先日、初めて訪ねた神社で参拝を済ませ、帰り参道の石段を下ってわき道に入ってみる。すると其処の一角だけ懐かしい木造家屋が並んでいた。
その家と家の間の、狭い傾斜した石段の小路を下っていると、先に懐かしい物を発見~「リアカー」だ~側に近づいてみると、かなり年季の入った古いリヤカーだが、どうやら今でも現役で活躍しているようだ・・
私が小学生の頃、あの時代は「リアカー」を頻繁に見る機会があった。自転車やオートバイで牽引するのも偶に見かけたが、殆どは人力で引っ張っていた。
使い道は行商で使われていた物が多かったように思う。思えば移動式商店のようなもので・・例えば「さお竹」「豆腐」「焼き芋」「風鈴売り」「魚売り」「ほおずき売り」「ポン菓子」「花」等~
こんな思い出がある~・・確か小学4~5年生くらいだったと思うが、友人と下校途中、坂道でリアカーを引っ張る男の人を見かけた。
私達の歩く速度より遅いスピードで坂を登っていくリアカーを、その追い越しざまに横目でチラッと叔父さんの顔みると、汗びっしょりになりながら一生懸命な表情で引いていた。
友人が「おい、どうする?後ろから押してやろうか・・」 「うん、そうだね。手伝ってやろうよ」と、そんな内容の話をしたと思う・・
透かさず一旦抜かしたそのリアカーの後ろまで戻り、声も掛けないで二人していきなり後ろから押し始めた~
急に軽くなったと感じたその叔父さんは、後ろを振り返り「おっ!手伝ってくれるのか~あっはは~ありがとよ~」と、笑顔で答えてくれた~
坂を上りきった平地に着くと、「ボクたち、其処の〇〇〇小の生徒だろ?これはお礼だ。持っていきな~」と、礼を言いながら、わたし達に「乾パン」を一袋ご褒美にくれた~
「乾パン」~今の人たちは非常食として名前は知っているだろうが、食する人は殆どいないだろうなぁ~当時(S30~S40年代)は、「乾パン」も立派な「おやつ」だった~(笑)
その後、その叔父さんを数回町で見かけたけど・・後にあの叔父さんの仕事は「駄菓子の問屋さん」だと知ったのは随分時が経ってからだった・・
~考えてみたら、当時の商売は売り手と買い手のコミニケーションがあってこそ成り立っていた時代だ。ところが便利な「スーパー」やPCの「通販」が台頭したことで、その人同士の会話も無くなり、「売り買い」は一方通行になってしまった。何だか淋しい限りだ・・あの「魚屋」や「八百屋」は何処に行ってしまったのでしょうね~あっ!話しが脱線した~申し訳ない~m(__)m
さて、「リアカー」~最近は「宅配業者」や「豆腐売り」が使っているのを数回見たことがある・・実は先日、私もそのリヤカーを引く「豆腐屋」からザル豆腐を買った~(笑)~不思議なことに「人」から買ったその「豆腐」が大変美味しく感じたのは気のせいだろうか?~(笑)