おはようございます。早いもので、今日から七月(文月)のスタートですね。
先日、学び舎のカテゴリーに今度「何故自分の卒業した母校でもないのにどうして懐かしく思う」をUpすると、告知していたのですが一つ先延ばしにさせて頂き、今回「二宮金次郎像」についてUpさせて頂きます。
と、言うのも、あれだけ木造校舎を訪ねて居るのにも関わらず、学び舎につきものの金次郎像にはあまり触れていない事に気が付きました。そこで急遽¨二宮金次郎(尊徳)について簡単にブログ掲載をさせて頂きます。※少し長くなりますが申し訳ありません・・(´・ω・`)
小学生の頃「勤勉」と言う言葉を先生に教えられました。其れは勉学に励み、家族の手伝いをする・・という意味合いですね。金次郎像は背に「薪」を背負いながら(労働ですね)、「本」を読むという、ある意味¨神業¨みたいな事をしてた事になります。現在では到底考えられない所行ですね~(^^♪
※はい!7月と言う事で本日のオープニングは之です
➡「夏休み 」吉田拓郎
※ウッキペディア参照
※ 『二宮金次郎は、金融感覚に優れた人だったらしく、 優れた換金手段としての"薪¨から得られた元手で知人に低金利で融資し、自身は田畑を買い上げ耕作は依頼しつつ、また薪を背負って…とても合理的に財を成しています。因みに金次郎の読んでる本は「大学」というタイトルで、曾子が書いたとされる儒教の入門書みたいなものだと言います。』・・・本はともかく、金銭感覚に優れていたのかぁ・・凄い"財テク¨の才能がある人だったんだなぁ~・・本当にそうだったの???・・(; ・`д・´)
おもしろい事に今更気が付いたのですが、校舎が解体撤去されてもその跡地には金次郎像だけは残ってる学校跡も沢山見てきました。
そうそう、金次郎の材質は元来「銅像」が本当だったのですが、戦時中金属不足により全国の金次郎の銅像が国に回収さてたそうです。その後今の「コンクリート製/陶器製/木製/石膏製」等に変わったということです。皆さんの学校はどうでした?私の学校は石膏製だったように記憶しています。
因みに金次郎像の始まりは、『小説家・幸田露伴が『報徳記』に基づいて記したという『二宮尊徳翁』の口絵。 実はこの口絵が金次郎の「負薪読書」の姿を描いた最初の絵とされ、のちの「二宮金次郎像」の原型になったと言われています。』・・これも知らんかった・・(-_-;)
※幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。
※『二宮尊徳翁』の口絵。ウッキペディア参照
と、言う事なんですねぇ~金次郎像・・深いですねぇ・・皆さんの母校にはまだ金次郎像はのこっているでしょうか?もし、出会えたら頭なでなでしてあげて下さいね~(* ´艸`)
あっ!!これも思い出した!!当時私たちの間で夜中に金次郎像が校庭や校舎内を歩いてる・・と、いう都市伝説がありました。あれ、今だから言えるけど、ワタシは信じ切ってて、夜学校の側を通るのが怖かった。たとえそれが親と一緒でもだ・・(´;ω;`)ウッ…
あっははは~それでは皆さん!本日も明るく
元気にスタートしましょう~♪
宜しくです~(´艸`*)
あっ!そうだ!あの実習教育の姉さん先生、今頃どうしてるだろう・・確かに綺麗な先生だったなぁ・・
※きょのお天気
前線が西日本や東日本の南岸に停滞するでしょう。沖縄は所々で激しい雨が降る見込みです。九州北部や中国地方など一部で日が差すものの、九州から東北にかけては太平洋側ほど雨が降りやすいでしょう。九州南部や四国、近畿は午前を中心に、東海、関東甲信は夜にかけて局地的に激しく降り、大雨となる恐れがあります。寒気の影響で北海道も雲が多く、にわか雨があるでしょう。