こちら、今日の最高気温は14℃あり、正に春の暖かな気候でした。これで桜を始め、他の草花の固く小さな蕾も、幾分大きく膨らんだと思います。
皆様の所は如何でしたか?と、言っても3月始まったばかり、之から”花冷え”と言って、幾分の戻り寒波が来るかもしれません。どうぞ何方様もお身体御自愛下さいね~♪
さて、今日は過去のブログを見ていると、こんな記事を発見。これは今から11年前の、2011(H23)年2月17日に、ある故人を偲んでUpした記事です。今回RemakeUpしたいと思います。少しマニアックな内容ですので、画だけみて頂ければ幸いです~それでは~(´艸`*)
~~~~~~~⇩RemakeUp⇩~~~~~~~
「skyline(スカイライン)」~この「単語」は車好きは勿論、余り車に興味の無い方でも聞き覚えがあり、何処か馴染のある言葉だと思います。
そのスカイラインの技術開発者であり、エンジニアの“桜井真一郎氏”が、2011年1月17日心不全の為逝去 享年81歳~この訃報を知ったのが1月下旬だった。
※桜井 眞一郎(1929年4月3日 - 2011年1月17日享年81歳)日本の自動車技術者。株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。日本自動車殿堂入り、オーテックジャパン初代代表取締役。神奈川県出身。スカイライン生みの親として知られる。
※初代プリンススカイライン
全長4280mm 全巾1675mm 全高1535mm 1485cc 4気筒OHV 当時のスカイラインはデザインから米車を意識していたのがうかがえる
黒)1957年(S32)発売 初代プリンススカイライン
白)1981年(S56)6代目スカイラインRS(R30) スカイライン数年ぶりにツインカムEg搭載(4気筒4バルブDOHC) R32の「GT-R」が再び登場するまで、当時はこのRSがスカイラインの代名詞だった。 1/43scale ※ニッサンスカイラインGT-R(R32)の発売は1993(H5)8月発売
桜井氏は1929年神奈川県生まれ。横浜国立大を卒業後、自動車メーカーを希望するも、卒業時には求人がなく、一時清水建設に入社。その後、1952年(S27)プリンス自動車に入社(プリンス自動車は1966年(S41)日産自動車と合併)。
入社5年目の1957年(S32)に発売されたプリンスの代表車種、初代「スカイライン(ALSI-1型)」の開発に関わり、2代目(S54B-3)から6代目(R30)までの開発総責任者を歴任。
因みにスカイラインのネーミングは桜井氏が職場の同僚と行った群馬のスキー場で、真っ青な空を見て思いついたと云われ、その後「スカイラインの父」と呼ばれた。
桜井真一郎氏は、この初代スカイラインの開発に関わり、二代目から六代目まで開発総責任者を歴任 後白)の六代目スカイラインRS(R30)が氏の最後の作品 二台共1/43scale
私が初めて「桜井真一郎」の名を知ったのは、自身が車に興味を持ち、免許を取得した頃で、車雑誌にスカイラインの記事の中に度々出てくる名前だった。
考えてみれば、大手自動車メーカー の社員である一個人の名が大々的に取り上げられる事は、今では普通だが、当時は非常に珍しい事だったに違い無い・・
「桜井真一郎」・・日本のモータリーゼーションの発展と、車の技術開発に貢献された偉業は、日本が世界に誇る「巧み(エンジニア)」だ~心よりご冥福をお祈りいたします.
今夜はこれで〆ね♪⇒Buzz / ケンとメリー ~愛と風のように~
ちゃんちゃん~♪
~~~~~~~⇑RemakeUp~~~~~~~
と、言う事で本日もお疲れ様でした~♪
それでは!またね~(@^^)/~~~
~See you again~♪
~~~番外 関連記事 ~~~~~~~
プリンススカイラインスポーツコンバーチブル
1962(S37)年4月、スカイラインスポーツはクーペ185万円、コンバーチブル195万円という高価格でついに発売された。正にヨーロピアンデザインを意識しています。
現在の価格に置き直すと優に1000万以上はするそうだ。因みに2年弱で60台生産されたのみで、其の後生産終了。商業的には失敗に終わったが、イメージ的には成功。
※プリンス自動車工業株式会社 かつて存在していた、日本の自動車メーカー。1947年に創立、以後変遷を経ながら1966年に日産自動車と合併する。
~~~~~~(´艸`*)~~~~~~~♪
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西風
アナザン・スター
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