の手入れが行き届いているし、とても綺麗である。
此処のご主人も今朝「可部」から来て、お孫さん達の為に日曜大工で「遊具(アスレチック)」を造っているのだと言う~
勿論、全世帯全てが帰館している訳では無く、中には手入れもされず、朽ち果てる家屋も少なからず点在していた・・因みに先ほどの道案内に記されていた「丹原地区」は、完全に人の出入りは無く、道も途中で草木が邪魔して「丹原地区」には行けないそうである。
そしてもう一つ、驚いた事に、この山深い「高山地区」にも「学び舎」は在ったという~此処から約200m程先に行った所に「学校跡」が在るというので訪ねてみた。
「丹原にて~」↓参照 旧校名「高原小学校」後に「宇賀小学校高山分校」となり、昭和44年3月廃校http://www.geocities.jp/rr1222r111/tanbararekishi/tanbara1.htm
真ん中の小さな石碑には『高原小学校跡 昭和52年十月吉日 建之 』と記されおりました。廃校は昭和44年三月ですから、石碑に記された月日は多分、校舎の解体された日付だと想像できます。
今から約40年前まで、この地に「学び舎」が在った事には正直驚かされた~最盛期には約4~50名の生徒が在籍していたと云うから、尚更驚いた・・現在「校門」と小さな「石碑」だけが残っている。
さて、今回「宇賀ダム/宇賀峡」にバードウォッチングをするつもりでいたが、いつの間にか「林道探検」になってしまった・・まぁ~お陰で素敵な集落も発見出来た事だし「良し!」としましょうか!~♪~だけど、ODは色んな素晴らしい発見が出来て最高に楽しいですねヽ(´▽`)/~♪